STORY
農家は鳥に手を焼いている。撒いた種はほじくるし、新芽が出ればバリカンで刈っ たように食べつくす。張ったばかりのビニールハウスにはフンをかけていく。そんな農民たちが地元に鳥を呼ぶと言い出した。それも絶滅危惧種のタンチョウだ。
北海道の東部にごくわずかしか生息していない希少種が大都市札幌の近郊にある農村に 来るはずもない。それでも14人の農民が集まり、タンチョウの棲み家づくりが始まった。治水対策 で人工的に作られた遊水地の中に、タンチョウが生息できる「湿地」が回復してくると、やって くるのは予期せぬ訪問者ばかり。大量の渡り鳥に獰猛な外来種、カメラを抱えた人間たち・・・。次々と巻き起こるトラブル。果たしてタンチョウはやってくるのか?
~映画企画制作経緯等について~
フランスの制作プロデューサーから、日本人の象徴であるタンチョウの取材をしたいと打診があり、リサーチを進める中でタンチョウ研究の第一人者、正富宏之さんと出会いました。そして「長沼町で世界初のプロジェクトが始まる」という情報を得ます。人工的に造られた遊水地の中に湿地をつくり、そこでタンチョウの繁殖を目指すというものでした。長沼町はタンチョウの生息地から遠く離れており、しかも人口200万人近い大都市・札幌のすぐ近郊で、私自身「来るはずもない」と思いながら、それでもどんな人達が、どうやって呼ぶんのだろうと関心を持ちました。手厚く保護されているタンチョウについて、フランスの制作チームが求める取材環境はとても用意できなかったので早々に断ったうえで、私の長沼通いが始まりました。休みや業務の合間に役場や農家さんを訪ねて、最初のころは会議や立ち話の雑談ばかり。そのうち、本当に姿を見せるようになります。最初に2羽が私の前を飛んだときの光景は忘れられません。農家さんと一緒に感動を分かち合いました。
取材が7年も続いたのはタンチョウの魅力や長沼の美しい田園風景がありましたが、なによりタンチョウを呼び戻そうと活動する農家さんたちの人柄とひたむきな思いがあったからだと思います。
しばらく長沼町に通って、親しく話しかけてくれるようになったころ、「しかし鳥嫌いだった俺たちが、まさかタンチョウ呼ぼうと言い出すなんてな」と皆さん笑いながら話をしているのを聞いて「えっ?どういうことですか」と聞き返しました。そして水害に泣き、国の政策に翻弄され、自然保護の団体などと対立してきた過去とその理由を知った時、映画製作を決意しました。