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大阪市東成区タウン情報/ご当地あれこれ検索|ホームメイト

大阪市東成区のタウン情報/ご当地あれこれ検索では、大阪市東成区の歴史や主要産業をはじめ、人気の観光スポットや祭り、イベント情報など、大阪府大阪市東成区に関する情報を集約しています。
大阪市東成区内で賃貸物件をお探しの方など、大阪市東成区の特徴(特色)をまとめて知りたい方は、ぜひご活用下さい!

大阪市東成区役所

大阪市東成区(おおさかしひがしなりく)は、大阪市の東部に位置し、浪速区に次いで24区中2番目に小さな面積の区です。区域には近畿日本鉄道(近鉄)など複数の鉄道が走り、交通アクセスが良いことから、住宅も増加の傾向にあります。また、韓国・朝鮮籍居住者が多い大阪市生野区と隣接しているため、外国人居住者が多い点も特徴のひとつです。人口密度が市内で4番目に高く、大阪市の都市計画策定前に市街化が進んでいたため、狭い路地や木造住宅など旧市街地の面影が残っています。この他に、日本有数のモノづくり企業が集積する東大阪市に隣接しており、製造業が多いです。東成区も大阪市東部の工業地帯の一角を担っており、区内には中小の町工場が多く集積。多種多様な製品が生産されています。

大阪市東成区の基本情報

区の概要

区の位置
区の花 バラ、パンジー
区の木
区の鳥
国際友好・姉妹都市

大阪市東成区の周辺地図

大阪市東成区役所

大阪市東成区の歴史と歴史人・著名人

大阪市東成区
の歴史
南北朝時代は四天王寺の所領とされ、江戸時代は幕府直轄の天領地でした。
当時は現区域内に11の村があり、のどかな田園風景が広がる農村地帯で、大坂城代の知行地または代官支配地だったのです。
明治に入ると大坂造兵工廠(こうしょう)が設置され、商工業地帯や住宅地が建設され開発が進みます。
1895年に鉄道が開通し、玉造駅が設置されると周辺は賑わいを見せ、発展に大きくかかわりました。
明治末期で区域内の人口は約17,000人でしたが、大正末期では10万人を超える程に増加し、都市化への動きが活発化します。
1925年に大阪市に編入され、東成区が誕生しました。
編入当時は現在の生野区、旭区、城東区、鶴見区を含む広大な区域を誇っていましたが、それぞれの区が分離独立したため編入時より大幅に縮小し、現在の区域に至っています。

大阪市東成区の農業・水産業

大阪府大阪市の東部に位置している「東成区」(ひがしなりく)は、かつて大阪城下の一部を担い、江戸時代には米・麦・綿・菜種など様々な農産物が生産されていました。また豊臣秀吉の時代には、大阪城玉造門周辺で「玉造黒門越瓜」(たまつくりくろもんしろうり)というウリ科の野菜が栽培されていたことでも有名。一般に「くろもん」とも呼ばれ、漬物にするとおいしいことから周辺地域の名産とされていました。区のキャラクター「うりちゃん」のモチーフにもなっています。

その後、近代に入ると都市化が進み、産業は工業が中心になっていきます。そのため、今日では農地はほとんど見られず、また海に面していないため、水産業についても目立った特徴は見られません。

大阪市東成区の工業・産業

東成区は、製造業が盛んな「モノづくりの街」として知られています。日本有数のモノづくり企業が集まる東大阪市にも隣接し、区の東部を中心に製造工場や事業所が数多く立地。製造業の事業所数は、大阪市の区のなかでもトップクラスです。分野別には、印刷関連や金属製品・生産用機械器具・繊維などが上位を占有。区内には多種多様な中小工場が点在しています。

伝統産業では、「深江菅細工」が有名です。区域東部の深江地区で古くから伝わる伝統工芸で、自生する菅(すげ)を使って笠などの製品が作られたのがはじまり。乾燥させた菅を一つひとつ手作業で編み込み、防水透湿性が高いのが特徴です。その伝統を継承すべく保存会も組織されており、笠以外にも鍋敷きや円座、コースターなども作られています。

大阪市東成区の商業・サービス業

東成区は戦災により一帯が焼け野原となりましたが、周辺地域でもいち早く闇市が開かれるようになり、戦後日本の復興を象徴する存在となりました。その後、区画整理などが進められ、着実に発展への歩みを進めます。昭和40年代になると消防署や区役所庁舎などが造成され、地下鉄も開業。成長に一層拍車がかかりました。

区内には地下鉄の中央線や千日前線などが通過し、中心駅は千日前線「今里駅」。駅の地上部にあたる「今里交差点」は主要道路が集まります。交差点を中心に、区役所をはじめ官公庁、金融機関などが数多く集積。東成区の拠点となっています。また、区内には「今里新橋通商店街」や「今里新道商店街」、「神路銀座商店街」など複数の商店街が立地。沿道には個性豊かな商店が並び、季節のイベントも催されています。さらに区域南西部の鶴橋地区は、日本を代表するコリアンタウンとして有名。焼肉・韓国料理店などが密集し、観光客も多く訪れます。

大阪市東成区の観光・レジャー

大阪市「東成区」(ひがしなりく)は、町工場が数多く集まる地域。モノづくりが盛んな一方、「比売許曽神社」(ひめこそじんじゃ)や「深江稲荷神社」など、各所に歴史と文化を物語る遺跡、文化財が残されています。古くは4世紀頃から水運の拠点として発展し、飛鳥時代には外交施設「三韓館」が置かれていました。

「比売許曽神社」は3世紀末から4世紀はじめに創建したと伝わる歴史ある神社。新羅の王子の妻「下照比売姫」(したてるひめ)を祀っていることから、当時から大陸と結び付きがあったと考えられています。多数の文化財を有し、浪速文化の消息を知る貴重な品々が所蔵・保存されているのが特徴です。

和銅年間(8世紀前期)の創建といわれる「深江稲荷神社」も、東成区を代表する古刹。神社のある深江周辺はかつて「笠縫島」と呼ばれ、笠を縫うことを職業とした笠縫部が住んでいました。それが江戸時代には菅笠の産地として発展します。境内は「笠縫邑跡」(かさぬいむらあと)、「深江菅笠ゆかりの地」として大阪府、大阪市から史跡に指定。その歴史を現代に伝える貴重な観光スポットとなっています。

大阪市東成区の城・寺院・神社

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