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平安時代の「ななくりの湯」/ホームメイト
平安時代に栄えた国風文化を代表する、清少納言の『枕草子』。その第117段に「湯は、ななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」と記されている伝本があります。
「有馬の湯」(有馬温泉)とともに玉造の湯(玉造温泉)が、古くから宮廷人に親しまれていたことが分かります。問題は「ななくりの湯」。「ななくり」ではどこを指すのか分かりませんね。現在のどの温泉にあたるか、次の2つの説に分かれています。
「榊原温泉」説
榊原温泉は、伊勢神宮が位置する三重県に古くから湧く温泉。アルカリ性単純泉で、風呂上がりに肌がつるつる・すべすべになることから「美肌の湯」として有名です。
古くは七栗上村という村にあり、その地名から「ななくりの湯」と呼ばれていました。この付近には、神宮の祭祀に使われる榊という植物が多く自生していたことから、やがて「榊が原」と呼ばれるようになり、地名も「榊原」になったと言われています。
奈良時代以降、伊勢神宮にお参りする前に身を清めるための「湯ごり」の湯として知られていました。都から伊勢へ向かうには伊賀を通り、山越えをして伊勢に入りますが、その伊勢の入口が榊原だったのです。ここに湧く温泉で「湯ごり」をして身を清めてから参拝に向かう、これが当時の正式な参拝の仕方とされていました。
また、「湯ごり」として使われた榊原温泉は、射山(現在の貝石山)をご神体とした射山神社に護られています。射山神社の祀神は、温泉の神として知られる大己貴命(オオアナムチノミコト)と少彦名命(スクナヒコナノミコト)。『伊予国風土記』にも登場しています。
こうしたことから、「榊原温泉」説が現在、最も有力とされています。
「別所温泉」説
別所温泉は、古寺名刹が多い長野県塩田平に古くから湧く信州最古の温泉。泉温が50℃近いアルカリ性の硫黄泉で、肌をなめらかにすることから、榊原温泉と同様、「美人の湯」とも呼ばれています。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東夷征伐をした際、多くの兵士が戦いで負傷したが、この地で仙人の化身と思われる老人が教えてくれた泉の水を浴びたところ、瞬く間に傷が治ったという伝説があります。そして、日本武尊が7ヵ所の源泉を発見し、「七苦離の湯」「七久里の湯」と名付けたと伝えられています。
鎌倉時代には、この一帯は北条氏ゆかりの「信州の鎌倉」として知られ、北条氏が別院として使っていたことから、「別所」という名前がついたと言われています。