スタジアムライブ(ツアー)の歴史/ホームメイト

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スタジアムライブ(ツアー)の
歴史/ホームメイト

現在では、ドーム球場でライブを行なうドーム公演や、それぞれのドームを巡るドームツアーが主流となっていますが、ドーム球場が造られる以前は、スタジアムライブやスタジアムツアーと呼ばれ、後楽園球場やメットライフドーム日産スタジアム(横浜国際総合競技場)などを会場にしてライブコンサートが行なわれていました。今でも、ドーム球場以外で実施される競技場でのライブはスタジアムライブ(スタジアムツアー)と呼ばれ、野球場以外にも2002年FIFAワールドカップ日韓共催を機に建設された多くのスタジアムでコンサートや音楽フェスが開催されています。では、スタジアムライブとツアーの歴史を見ていきましょう。

1970~80年代に全盛期を築いた二大球場ライブ

1970~80年代に全盛期を築いた二大球場ライブ

コンサート会場として数多く利用されてきたスタジアムには、後楽園球場(1987年閉場)、西武ライオンズ球場(現メットライフドーム)、大阪球場(大阪スタジアム。1998年閉場)、日産スタジアム(旧横浜国際総合競技場)、長居スタジアム(大阪市長居陸上競技場)、横浜スタジアムなどがあります。特に7~9月の夏期には開放的な野外ライブが好まれるため、今も昔もスタジアムライブが多く開催されています。

日本で初めてのスタジアムライブは、1968年8月12日に後楽園球場で行なわれたザ・タイガースで、ソロ歌手としては西城秀樹が1974年に初めて大阪球場で開催しています。西城秀樹は、この年以降大阪球場で10年連続、後楽園球場で1978年以降4年連続でライブを行ない、後楽園球場の最多公演ミュージシャンとして記録が残っています。この2つの球場は東京と大阪の交通至便な場所に立地していたこともあり、1970~80年代にかけて、著名ミュージシャンやアイドルグループが数多くのライブを開催してきました。

サイモン&ガーファンクル、リチャードクレイダーマン、スティービーワンダー、マドンナ、エリック・クラプトン、尾崎豊、渡辺美里、チェッカーズ、サザンオールスターズ、矢沢永吉、たのきんトリオなど、国内外のスーパースターが次々とライブを行ない、スタジアムライブの全盛期を築きました。また、超人気アイドルやグループの解散コンサートも多数行なわれ、1978年4月4日にはキャンディーズが史上初でスタジアムにて解散コンサートを、1981年3月31日にはピンクレディーが、同年11月7日にはアリスが解散コンサートを行ない、いずれも伝説として語り継がれています(いずれも後楽園球場)。1987年に閉場した後楽園球場で最後にライブを行なったのは日本人ではなく、マイケル・ジャクソンでした(9月12~14日)。

伝説となった渡辺美里の西武スタジアムライブ

伝説となった渡辺美里の西武スタジアムライブ

スタジアムライブを語る上で外せないのが、渡辺美里の西武ライオンズ球場でのライブ(西武スタジアムライブ)ではないでしょうか。1986年から2005年までの20年間、毎年夏に開催されており、観客動員はのべ70万人。全盛期には4万枚のチケットが即日完売するほどで、ライブ当日には西武鉄道による特別電車「MISATO TRAIN」が運行されるほどの盛況、人気ぶりでした。

ビッグミュージシャンによるスタジアムツアーが台頭

ビッグミュージシャンによるスタジアムツアーが台頭

21世紀に入ると、2002年のFIFAワールドカップ日韓共催をきっかけに、観客収容4万人以上のスタジアムが数多く建設されたこともあり、競技場でのライブが増えていきます。主な会場としては、日産スタジアム、埼玉スタジアム味の素スタジアムなどがあります。ライブツアーの呼称も、ドーム球場だけで行なうものをドームツアーと呼ぶのに対して、そこにドーム型ではない競技場が一つでも入ればスタジアムツアーに、横浜アリーナなどのホールだけで行なうアリーナツアーにも競技場が入れば、スタジアムツアーという呼び名が加わるようです。

「スタジアムツアー」と名を打ってライブツアーを行なっているミュージシャンでは、Mr.Children(スタジアムツアー)、B'z(スタジアム・ドーム・ホールツアー)、DREAMS COME TRUE(ドーム・スタジアムツアー)、L'Arc~en~Ciel(スタジアムツアー)、サザンオールスターズ(スタジアムツアー)などがあげられます。いずれも1度のツアー(5~十数都市を巡回)で20万~90万人を動員します。

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