人間国宝の歌舞伎俳優/ホームメイト

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人間国宝の歌舞伎俳優/ホームメイト

芸と伝統を継承しながら、現代に息づく歌舞伎。

現在、5人の歌舞伎俳優が人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定されています。

ここではその芸の深さと魅力を紹介します


四代目坂田藤十郎(さかたとうじゅうろう)

四代目坂田藤十郎(さかたとうじゅうろう)

1931年生まれ、1994年に人間国宝に認定(認定時は三代目中村鴈治郎)。

上方和事の立て役者。ふくよかな美しさ、はんなりとした台詞まわし、大きな芸で女方、立役両方を演じる上方歌舞伎の重鎮です。20代のころ、「曽根崎心中」のお初役で絶賛を浴び大ブレイク。「扇雀ブーム」(当時の名前)を巻き起こしました。翌年の「高野聖(こうやのひじり)」では、「女性より美しい」と大評判に。以降も上方系の芝居に意欲的に取り組み、81年には近松門左衛門の作品を一作ずつ上演する「近松座」をおこし、上方歌舞伎の存続に努めています。

「封印切(ふういんぎり)」の忠兵衛、「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」の治兵衛などの立役、女方の最高峰と言われる「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」の「乳母政岡」なども当たり役。「仮名手本忠臣蔵」では師直(もろなお)・由良助・与市兵衛・定九郎・勘平・平右衛門・戸無瀬の七役を一人でこなすなど、驚くほどの芸域が広い。2005年「上方歌舞伎の象徴としての名前を復活させたい」と、上方和事を創始した坂田藤十郎の名跡を襲名。「和事」を現代に伝える上方歌舞伎の至宝です。

六代目澤村田之助(さわむらたのすけ)

六代目澤村田之助(さわむらたのすけ)

1932年生まれ、2002年に人間国宝認定。

父は五代目田之助、子役のころは六代目菊五郎にかわいがられ、薫陶を受けました。名門の出身ながら、先代である父が病気がちで庇護者がいなかったため、自力で現在の地位と芸を気付きあげた女方の名役者です。

役柄への深い解釈、確かな台詞回しと体の動きは、"コクのある芸"と評されています。「四千両(しせんりょう)」のおさよ、「心中天網島」のおさんなどの世話女房が当たり役、老け役でも独特の味わいを見せ、近年は、「盲長屋梅加賀鳶(めくらながやうめがかがとび)」のお兼のような闇の匂いがする汚れ役でも深みを発揮。永年積み重ねた実力と芸域の広さで、多くの歌舞伎公演に引っ張りだこです。国立劇場歌舞伎研修の主任講師を勤めています。

七代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)

七代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)

1942年生まれ、2003年に人間国宝に認定。

キリリと美しい姿はまさに"江戸っ子"、美しい姿と実力で、立役も女方もこなす。團十郎家とならぶ江戸歌舞伎の大名跡、尾上菊五郎を継ぐ名役者です。

1965年、「白浪五人男」の弁天小僧役で評判を呼び、NHK大河ドラマの「源義経」に主演し大人気に。三之助ブーム(当時の菊之助・新之助・辰之助)の火付け役となり、様々な大役を演じました。菊五郎襲名以降は、立役が多くなり、粋でいなせで世話好きな江戸っ子役、ワルな汚れ役もはまります。

「魚屋宗五郎」の宗五郎、「め組の喧嘩」の辰五郎、時代物では「実盛物語(さなもりものがたり)」の実盛、「勧進帳」の富樫(とがし)など颯爽とした演技で当たり役は多数。「弁天小僧」の弁天や「三人吉三(さんにんきちさ)」のお嬢・吉三などワル役も絶品です。舞踊も立役・女方ともに踊り分けています。

二代目中村吉右衛門(なかむらきちえもん)

二代目中村吉右衛門(なかむらきちえもん)

1944年生まれ、2011年に人間国宝に認定。

父は初代白鸚(はくおう)、義父は初代中村吉右衛門、兄は松本幸四郎。堂々たる存在感、陰影ある演技、抑揚とリズム感に登場人物の心情をにじませる絶妙な台詞回しは、誰が見ても「うまい!」とうなる。現代歌舞伎界を代表する立役です。

「仮名手本忠臣蔵」の由良之助は懐深く、「河内山(こうちやま)」ではワルな主人公が愛きょうたっぷり、観客の涙を誘う「俊寛(しゅんかん)」は悲哀があふれ、「義経千本桜」渡海屋(とかいや)・大物浦(だいもつのうら)の知盛(とももり)は豪快な凄みを感じさせる、人物造形の深さも絶賛されています。また「東海道四谷怪談」の伊右衛門のような白塗りの色悪も絶妙。名優・初代吉右衛門の継承者として、歌舞伎の芸を忠実に引き継ぎ、深めているまさに座頭役者です。

池波正太郎原作のテレビドラマ「鬼平犯科帳」も人気を呼び、松貫四(まつかんし)という脚本家名で新作や復活狂言の上演にも積極的に取り組んでいます。

五代目坂東玉三郎(ばんどうたまさぶろう)

五代目坂東玉三郎(ばんどうたまさぶろう)

1950年生まれ、2012年人間国宝に認定。

舞台に現れた途端、会場がざわめく美しさ、今や歌舞伎界を背負って立つ女方です。料亭の家に生まれ、守田勘弥の養子となり1964年に五代目玉三郎を襲名。女方としては長身の173センチながら、内面からほとばしる表現力と妖艶な美しさは海外でも評判。NYメトロポリタン歌劇場に招聘され、アンジェイ・ワイダなど世界の芸術家たちとコラボレーションを展開するなど国際的に活動しています。シェイクスピアなど歌舞伎以外の舞台にも挑み、泉鏡花作品の舞台化にも意欲的、映画監督としても活躍し、和太鼓集団「鼓童(こどう)」の芸術監督も務めています。

「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)」の阿古屋(あこや)、「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」の八ッ橋、「伽羅先代萩」の政岡など、女方の大役で次々成果をあげ、「切られ与三」のお富など仇っぽい役も当たり役、舞踊「道成寺」や「鷺娘」など見事な芸はあげればきりがないほど。近年は後進の育成にも力を入れています。

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