冬の日本の祭り・花火大会情報
冬こそ見に行きたい花火大会のおすすめ情報をご紹介
全国には冬でも開催される花火大会が数多くあります。冬の澄み切った夜空に映える色鮮やかな花火は、夏よりもきれいに見えると評判です。今回は冬だからこそ行きたくなるおすすめの花火大会と、冬の花火鑑賞に必要な防寒グッズをご紹介。寒さ対策を万全にして冬の花火を楽しみましょう。
全国で冬に開催される花火大会をご紹介
冬の花火大会。寒い中外で見るのは抵抗があるという意見もありますが、冬ならではの楽しみ方もあります。例えば、温かい物を食べたり飲んだりしながらの花火鑑賞は、夏にはあまり経験することができないので貴重です。花火大会の会場によっては屋台もあるため、お祭り気分を味わうことができるのも冬の花火大会の特徴。また、シートの上にこたつを置いて温まったり、毛布に包まりながら寝転んだりと、冬にしかできない方法で花火を楽しむのも醍醐味と言えます。
北海道エリアの冬の花火大会
まずは北海道の「函館海上花火」。函館国際ホテルスカイラウンジや函館山からも花火を見ることが可能です。約2,000発の花火が打ち上がり、函館の夜空を華やかにしてくれます。北海道に観光ついでに花火大会へ足を運ぶのもおすすめです。
関東近郊の冬の花火大会
次に山梨県「河口湖・冬花火」でお目見えするのは、約1,500発の打ち上げ花火。河口湖の背景には真っ白な富士山が見え、富士山と花火の組み合わせはまさに圧巻と言えます。
そして、日本で初めて2尺玉の花火が打ち上げられたと言われる長野県の「えびす講煙火大会」。花火の質も良く、花火師による新作花火の披露があるなど、人気を博している花火大会です。音楽と共に打ち上がる花火や8号玉の100連発といった豪華な大輪が冬の夜空に舞います。今まで知らなかった花火を見ることができるのも、「えびす講煙火大会」の魅力です。
冬の花火大会に必要な持ち物とは
冬の花火大会は夏とは違って寒いため、完全防備で行きましょう。花火は座って鑑賞する人も多く、特に冬の場合じっとしているだけで余計に寒さを感じるものです。その際には防寒用のシートがおすすめ。持参したシートや椅子の上などに敷いて使用します。ダウン素材が入っている物は暖かい上に軽いので持ち運びにも便利です。
おすすめの服装として欠かせないのは吸湿発熱素材のシャツ。保温効果があり、冬の必需品と言われていますが、さらにタイツも吸湿発熱素材の物にするとより効果的です。ニットやセーターなどを着用し、コートはダウンコートなど風を通しにくい物にしましょう。さらにマフラーやネックウォーマーを巻き、カイロは手袋とポケット両方に入れておくとより暖かさが増します。足元はタイツを履いた上からレッグウォーマーを重ね履き。ブーツは通常の物よりスノーブーツがおすすめです。防水加工が施してあり、滑り止め機能も付いているため、寒くて地面が凍結している場合でも対応できます。
ロマンチックな雰囲気の花火大会デート
冬は空気が澄んでいるため空がきれいなのが特徴です。そのため夏より花火の色彩がはっきりときれいに見えます。冬は夏のように汗をかくこともなく、虫もほとんどいません。寒さにさえ耐えることができれば、デートに冬の花火大会はおすすめです。
花火とイルミネーションが楽しめる
2007年から8回にわたって開催された「お台場レインボー花火」は、東京・お台場のイルミネーションとコラボレーションした花火大会。お台場がイルミネーションに彩られる時期に合わせて開催され、花火もイルミネーションもどちらも見ることのできる贅沢さが魅力です。
クリスマスイブには「ミュージックスターマイン」という花火と音楽が連動した幻想的な空間演出も実施されました。美しいお台場の夜景を恋人同士で眺めるのもロマンチックで素敵。
一度は行きたい恋人の聖地
そして、木更津港にて打ち上げられる「木更津恋物語・冬花火」。恋人の聖地としても知られており、冬のデートスポットのひとつとなっています。花火大会開催期間の最終日には音楽に合わせて花火が打ち上がり、思わず歓声が上がる程です。
春から秋にかけての日本の祭りには、豊作祈願や収穫に感謝するなど稲作にまつわる祭りが多くあります。しかし、稲作が休みとなる冬には、それとは別の願いや目的による祭りが多いのが特徴です。中には冬ならではの、また冬にしかできない祭りもあり、全国的にも注目されています。
全国で広く見られる火祭り「左義長」
「左義長(さぎちょう)」とは、全国で広く見られる小正月の火祭り行事です。地方によってその呼び方は様々で、「どんど焼き」「お焚き上げ」「あわんとり」など多くの名称がありますが、小正月(1月15日)に行なわれ、その年の元日に飾った門松や注連(しめ)飾り、書き初めで書いた物を各々が持ち寄り焼く、という特徴は共通しています。これは、門松や注連飾りなど正月の飾り物によって年始に迎えた神様を、正月が明ける小正月に燃やすことによって、お見送りをする意味合いがあると伝えられているのです。また、左義長の炎でお餅などを焼いて食べることによって、その年の厄除けにもなると信じられている地域もあり、焼く餅の種類はその地域ごとに異なっています。
左義長は、各地で行なわれているために物珍しさはあまりないかもしれませんが、中には国の無形民俗文化財に指定されている左義長もあります。その代表的なものには、神奈川県大磯町や滋賀県近江八幡市の左義長や、富山県下新川郡入善町の左義長「塞(さい)の神まつり」などが挙げられます。
厄を祓い吉をもたらす神「ナマハゲ」
秋田県男鹿市などの男鹿半島全域で、大晦日の夜の行事として行なわれているナマハゲは、国の重要無形民俗文化財に指定されているお祭りです。ナマハゲは鬼のような形相の面をかぶり、巨大なナタか出刃包丁を手にして各家庭を一軒一軒巡り、「泣く子はいねがー(いないか)!怠け者はいねがー!」と大きな声で訪ねます。
その迫力に泣き出す小さな子どももいる程ですが、ナマハゲを迎える家の人々は正装に身を包んで迎え、この一年で行なってきた悪事などを釈明してナマハゲに酒を振舞うという行事です。これによって悪事を戒めると共に、その家庭の厄災を祓い、豊作や吉事をもたらしてくれると信じられています。つまりナマハゲは鬼のような顔つきをしてはいるものの、実際は来訪神であるのです。しかし実際は、ナマハゲの正確な発祥はいまだに解明されておらず、謎の伝承とされています。
また、一見ユニークなその名前は「ナモミ」と言う方言で、手足にできる火型(低温火傷)のことから来ていると言われており、これは怠け者が暖かい囲炉裏に当たり続けて手足にできた「ナモミ」を、懲らしめるために剥ぐことから「ナモミハギ」「ナマハゲ」と転訛していったのではないかという説が有力視されています。
新婚夫婦の円満を願う奇祭「婿投げ」
新潟県十日町市の松之山地域には、「越後の奇祭」と呼ばれ現在でも小正月に行なわれている風習があります。それは、前年に松之山地区の娘を新婦としてめとった新郎を崖の上から投げる「婿投げ」という祭りです。
新郎は村の男たちに連れられて、薬師堂にやってきます。薬師堂の横には、高さ5メートル以上もある崖があり、新郎は胴上げされたあと「一、二、三!」の合図で崖の下へと放り投げられるのです。
投げられた新郎は、フカフカに積もった雪の上を転がり落ちていき、崖の下で待つ新婦に介抱されます。一見荒々しく危険な祭りであるように思われますが、実際は雪がクッションの役目を果たしているために安全なのだと言われています。まさに豪雪地帯であるゆえに続けられている祭りです。新婚の新郎を冷やかす声や笑い声に包まれ、雪まみれになった新郎を新婦が助ける姿が微笑ましく、降り積もる雪の中で温かな気持ちにさせてくれます。二人のこれからの夫婦としての絆がより深まるように村を挙げて願うお祭りなのです。
さらに婿投げのあとには、正月飾りや注連縄(しめなわ)を燃やしてできた墨を、祭りへの参加者一同が互いの顔に塗り合う「墨塗り」も行なわれます。これは無病息災を祈願する祭りで、婿投げとセットで「婿投げ・墨塗り」と呼ばれることもあります。
冬の祭りと言えば、雪祭りを連想しがちですが、雪が主役でない冬の神事も多く、古くから現代まで脈々と受け継がれている祭りも数多くあります。ここでは島根県と神奈川県で古来から続いている神事を紹介するとともに、東北を代表する雪祭りも紹介します。
諸手船神事(もろたぶねしんじ)
島根県松江市の美保神社では、毎年12月3日に諸手船(もろたぶね)神事が開かれます。この神事は、出雲の国譲り神話にちなんだ祭りで、大国譲りの際に2隻の諸手船に使いの神が乗り、美保関にいる事代主命に意見を聞きに来る様子を再現したものです。厳寒の山陰の海を舞台に、材木をくり抜いてつぎ合わせた丸木舟に男たちが乗り込み、社までの距離を競い合う祭りです。
2隻の諸手船には、それぞれ白装束に身を包んだ男たちが9人乗り込み、櫂(かい)を使って美保関港に向けて漕ぎ出します。対岸の社の下で折り返すと、本殿の岸まで競争が始まります。お互いに海水を掛け合い、水しぶきを上げながら、どちらが先に神前に捧げるかを競います。最初に着いた船を迎える宮司と問答を行ない、最後は「天逆手(あめのむかいで)」と呼ばれる交互に打ち合う合拍子によって神事が終了。
凍てつくような冷たい海に、「ヤーヤー」と威勢のいい掛け声で気合いを入れながら船を漕ぐ男たちの勇壮さが最大の見どころです。なお、神事の前夜に行なう宵祭りでは、甘酒が振る舞われ、司の舞、巫女の舞が奉納されます。
箱根神社の節分祭
立春の前日となる2月3日は節分の日。この日には全国各地の神社で節分祭が行なわれますが、神奈川県箱根町にある箱根神社では、ちょっとユニークな節分祭が開かれます。3日午前に、本殿で節分祭として豆まきが行なわれたあと、正午に鬼が登場し、金太郎伝説に由来する「鬼やらい」を習合した儀式「追儀式」が執り行なわれます。これで鬼は神社から退散し、水上スキーに乗って芦ノ湖を駆け巡るのですが、湖を走り回る鬼を、今度は船上から豆打ちで、さらに追い払って幕を閉じます。
伝統的な風習と現代的な演出が融合したこの節分祭は、冬の箱根路に春を告げる祭りとして毎年多くの見物客で賑わい、祭りの前夜には、芦ノ湖で冬景色花火大会が開催され、大輪の花火が冬の夜空を彩ります。また、芦ノ湖では毎年2月に「わかさぎ祭り」が開催されることもあって、当日は本殿前でわかさぎのフライが見物客に振る舞われたり、晴れた日には、雪化粧を施した富士山も見られるので、観光イベントとしては盛りだくさんの内容です。厄除けや祈願したい人は、観光をかねてお出かけしてみてはいかがでしょう。
横手のかまくら
豪雪地帯では、古くから雪に関するお祭りが多く開かれますが、秋田県横手市のかまくらは、古くから伝わる冬の風物詩として全国的に有名です。「かまくら」は、水上様を祀る小正月の行事で、400年以上の伝統を今に伝えています。2月中旬には、市内に100基ほどのかまくらが作られ、甘酒やお餅などを食べながら、地元の人との話に花が咲きます。
かまくらは、藩政時代の旧暦の1月14日に雪で四角い壁を作って、注連縄や門松など正月飾りを入れて燃やし、災難除けや子どもの成長を祈ったことが始まりとされています。この時に御神酒や餅を供えた風習が現在も残っています。また、子どもたちは雪が積もると雪に穴を開け、その中に入って遊ぶことが多く、こうした雪国の生活が長い年月をかけてひとつになり、現在のようなかまくらになったとされています。
1952年(昭和27年)から、かまくらを作る行事が2月15日になり、雪祭りとして開かれるようになりました。1960年代になると交通量が増え、かまくらを作るスペースが失われたため、一時期は数が減りましたが、現在は市内に点在していたかまくらを集約できる「かまくら通り」が設けられ、観光客も増えて再び脚光を浴びています。
寒さが身に染みる冬ならではの祭りが全国で繰り広げられます。伝統的な神事から観光イベント的なものまで、冬に開かれる祭りを十分に楽しみましょう。
札幌雪まつり
毎年2月上旬に開かれる札幌雪まつりは、200万人以上の人が会場を訪れる冬の代表的な祭りです。大通公園、すすきの、スポーツ交流施設「つどーむ」の3会場で行なわれ、迫力満点の雪像が約200基披露されます。雪像だけでなく滑り台やスノーラフトなど雪とふれあえる遊具や氷の彫刻など、毎年趣向を凝らした内容で見どころ満載です。
今では札幌の冬の風物詩となった雪まつりは、1950年に、地元の高校生が大通公園に6つの雪像を作ったのが始まりでした。その後、市民の冬の行事として定着し、1955年には自衛隊が参加して大規模な雪像を作ったことからさらに話題となり、1960年代には本州からも観光客が訪れるようになりました。1972年には冬季オリンピックが札幌で開催されたことで、雪まつりは世界の人にも知られるようになりました。1974年以降はドイツ・ミュンヘン市、オーストラリア・シドニー市など札幌と交流がある都市も雪像制作に加わり、国際的イベントに発展しました。
大通公園に作られる雪像は100基以上で、陸上自衛隊や市民ボランティアによって制作されます。雪は不純物が入っていない純白のものが札幌近郊から集められ、その量は約3万トンにも達すると言われます。正月明けから雪の輸送が始まり、運ばれた雪は重機などを使って積み上げられます。雪像を作る団体によってそれぞれ技術やノウハウを持っており、作り方も様々です。こうしてできあがった雪像は開会に合わせて披露され、夜にはライトアップによって幻想的に演出されます。
秩父の夜祭り
秩父の冬に鳴り響くお囃子の音と共に、秩父夜祭りが始まります。毎年12月2日・3日に開かれるこの祭りは、秩父神社の例大祭で、2台の笠鉾(かさぼこ)と4台の屋台が市街地を曳行される光景は、京都の祇園祭、飛騨の高山祭と並んで「日本三大曳山祭り」に数えられています。
この祭りがいつ頃から始まったかは記録として残っていませんが、江戸時代中期に秩父神社で開かれた絹織物の市「絹大市」に大勢の人が集まるようになり、享保年間に笠鉾・屋台の曳行をはじめとする屋台行事が始まったとされています。
祭りには、絢爛豪華な2台の笠鉾と4台の屋台が市内を曳行されます。2日は「宵マチ」と呼ばれ、午後に屋台の宮参り、夜には旧秩父往還の大通りを曳行されます。3日は、朝から笠鉾と屋台がお囃子に乗って市街地を曳行され、地元の少女たちによる「曳き踊り」の演技があり、午後は「屋台芝居」が上演されます。夜7時過ぎの巡行では、提灯とぼんぼりを付けた6台の笠鉾・屋台が秩父神社から御旅所へと渡御します。そして、御旅所の手前の団子坂でクライマックスを迎えます。最大20tもある笠鉾と屋台を引き上げる様子は迫力満点で、冬の夜空には色とりどりの花火が打ち上げられます。
笠鉾・屋台の曳行、屋台囃子、屋台芝居、曳き踊りといった一連の屋台行事は、秩父神社神楽と共に、国の重要無形民俗文化財に指定されており、この祭りが終わると秩父地方は、新しい年を迎える準備に入ります。
国府宮はだか祭り
冬の寒空の中、威勢のいい男たちが褌(ふんどし)ひとつの裸になって行なわれる「はだか祭り」は、全国で行なわれており、五穀豊穣や家内安全などを祈願する行事として、それぞれ各地で定着しています。尾張大國霊神社(国府宮)で行なわれる「はだか祭」もそのひとつで、正確には「儺追神事(なおいしんじ)」と言われています。毎年旧暦正月13日に開かれ、42歳と25歳の厄年の男を中心に、褌と白足袋をつけた数千の裸男が神社に集まり、「神男(しんおとこ)」と呼ばれる男に触れて厄を落とそうともみ合いになる様子が、この祭りのハイライトです。
奈良時代の767年に、称徳天皇が悪疫退散の勅命を全国の国分寺に発し、尾張総社である尾張大國霊神社で厄払いをしたのが起源で、儺追神事となって現在まで継承されています。現在のように裸の男たちがもみ合うようになったのは、江戸時代末期のことで、神官が一般人を捕まえてきて儺負人(なおいにん=神男)に仕立てたところ、嫌がってじたばたしたため、数人の男たちで取り押さえ、そのもみ合いを受け継ぐものとされています。
朝から大勢の裸男たちで境内は熱気に包まれますが、神男が登場するのは夕方4時過ぎで、一団に守られて密かに登場した神男を見つけた裸男たちは、一斉に神男に群がります。浴びせられる手桶の水はすぐに湯煙となり、寒さを感じさせない程の熱気が周囲に伝わります。神男の一団が境内右手奥の儺追殿へ達すると祭りの終了となります。
また、当日は50俵の「大鏡餅」が神社に奉納されます。約4tもあるこの餅は、祭りが明けた翌日朝に切り分けられ、配布されます。この餅を食べると無病息災の言い伝えがあるため、多くの参拝者が買い求めます。