成田太鼓祭など千葉県の祭りの特色/ホームメイト

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成田太鼓祭など千葉県の祭りの特色/ホームメイト

古くから下総・上総・安房という三つの地域に分けられ、その中でも豊かな自然を持つ中央と海に面した地形にわかれるなど、地域によって特色のある千葉だけあって、伝統を活かしたものや地形を活かしたものまで、土地それぞれに個性のある祭りが行なわれています。

山車の大きな人形が目を引く「佐原の大祭」

山車の大きな人形が目を引く「佐原の大祭」

香取市の佐原で行なわれている関東随一と呼ばれている祭りですが、「佐原の大祭」とは二つの祭りの総称であり、

  • 毎年7月に行なわれる八坂神社の祇園祭
  • 毎年10月に行なわれる諏訪神社の秋祭り

の二祭のことを指します。4輪2層構造で、関東彫りの重厚な彫刻の彫られた本体に、名人によって作られた大人形が乗せられた独自の山車が24台存在しており、夏の祇園祭には10台、秋の諏訪の祭りには14台が曳行(えいこう)されます。江戸時代の名残をそこかしこに残し、「北総の小江戸」と称される田原の町を山車が軒をかすめながら進行していく山車はとても迫力があります。

佐原の市街は中心部に流れている小野川を境界線として東西に分かれており、八坂神社がある東側の地域を「本宿」、諏訪神社の西側の地域を「新宿」と呼び分別されていました。両者は別々の祭りとして歴史を歩んでおり、現在の山車祭りの形式を持つようになったのは江戸時代後期だといいます。

どちらの祭りでも情緒的なメロディーの「佐原囃子」の演奏とともに、「てこ」と呼ばれる2本の長い丸太を用いて「曳き廻し」という手法で町中を山車が曳行されていきます。この曳き廻しの技術を用いた技を「曲曳き」と呼び、"の"の字を描くように山車を回転させる「のの字廻し」、小判のように楕円形を描き山車を回転させる「小判廻し」、そろばんを伏せて前後に転がすように、山車の前進と後退をくりかえす大変難易度の高い「そろばん曳き」といったテクニックも巡行中に見せ、町中を進む山車の迫力を一層強くしています。

太鼓のリズムに酔いしれる「成田太鼓祭」

成田にて毎年4月に開催される日本国内有数の太鼓の腕を競う祭りで、成田山新勝寺と表参道をメイン会場に全国から日本の伝統音楽演奏に自信のある強豪たちが集います。

  • 太鼓祭の開幕を告げるオープニングイベントとして行なわれ、毎年700名を超える出演者全員が本堂前に集合し、このイベントのために作曲された「平和の祈り」を演奏する「千願華太鼓」
  • 新勝寺の大本堂前で夕方から夜にかけ、篝火(かがりび)の焚かれたステージ上で炎に負けないぐらいの熱気にこもった演奏が行なわれる「成田山千年夜舞台」
  • 表参道に場所を移し、太鼓や日本舞踊など様々な伝統芸能による演奏と踊りを参道全体で楽しむ「表参道太鼓パレード」

以上3つのイベントに加え、参道ではステージ毎に分かれて出演者たちによる演奏が行なわれ、成田中に響くような熱い演奏で観客を楽しませてくれます。いずれの演奏も気力と迫力にあふれた聞き手の心を揺さぶるものばかりで、観客の心の奥まで燃え上がらせてくれるとともに、日本に古より伝えられてきた音を我々に思い出させてくれます。

裸の男たちが海に飛び込む「大原はだか祭り」

太平洋に面したいすみ市にて毎年9月に開かれる裸祭りの一種で、当日は大原の町全体が一つになって祭りに打ち込みます。大原漁港に集った18基の神輿が豊作祈願・大漁祈願を祈ったのち、一斉に冷えてきた時期の海の中に飛び込む「汐ふみ」という祭事が行われます。海の中で18基の神輿と裸の男たちが激しくもみ合い、ぶつかり合い、投げ合う様子は壮観の一言です。この勇ましい汐ふみが終わると、海から出た神輿と男たちは商店街を渡御し、小学校の校庭に向かいます。学校に到着し、夜になると神輿同士は再びよりそい、お互いに高くかかげながら別れの歌であり哀愁の漂う「祭り唄」が歌われます。先程までとは打って変わりさみしげな雰囲気の漂うこの「大別れ式」をもって、神輿との別れを惜しまれつつも祭りは終了となります。

この少し変わった祭りは江戸時代から続けられてきた伝統あるもので、汐ふみや大別れ式も当時から行なわれているものです。これは港町ならではの大漁を祈願するという意味ももちろんあったのですが、なにより江戸時代娯楽の少なかった時代において、地域の住民同士のつながりと絆を強めるためのものとして行なわれていたのでした。その効果は自他に認めるほど絶大で、住民同士の士気の向上につながるとして戦時中警察から推奨されたほどだといいます。

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