会津田島祇園祭など福島県の祭りの特色/ホームメイト

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会津田島祇園祭など福島県の祭りの特色/ホームメイト

福島は阿武隈高地、奥羽山脈、越後山脈によって分断され大きくて三つの地域に分けることができますが、地域ごとに伝承されてきた信仰や歴史に基づく特色ある祭りがそれぞれに見て取れます。

800年の伝統を持つ「会津田島祇園祭」

800年の伝統を持つ「会津田島祇園祭」

毎年7月に行なわれ、京都・博多のものと並び「日本三大祇園祭」と称されているのが、南会津町の「会津田島祇園祭」です。運営には「お党屋制度」という当番制を取り入れている少し変わった祇園祭であり、800年の伝統を持つことから重要無形民俗文化財にも指定されています。

この祭りは元々祇園祭として行なわれていたのではなく、鎌倉時代にこの地を治めていた長沼五郎宗政という人物が祇園信仰に則り牛頭天王(建速須佐之男命)を祀るようになり、京都の祇園祭の祭式を地元の田出宇賀神社に取り入れたことから始まりました。

お党屋制度により運営されますが、これは12組あるお党屋組の中から「党本」と呼ばれる神主が毎年順番に選ばれるというもので、その年の担当となったお党屋を中心に前年と翌年の担当となる3組が協力して開催するという仕組みになっています。

三日間行なわれる祭りの最中は"しゃんぎり"というお囃子(おはやし)が流れる中、7つの「行器(ほかい)」(お神酒(みき)が入った角樽が3つ、赤飯を入れた行器が3つ、鯖を載せた魚台が1つ)を花嫁姿の女性たちが神前にお供えする「七行器行列」、子どもたちにより演じられる「屋台歌舞伎(子供歌舞伎)」、西、上、中、本屋台という四大屋台による「大屋台運行」といった祭事や神輿渡御、党屋前神事が行なわれます。最終日には音楽が演奏される中、終始無言で演じられる太々御神楽が奉納され、田島独自の祭事が多数行なわれている、日本を代表する祇園祭の一つです。

本物さながらの戦を見せる「相馬野馬追」

毎年7月相馬市・南相馬市の各神社や雲雀ヶ原祭場地などを会場として行なわれる馬追の神事で、相馬の始祖平将門が始めたとされる祭りです。宵祭り・本祭り・野馬懸という三日間にかけて行なわれ、いずれの日程も500騎に及ぶ武装した騎馬武者隊による本当の戦さながらの勇姿を拝むことができます。

・一日目の祭りで、各神社から出陣して戦場となる雲雀ヶ原祭場地へ向かい、陣羽織に身を包んだ騎手たちによって古式競馬の再現が行われる「宵祭り」

・二日目の祭りで、甲冑を身にまとい、腰に刀を差した騎馬武者たちが先祖伝来の旗差物をかかげ戦場を目指す「お行列」、戦場にて兜を縫いだ騎馬武者たちが砂埃をあげながら疾走する「甲冑競馬」、数百騎の騎馬たちが戦場に降り立ち四十本の御神旗を奪い合う「神旗争奪戦」の三つのイベントが開催される、最も熱く盛り上がる日である「本祭り」

・三日目の祭りで、神社内に追い込まれた馬を若者たちが素手で捉え、神馬として奉納する、荒々しくも古式ゆかしい神事の「野馬懸」

以上が三日をかけて行なわれます。この祭りは平将門が野馬を敵兵に見立て、軍事訓練を行なったことが始まりだとされていますが、かつての藩政時代にいつ隣接する伊達氏に攻め込まれるかわからない状況の中で、常に戦の準備をして怠らなかったという相馬の武士道精神が背景にはあるのです。

異色音頭が名物の「福島わらじまつり」

信夫山の羽黒神社では、長さ12m、幅1.4m、重さ2tにも及ぶ日本一の大きさを誇る大わらじ(片足だけ)が奉納される「信夫三山暁まいり」という祭りが300年以上にわたって続けられており、足腰が丈夫に日々を過ごせるご利益があると伝えられています。この祭りにあやかり、毎年8月に夏祭りとして行なわれているのが「福島わらじ祭り」です。

暁まいりと同じく片足の大わらじが会場に奉納され、二日間かけて国道を流し踊る「平成わらじ音頭」、わらじ音頭をヒップホップ風にアレンジした「ダンシングそーだナイト」、小学生と女性は大わらじを、それ以外の人は山車をひいて速さを競う「わらじ競争」のイベントを楽しみます。

また大わらじを奉納することは、暁まいりで奉納されたもう片方の大わらじとあわせると一足分のわらじとなることから、よりいっそうの健脚を祈願がする意味も込められています。

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