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パナマ運河/ホームメイト
ここでは、パナマ運河について紹介します。パナマ運河は、南米のパナマ共和国にあり海上運輸における近道として利用されています。太平洋と大西洋を直接結ぶ海上交通の要路で、2002年の時点における年間通航船舶数は13,185隻にのぼります。
パナマ運河の着工
パナマ運河が開通したのは1914年です。完成までの道のりは苦難の連続でした。パナマ運河の構想が生まれたのは、パナマ海峡が発見されたすぐあとのことでした。1534年に、スペインのカルロス一世が、パナマ海峡の調査を依頼したという記録があります。しかし、当時の技術力では、運河の建設はとても実現できる規模ではありませんでした。その後、400年の歳月を経てからパナマ運河の建設は始まりました。実際の着工は、1880年のことです。当初は、フランスのレセップスによって設立されたパナマ運河建設が、フランスの後押しを受けて着工しました。しかし、資金難や黄熱病の蔓延などの理由で倒産してしまい、建設を断念することになりました。
フランスがパナマ運河の建設から撤退したあとは、アメリカが代わって建設を行ないました。アメリカは、パナマ運河が経済や軍事的に必要な運河であると考えたからです。建設当時のパナマ海峡はコロンビア領でしたが、建設にあたったアメリカは、パナマ運河を自国の管轄にするよう強硬に主張しました。1903年になり、パナマ海峡の地域は独立してパナマ共和国となりました。アメリカは、パナマ共和国とパナマ運河条約を締結するに至り、パナマ運河建設と永久租借権を取得しました。それにより、改めて1903年からパナマ運河の建設が再開されました。建設工事に携わる人夫のマラリアや黄熱病を乗り越えながら、1914年8月15日にパナマ運河は完成しました。パナマ運河完成にあたり、運河による収益はパナマ共和国に帰属し、運河の管理権と施行権はアメリカに帰属するとされました。しかし1977年に、新パナマ条約が締結され、パナマ運河の施行権は、パナマに返還されました。
パナマ運河の特徴
パナマ運河は、閘門(こうもん)式運河です。運河中央部の海抜が高いことから、閘門を使って水位を上下させて船を通過させる方式になっています。パナマ運河を通過するためには、上り下りに三段階の行程が必要であり、その行程にかかる時間は24時間にも及びます。パナマ運河を通航できるのは、全長が294m、全幅は32.3m、喫水12m以下に制限されています。この最大サイズのことを「パナマックスサイズ」と呼びます。パナマ運河にある狭い航路を自力で航行できない船舶には、電気機関車を使って牽引を行ないます。さらには、他の区間ではタグボートを使用しています。また、パナマ運河の通行料金は、船舶1トンにつき1ドル39セントに定められており、平均的な通行料金は、約5万4,000ドルです。