冬の日本の城情報
冬にこそ訪れたい!絶景が楽しめるお城3選
日本各地に点在するお城は、四季折々で美しい風景を見せ、観光名所として、私たちの目を楽しませてくれます。その中でも今回は特に冬に訪れて欲しいお城のご紹介です。国内に数多くあるお城の中でも、冬の観光名所として有名なお城の見どころを詳しく解説。この冬は、ぜひ、日本各地にあるお城の、冬ならではの美しい姿を堪能してみましょう。
冬のイベントが盛りだくさんの「松本城」
年末の「松本城」の風物詩
自然溢れる長野県にある国宝「松本城(まつもとじょう)」は、冬にも美しい景色を見せてくれます。また、「松本城」で行なわれる様々な冬ならではの催し物も、見どころのひとつです。まず、12月1日に行なわれる「冬囲い」。本丸庭園にある小笠原牡丹(おがさわらぼたん)など、約50株の植物に「わらぼっち」を、松、キリシマツツジには「雪吊り」をかけて、雪の寒さと重みから守る行事です。
「松本城」の新年の風景
お正月準備として「門松飾り」も行なわれます。これは、新年を祝って、1年間無事に過ごせるようにと、国宝「松本城」の「黒門」及び「太鼓門」に、大きな門松を立てる行事。また、年の瀬が近付くと、職員約30名が総出で、天守閣や「黒門」、「太鼓門」の1年の汚れを落とす「すす払い」も開催されます。
新春の「松本城」を楽しめるイベント
年が明けてお正月に開催されるのが「新春祝賀式」です。こちらは新年をお祝いするお正月の恒例行事です。「古城太鼓」の打ち初めと共に黒門の大戸が開かれて、庭園内で様々な催し物が開かれます。1月の末には「松本城公園」で「国宝松本城氷彫フェスティバル」を開催。このお祭りは冬の「松本城」を背景に楽しめる催し物として人気です。
このように、アルプスの山々に美しく映える姿でそびえ立つ「松本城」では、冬期には素晴らしい絶景と共に開催される多くのイベントで、訪れる人を楽しませています。
優しいかまくらの灯りに癒やされる「横手城」
「横手城」の歴史
秋田県にあった「横手城(よこてじょう)」は、かつては「朝倉城(あさくらじょう)」と呼ばれていました。このお城は1550年(天文19年)、現在の秋田県南部において、勢力を築いていた小野寺氏によって建築されたと伝えられています。しかし、1868年(明治元年)、戊辰戦争によって横手城は落城しました。その後、1965年(昭和40年)に、3層からなる天守閣様式の展望台、通称「横手城」が建築されたのです。こうして「横手城」は、「横手盆地」が一望できる観光名所となりました。
小正月の恒例行事「横手の雪まつり」
毎年、横手市の小正月の恒例行事として行なわれる「横手の雪まつり」では、「横手城」を望む「横手公園」など、市内の至る所にかまくらが設置されます。「あがったんせ」という挨拶と共に地元の人々が観光客を迎え入れ、お餅や甘酒をふるまってくれる冬の風物詩です。市内一円に作られた数多くのかまくらにロウソクが灯る姿は、とても美しいもの。雪化粧が施された「横手城」を眺めながら、かまくらの幻想的な光景を楽しんでみましょう。
また、雪まつりの開催日に合わせて展示される様々な趣向を凝らした雪像も見どころ。「横手城」の美しさと雪の芸術を、同時に堪能することができます
空に浮かぶ美しい天空の城「越前大野城」
福井県にある「越前大野城(えちぜんおおのじょう)」には、秋冬にしか見ることができない美しい光景があります。それは、雲海が発生することにより、地上が全く見えなくなって、雲の上に浮かんでいるような幻想的な姿。しかし、この天空の城は、1年を通していつでも見られるわけではありません。雲海が発生するのは秋冬の寒い時期のみです。しかも、冬でも条件が合わなければ見ることはできません。その条件とは、前日に雨が降る、もしくは湿度が高くなり、なおかつ前日の気温がある程度高く、放射冷却で冷え込んだ明け方から午前9時までの間。具体的な時期は、10~4月末なのですが、最も多く雲海が発生するのは11月だと言われています。
また、雲海が発生する時期の12~3月は、「越前大野城」は休館となっているので、「越前大野城」の内部も楽しみたい場合は、訪れる時期に気を付けましょう。
2月頃には「結の故郷(ゆいのくに) 越前おおの冬物語」を開催。「越前大野城」の通りが雪灯ろうの灯りで彩られ、幻想的な雰囲気に。さらには、「越前大野城」を背景に夜空を彩る冬の花火は、大野市の冬の風物詩として知られています。
日本各地に残されている城では、冬ならではの催し物が各地で開かれます。中には個性的なイベントもあり、一風変わった城観光を楽しむことができます。
元日は天守閣が無料!「岡山城」
岡山県岡山市のシンボル・岡山城は、天守閣が黒漆喰の下見板張りの壁でできており、その色合いも特徴的であることから「烏城(うじょう)」の異名でも呼ばれ親しまれています。
豊臣秀吉からの厚遇により中国地方随一の大名の地位まで駆け上った宇喜多秀家によって築かれた岡山城天守閣は、三層六階建の複合式望楼型天守閣。その構造から織田信長の築城による安土城天守閣か、または豊臣秀吉の築城による大坂城天守閣を模した物ではないかと考えられているのです。その壮大な姿は、明治維新後も守られましたが、1945年(昭和20年)のアメリカ軍による空襲によって消失してしまいました。しかし、1966年(昭和41年)に消失前の姿に復元され、再び岡山のシンボルと返り咲きました。
この岡山城では毎年元日に、新春の訪れを祝う「烏城初夢まつり」が開催されます。獅子舞の演舞が行なわれたり、後楽園の田んぼで採れたお米によるお餅が振る舞われたりする他、コマ遊びや福笑いなどの正月遊びもできるため、子どもからお年寄りまで家族揃って楽しむことができます。またこの日は、天守閣も後楽園も入場無料。黒く壮大な天守閣から見下ろす元日の岡山市街の眺めを、思う存分堪能できる一日です。
冬の函館に輝く地上の星「五稜郭」
戊辰戦争最後の戦である箱館戦争の地として知られるのが、北海道函館市の五稜郭です。幕末の1864年(元治元年)に、徳川幕府の命によって築かれた日本で最初の西洋式城郭で、上から見ると星の形をした堀割が最大の特徴であると言えます。建設当初は、箱館奉行所として建造された五稜郭ですが、完成後程なくして幕府は大政奉還をしたために、明治新政府により地方機関である箱館府が1868年(明治元年)この地に置かれました。さらに翌1869年(明治2年)には、戊辰戦争によって五稜郭は再び旧幕府軍に占領されるなど、幕末から明治初頭にかけての激動の時代の波に揉まれるかのような運命を辿った城です。その後1914年(大正3年)には、五稜郭公園として市民に開放され、函館市の内外から人が集まる憩いの公園へと変貌していきました。
五稜郭の隣には、高さ107mの展望塔「五稜郭タワー」がそびえ立っています。五稜郭の美しい星型を眺めるには、このタワー展望台が最も見やすく、国内では大変珍しい五角形の堀の直線美や豊かに育った緑を見下ろすことができ、全国から多くの観光客が集まってきます。特に、毎年12月から翌年2月にかけては、五稜郭の堀の周りがライトアップされ、より幻想的でロマンチックな姿を楽しめます。その輝く姿は、まさに地上の星。思わずため息が出てしまう光景を堪能できます。
お城でクリスマスイルミネーション!「高知城」
毎年12月のクリスマスシーズンが近づくと、全国のあちらこちらでキラキラと輝くイルミネーションが行なわれます。街路樹に電飾が施されたり、大きなシンボルツリーがクリスマスツリーのように飾られたり、または商店街やアーケードなどでも色とりどりの光の装飾が輝き、一気にクリスマスムードが高まります。まるで外国へ来ているようなロマンチックな雰囲気に包まれ、「今年のクリスマスはどう過ごそうか」などと家族や恋人同士で話し合う光景がそこかしこに見られます。
ところが、そんなクリスマスイルミネーションが、歴史ある名城で楽しめる場所があることをご存知でしょうか。それは、土佐藩主山内氏の居城として名高い高知城です。
江戸時代は外様大名として冷遇され、その反発から倒幕運動の一翼を担い、明治新政府が起こると土佐藩からは要職となる人物が多く輩出。坂本龍馬、中岡慎太郎、後藤象二郎、板垣退助などの名だたる出身者がいますが、その居城であった高知城で、現在はクリスマスイルミネーションが楽しめるのです。毎年クリスマス前の3日間、天守閣中庭や二の丸・三の丸などを舞台にきらびやかなイルミネーションが輝き、ジャズなどのクリスマスライブも開催されます。
歴史を動かした名城でのクリスマスイベント。ちょっと意外な組み合わせですが、素敵な冬の夜を楽しむことができます。
写真撮影をするときに、澄み切った青空にそびえる天守閣はとても絵になりますが、この時期なら雪化粧を施した城を写真に収めたいものです。銀世界に佇む天守閣の姿は、この季節だけしか見られず、季節感が最も感じられます。そして、歴史を感じたい人には、城の周辺の町にも目を向けてみましょう。かつて城下町として賑わいを見せた街角には、今でもその痕跡を見ることができます。
雪化粧の城
雪が積もると、寒さが身に染みるだけでなく、交通ダイヤが乱れたり、交通渋滞を引き起こしたりと生活に大きな影響を及ぼすこともありますが、雪化粧をした城を見られるのは冬の季節だけです。太平洋側や西日本など雪が少ない地域ではほとんど見られませんが、日本海側や北日本の降雪地帯では、雪で覆われた天守閣を見ることができます。黒い屋根瓦もこのときばかりは白い雪を被り、周囲の雪景色の中に白く浮き出た感じがして、いつもと違う表情を見せます。
青森県の弘前城、新潟県の高田城、福島県の若松城(鶴ヶ城)、石川県の金沢城、島根県の松江城などは降雪地帯にあるため、雪化粧をした天守閣を見る機会に比較的恵まれます。
弘前城や高田城では、毎年2月に「雪灯籠まつり」が開かれ、雪化粧した天守閣が暗闇の中にライトアップで浮かび上がり、幻想的な雰囲気を醸し出します。また、朝日に照らし出される雪の城も美しい姿を見せてくれるので、写真マニアには最高のシチュエーションとなります。
寒い冬だからこそ見られる雪化粧の城を、一度訪れてみてはいかがでしょう。
城下町の面影を散策
城が築かれると、その城を中心に町が発展し、城下町として賑わいました。城下町は、戦争や自然災害、区画整理、開発などによって変化し、昔の姿を止めているところは少なくなっていますが、一部の区画だけにその面影が残っているところがいくつかあります。秋田県角館市や山口県萩市のように、城下町時代の痕跡となる武家町の町並みが保存されており、往時の姿を偲ぶことができます。
現在残されている城下町の形態は、織田信長の発案によるもので、兵農分離によって武士と商人の住む地域が分けられ、市街に楽市楽座を設けて商業や工業の発展を促したことで、人が集まるようになりました。そうした商人街だった地では、現在その都市の中心街としての機能を保っていたり、観光スポットとして整備されていることも多く、昔からの賑わいを今に伝えています。
旧城下町でよく見られるのは、武家屋敷の黒塀、商家の白壁、土蔵など伝統的な建造物です。道路こそ拡張して舗装してあるところがほとんどですが、かつての賑わいがうかがえるように低い屋根の建物が建ち並びます。他にも石垣の跡や街道を記す標石など、いろいろなところに城下町の面影が残されています。城の周辺の町並みを散策してみると、歴史の痕跡を見ることができ、当時の雰囲気を味わうこともできるでしょう。
堀の種類
城に欠かせないものに堀があります。敵から襲撃や侵入を防ぐために、城の敷地の周囲に造られます。大きな城になると、外堀と内堀の二重に堀を巡らすこともあり、徳川家康が大坂城を攻略するために、大坂冬の陣で外堀を埋め立てたことは有名です。堀には河川や湖を引き込んだ水堀と、水を引き込まない空堀があり、水堀は敵の侵入を防ぐとともに、有事のときは飲料水として利用することも想定していました。また、堀と河川を結ぶことで物流の役目を果たした堀もあります。山城は高台に水を引くことが大変だったため、空堀にしているところが多く、水はないものの、敵が襲撃してきても身を隠すことができないため、発見しやすく攻撃もしやすいという利点がありました。
堀は通常深く掘られますが、堀の底の形状も様々で、底が平坦になっているのは「箱堀」、底に丸みを持たせU字型にしてあるものを「毛抜堀」と言います。底をV字型にしてあるものは「薬研堀(やげんぼり)」と言って、一度落ちたらなかなか這い上がれないようにしてあります。この他に、堀の底に高低差をつけて、敵の移動を制限した「障子堀」や「畝堀(うねぼり)」などもあります。
交通事情や区画整理などで埋め立てられた堀もありますが、今でも一部の城で堀を見ることができます。
日本の城は文化財としての価値が高いため、防災活動はとても重要です。1月の文化財防火デーではこうした文化的、歴史的な文化財を守る取り組みが行なわれます。また、新春にはお正月ムードいっぱいのイベントも繰り広げられ、来場者を和ませます。
文化財防火デー
全国で天守のある城は、文化財として国宝や特別史跡などに指定されていることが多く、天守が再建されていても隅櫓(すみやぐら)や門、庭園などが築城当時のものであれば国や県が指定文化財として保護するなど、歴史的にも文化的にも貴重な建造物です。1月26日は「文化財防火デー」で、毎年文化財を火災から守るために防火訓練などが実施されます。
文化財防火デーは、1949年1月26日に奈良の法隆寺の金堂が炎上し、貴重な壁画が焼失したことが制定のきっかけとなりました。法隆寺は、現存する世界最古の木造建造物であり、歴史的にも貴重な建築物とされています。当時、この事件は国民に強い衝撃を与え、文化財を火災から保護することが世論で高まり、翌1950年に文化財保護法が制定されました。1955年には、法隆寺金堂が炎上した日を、当時の文化財保護委員会(現在の文化庁)と国家消防本部(現在の消防庁)が「文化財防火デー」と制定し、文化財を火災や震災などの災害から守ると共に、全国的にその運動を展開して国民の文化財愛護に対する理解や意識を高めようとしました。
その後、毎年1月26日を中心に文化庁や消防庁、都道府県・市区町村、地域消防団などが協力して、全国で文化財防火運動を展開しています。
文化財防火デーでは、全国各地の城郭、神社・仏閣などで放水訓練や初期消火活動を行なったりして、文化財の焼失や損傷などを防ぐ活動が行なわれます。
城の新春イベント
全国各地の城では、年が明けると新年のイベントを開催するところがあります。城だけにイベント内容は和のテイストがいっぱいで、どこも正月にちなんだおめでたい催し物で参観客を出迎えます。
これまでは、名古屋城や熊本城ではおもてなし武将隊が演舞を披露したり、新春パレードを行なって、観光客を楽しませました。松本城では新春開門式が毎年行なわれ、古城太鼓の打ち初めと共に門が開かれます。松山城では、初日の出の鑑賞や、地元名産のミカンジュースの入った樽での鏡開きを実施するなど、それぞれに趣向を凝らしたイベントが行なわれます。
開催日は城によって異なり、熊本城や松山城は元日から営業しています。初詣や初売りのショッピングなどと一緒に、地域の城にも出かけてみてはいかがでしょう。
武将の正月
現代は、正月と言ってもいろいろな過ごし方があります。家でゴロゴロくつろいだり、初詣に行ったり、海外で過ごしたり、元日早々ショッピングに出かけたりと多様化しています。戦国時代から江戸時代にかけては、城主である武将たちの正月の過ごし方も様々で、織田信長は、信忠や重臣を集め茶の湯を催していました。また、今川義元は、正月十三日を歌会始めの日と決めており、家臣などが集まって歌を詠んでいたそうです。義元は館で能役者に能を舞わせてもいました。
徳川家康の家臣・松平家忠は『家忠日記』に武士の正月を記録しており、それによると戦国時代の武士たちも現代と同様、親戚や仲間が集まり、酒を飲んだり初詣をしていたりしていたそうです。そして、登城して主君への年賀の挨拶も行なわれていました。家忠も毎年1月2日に出仕して家康に挨拶しており、能役者を招いて謡曲の「歌いはじめ」と言う儀式に出席したと書いています。その後も重臣や他の家臣の所へ挨拶に回り、夕刻になってようやく帰宅できるという状況でした。ただし、出陣中のときなどは、年賀の挨拶は免除されていました。
主従関係がはっきりしていた戦国時代は、出世のために上司への年始挨拶は欠かせないものとなっていたようです。