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野球場(阪神甲子園球場)土が買える!?/ホームメイト
明治神宮野球場と並んで野球の聖地と呼ばれる阪神甲子園球場では、選抜高等学校野球大会(春の甲子園)と全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)の、2つの高校野球の全国大会が行なわれています。負けたチームの選手が甲子園の土を拾って持ち帰る映像をよく目にしますが、実はこの甲子園の土と同じものが、販売されているって知っていましたか?
甲子園は高校球児の憧れの地
プロ野球の阪神ターガースが本拠地球場で、熱狂的な応援が名物となっている阪神甲子園球場ですが、高校野球においても特別な球場となっています。阪神甲子園球場は、選抜高等学校野球大会と全国高等学校野球選手権大会の2つの全国大会の会場となっており、全国各地の予選や選考によって選ばれた学校が日本一を争います。どちらの大会も戦前からの長い歴史を誇り、テレビ中継されて人気の高い大会です。これまでにも数々の名勝負、名シーンを生み出し、全国の高校球児の憧れの大会となっているのです。
最初に持ち帰ったのは生き神様
高校野球の甲子園大会では、試合の後でグラウンドの土を持ち帰ることがよく見られます。甲子園の土を最初に持ち帰ったのは、1937年に夏の大会で準優勝に終わった、熊本工業の川上哲治選手だと言われています。川上選手は、決勝の後、甲子園の土をユニフォームのポケットに入れて、自分の学校の練習場にまいたそうです。甲子園の土を持ち帰る風習が、いつ頃から定着したかははっきりしていませんが、春の甲子園では、夏にもう一度甲子園に出場するという意味で、土を持ち帰らないケースもあるようです。ちなみに初めて甲子園の土を持ち帰った川上選手は、のちに読売ジャイアンツの選手として活躍し、監督として9年連続日本一という功績を残し、プロ野球の生き神様と呼ばれるようにまでなりました。
持ち帰れなかった甲子園の土
いつしか持ち帰ることが伝統となった甲子園の土ですが、拾った土を没収されてしまった高校がありました。1958年の夏の甲子園大会で、首里高校が春夏通じて初めて、沖縄から甲子園大会に出場しました。1回戦で敗れた首里高校の選手たちは、他の学校の選手と同じように甲子園の土を拾ったのですが、当時沖縄はアメリカ統治下にあったため、検疫の関係で持ち帰ることができず、没収されてしまいました。そのことを知った日本航空の客室乗務員などは、阪神甲子園球場周辺の石を拾って首里高校に寄贈し、現在でも甲子園初出場を記念した「友愛の碑」として飾られているそうです。
販売される甲子園の土
阪神甲子園球場においては、選手がプレーするうえでも、また高校球児の一生の宝となる意味でも大切な土は、阪神園芸という会社が整備を行なっています。その阪神園芸では、なんと甲子園のグラウンドに使われるものと同じ成分の土を、販売しているのです。ただしグラウンドの補修用の「阪神園芸グラウンドキーパーの土」というもので、15リットル袋入りを10袋からの販売となっているので、個人で買うのは難しいですが、もし野球場のグラウンド整備を任されることがあったら、甲子園の土を入れることを考えてみてもいいかもしれませんね。