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イチローさん/オリックス・バファローズ

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日本だけではなく、メジャーリーグでも大活躍を見せた「イチロー」さんは、日本で有名な野球選手のひとりです。日本プロ野球では「オリックス・バファローズ」に所属し、振り子打法に代表される打撃力と走塁力を活かした活躍で、MVPをはじめとする数々の賞を総なめにしました。日本人野手初のメジャーリーガーとしても輝かしい成績を残し、多くのギネス記録も樹立した世界トップクラスの実力を持つイチローさんの特徴、経歴を紹介します。

オリックス・バファローズのイチローさんとは

イチローさん

イチローさんは1973年(昭和48年)10月22日、愛知県西春日井郡豊山町で誕生。本名は「鈴木一朗」(すずきいちろう)で、プロ入り当初は本名で活動していましたが、1994年(平成6年)に登録名を変更し、以降は「イチロー」の名で活動しています。1991年(平成3年)にオリックス・バファローズ(当時は[オリックス・ブルーウェーブ])に入団。

プロ入り直後からイチローさんの躍進は続き、1994年(平成6年)には日本プロ野球史上初のシーズン210安打を達成します。首位打者をはじめとする数々の賞を総なめにして、瞬く間に日本プロ野球界のトップ選手となりました。

2000年(平成12年)にメジャーリーグへの挑戦を表明し、米国の「シアトル・マリナーズ」へ移籍。日本人野手初のメジャーリーガーとなります。メジャーリーグでもイチローさんの勢いは止まらず、2004年(平成16年)に、メジャーリーグ歴代シーズン最多安打記録を84年ぶりに更新し、2015年(平成27年)には4,257安打でメジャー歴代最多安打となりギネス記録を樹立するなど、目覚ましい活躍を見せました。

2019年(平成31年)3月20日の「東京ドーム」(東京都文京区)でのメジャーリーグ日本開幕戦の試合を最後に現役引退。その後は、シアトル・マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターに就任しました。日本のみならず、世界でも大活躍したイチローさんは、数々の記録保持者でもあります。

日本プロ野球では、首位打者7回やパ・リーグ最多安打5回など複数のタイトルを獲得。メジャーリーグではシーズン最多安打記録、日米通算4,257安打のプロ野球通算安打世界記録、10年連続200安打達成、アジア人史上初の首位打者、盗塁王、シーズンMVP獲得など、輝かしい成績を残しています。メジャーリーグで日本人野手のパイオニアと言える存在なのです。

イチローさんの特徴

振り子打法

オリックス・バファローズ時代のイチローさんの代名詞とも言えるのが、独特のフォームでスイングする「振り子打法」。投手側へ向けた足を大きく振り上げて、振り子のような動きで重心を移動させる打法であり、その動きから振り子打法と呼ばれるようになりました。

イチローさんがオリックス・バファローズの2軍で活動していたときに、「河村健一郎」(かわむらけんいちろう)コーチの発案で生まれます。イチローさんのスイングスピードの速さと、重心移動量の長さといった特徴を活かした振り子打法によって、1994年(平成6年)には初タイトルである、首位打者賞と最多安打者賞を獲得したのです。

レーザービーム

イチローさんは強肩でも知られており、送球コントロール力も高く、守備の強さも特徴のひとつ。イチローさんの送球が「レーザービーム」と呼ばれるようになったきっかけは、シアトル・マリナーズ時代の2001年(平成13年)4月11日、「オークランド・アスレチック」戦でした。

3塁を狙った走者を、イチローさんはライトからノーバウンド送球でアウトにしますが、このときの矢を放ったような送球に対し、実況したアナウンサーがレーザービームと形容したことが由来。メジャーリーグ移籍直後でありながら、打撃だけでなく守備の巧みさも見せつけ、メジャーリーグに衝撃を与えたビッグプレーでした。

様々なルーティンワーク

イチローさんは、様々なルーティンワークを実施していることでも知られています。試合前のストレッチ、バッターボックスでの投球を迎える所作などが有名。バットを立ててピッチャーに向かって構えながら袖を捲る、「イチローポーズ」と呼ばれる仕草を思い浮かべる方も多いでしょう。

試合中以外にも毎日朝食にはカレーを食べるなど、イチローさんはプライベートにおいても細かなルーティンワークをこなしていたのです。試合に向けての準備を重要視するイチローさんは、自らの体調やストレス管理を徹底していました。

イチローさんの経歴

オリックス・バファローズ時代

小中学生時代から全国大会に出場していたイチローさんは、「愛知工業大学名電高等学校」(愛知県名古屋市)へ進学。2年生の夏には外野手、3年生の春には投手として甲子園に出場しました。試合は初戦敗退となりましたが、高校卒業後にはドラフト4位指名でオリックス・バファローズに入団します。プロ入り1年目で、二軍リーグのオールスターゲームでMVPを獲得。また、二軍時代には河村健一郎コーチと共に振り子打法を編み出しています。1994年(平成6年)に登録名を鈴木一朗からイチローへ変更。監督の「仰木彬」(おおぎあきら)さんによって、一軍に起用されてレギュラーポジションに定着しました。同年には、日本プロ野球史上初となる210安打で日本記録を更新しています。

また、打率3割8分5厘で首位打者、MVP、ベストナイン、ゴールデングラブ賞、最多安打賞、最高出塁率も獲得し、翌年には打点王と盗塁王にも選出されました。なお、イチローさんは初年度以降7年連続で首位打者、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得しています。1995年(平成7年)にはオリックス・バファローズがリーグ優勝。翌年には、日本シリーズ優勝を果たしてイチローさんは3年連続MVP選手となりました。

メジャーリーグ時代

2000年(平成12年)にポスティング制度を利用して、米国のシアトル・マリナーズへ移籍します。2001年(平成13年)のメジャーリーグデビュー初年から、242安打で新人最多安打記録を樹立。同年は首位打者、盗塁王、MVP、新人王、ゴールドグラブ賞を獲得するなど、その実力を見せつけました。

2004年(平成16年)10月には258安打を達成して、1920年(大正9年)に「ジョージ・シスラー」さんが打ち立てたメジャーリーグ記録を84年ぶりに塗り替えます。

シーズン安打は262安打となり、シーズン最多安打記録も更新。2007年(平成19年)には7年連続出場となっていたオールスター戦において、オールスター戦史上初のランニングホームランを放ち、メジャーリーグでは日本人選手初となるMVPに輝きました。

2012年(平成24年)にトレードで「ニューヨーク・ヤンキース」へ移籍し、2015年(平成27年)には「マイアミ・マーリンズ」へ移籍。2016年(平成28年)6月には4,257安打で「ピート・ローズ」さんの持つメジャー歴代最多安打を抜き、ギネス世界記録に認定されています。

8月にはメジャー史上30人目となる通算3,000安打を達成しました。2018年(平成30年)に、シアトル・マリナーズへと復帰。2019年(平成31年)3月20日に東京ドームで行われた、MLB日本開幕戦のオークランド・アスレチック戦に出場しますが、翌日に引退を発表しました。引退後は、シアトル・マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターに就任し、後進の育成に貢献しています。

9月には特別功労賞であるフランチャイズ・アチーブメント賞を獲得。また、学生野球資格を特例により回復し、日本の学生への指導にも着手しました。2022年(令和4年)にはシアトル・マリナーズの殿堂入りを果たし、日本人選手として初のメジャーリーグ球団殿堂入り選手となったのです。

まとめ

イチローさんはオリックス・バファローズでの活動後、メジャーリーグにおいても華々しく活躍。ギネス記録を樹立するほどの安打で知られる打撃力、レーザービームと称される強肩を活かした守備力、盗塁王に選出される高い走塁スキルなど、素晴らしい能力を活かした世界トップレベルの選手のひとりです。日本とアメリカ双方で数多くのタイトルを獲得し、現役引退後もイチローさんのプレー、スタイルは多くの尊敬を集めています。日本が世界に誇るレジェンドプレーヤーと言えるでしょう。