能登半島地震、そして豪雨災害。被災地と向き合う中で竹内が見つけた次なるビジョン。 | 平安伸銅工業

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能登半島地震、そして豪雨災害。被災地と向き合う中で竹内が見つけた次なるビジョン。

こんにちは、暮らすがえジャーナルです。

今回は、平安伸銅工業代表竹内のインタビューをお届けします。
能登半島地震発生以降、度々現地を訪れ被災地支援の在り方を模索していた竹内。
現地での体験や、その後の豪雨災害を受けたチャリティーイベントから、次のビジョンについて思うことがあったのだそう。

「必要とされたときに売るだけでいいのか」耐震ポールを扱う中で芽生えた思い

――代表取締役に就任してから、ずっと防災や災害支援に関心を寄せていたという。

もともと、防災用品を扱う会社として何かできないか、という思いはずっとあったんです。

耐震ポールは大きな地震が発生したり、それが報道されたりすると「何か対策しないといけないよね」とお求めいただく機会が増えるのですが、半年もするとその機会はほとんどなくなる。

人間、リスクに対してずっと緊張感を持つことは難しいので自然な流れなんですけど。

じゃあ、私たちは何も考えずに、求められた時だけ商品を提供し続けていればいいのか、ということは社長になった時から思っていました。
売って終わりではなく、本当は、災害が起こる前に正しく防災対策をしていただくことに意味があるじゃないか。災害に対して不安を抱えるユーザーの皆様の思いにもっと寄り添うことはできないのか、と考えていたんです。

とはいえ、社長就任当初はまず会社を立て直すことが先決で、なかなかそういったところまで手をつけられていなかったのですが。

――会社の体制が整い、あらためて防災について向き合おうと防災士の資格を取り、大阪公立大で指導を受け始めたときに起こったのが、1月の能登半島地震だった。

都市防災を研究されている先生に、地震とその際に起こる室内環境の変化を学び始めていたんです。新たなサービスや製品開発に役立てられたら、と思っている中で起こったのが能登の地震でした。

防災に加えて、実際に起こった災害に対しても何か自分たちが役に立てることはないか。

そう考え、大阪公立大の先生からアドバイスを頂いたり、現地で活動されている災害NGO結さんのお力を借りて、何度か現地にお伺いさせていただいたりしました。

実際に訪れた仮設住宅団地

そこで目にしたのが仮設住宅での暮らしです。

みなさん、元々被災される前は大きなご自宅に住まわれていたので仮設住宅では収納が足りず、狭い空間に効率よくモノを収納していくノウハウも不足していました。

また、仮設住宅で新たなコミュニティをどう形成していくかということも課題になっていました。

整理収納にも長年向き合ってきた会社なので、何かお役に立てることがあるのではないかと、9月にはある地区の集会所で仮設住宅にお住いの方向けに整理収納サロンを開催しました。

この取り組みを持続的に、さらに広範囲に被災者の皆様に届けていくにはどうすればいいか、それを考えているときに起こったのが豪雨災害でした。
収納サロンを行った地区でも土砂災害が起こったそうです。今すぐ何か助けになることがしたいけれど、何もできない。すごくもどかしい気持ちになりましたね。

能登で起こっていることは、自分たちに関係が無い話ではない。

――目の前の災害に対して私たちができることは何か、その思いで急遽行ったチャリティーイベントや募金活動。能登での被災地支援は当初と違う形になったが、その中で思うことがあったという。

豪雨災害の知らせを聞いて、何かできないかと色々考えたんです。

土砂災害の泥かきを手伝いに現地まで行くことはできなけれど、能登の今を一人でも多くの人伝えて、私一人の労働力以上のパワーを「募金」という形で届けることができるのではとチャリティーイベントや募金活動を急遽企画しました。

今すぐに現地のためにできることは少ないかもしれないけれど、一人でも多くの人が関心を持つことも長期的には支援に繋がるという思いもありました。

今回、地震や豪雨災害に向き合う中で強く感じたのですが、今、能登で起こっていることって、決して自分たちに関係のない話では無いと思うんですよね。

日本社会が抱える課題の縮図だなと思うんです。

激甚災害、過疎化や高齢化、それに伴う人手不足やコミュニティの崩壊、産業や街の衰退…。

そういった地方の衰退は巡り巡ってその生産を消費する都市にも影響を与えます。

それに、都市でも最近は酷暑だったりゲリラ豪雨だったり災害に見舞われていますよね。巨大地震だっていつ来るか分からない。そういった過酷な環境の中で、どう自分たちの暮らしを守っていくか。

そんな課題に、私たちは長期的に向き合わなければいけないんじゃないかと思っています。

平安伸銅工業がとどけてきた、そして届けたい「平安」な暮らし

今回のことで、改めて企業の在り方について考えたんです。

平安伸銅工業の「平安」という文字。

ここに込められた意味は祖父からも父からも申し送りされていないので「京都にゆかりがあったから」ぐらいにしか思っていなかったのですが、実はちゃんと意味があったのではないかと今は思っています。

「平安」を辞書で引くと「やすらかで変わったことのないこと。無事平穏なこと。」と出てきます。

この会社は、伸銅、戦後の住宅を大量に作るためのアルミサッシ、高度経済成長に伴う手狭な住宅環境改善のためのつっぱり棒と、事業ドメインを変えていきながら、ずっと日本の平穏無事な暮らしを支えてきたんじゃないかなと。

だからこそ、未来に向けて、先ほど話したような災害や課題から守られる「平安な暮らし」も作っていくべきではないのかなと。

――「短期的には目の前の災害と防災、そして今の暮らし。中長期的には未来の日本が持つ社会課題、この二つに真正面から向き合っていきたい。」と竹内は語る。

もちろん、現在の事業ドメインでは私たちだけで立ち向かうことはできません。

もともと、ドメインを変え続けてきた会社なので、どこかで大きな転換点があってもいいんじゃないかなとも思っているのですが、まずは、同じような思いの仲間を集めて大きなうねりを作りたいなと思っています。

壮大な目標ですが、数十年後、いつかわたしが経営者を引退するときに、娘の、家の中から見える暮らしが、平安で幸せであればいい。自分の手で、次の世代にそんな未来を残したい。そんなことを思っています。