川崎の妙楽寺ではじっくりと時間をかけて丁寧に書いた御朱印を頂けます。源頼朝の弟も住職を務めた源氏累代の祈祷所であった寺院の旧跡であり、現在では「あじさい寺」として地元では知る人ぞ知る存在です。
妙楽寺の御朱印
御朱印所
御朱印は本堂右手奥の寺務所でいただけます。
志納金300円
御朱印
「阿弥陀仏」とじっくりと時間をかけて丁寧に書いてくださいました。
一面に咲き誇っていたあじさい
妙楽寺の境内には28種のあじさいが約千株植えられており、6月も中旬になると一面に咲き誇ることから「あじさい寺」として地元では知る人ぞ知る存在となっています。
鎌倉の明月院や長谷寺に比べるとはるかに地味な存在ですが、あの平日朝の渋谷駅を思わせるような大混雑もなく、落ち着いた雰囲気の中でゆっくりと花を観賞することが可能です。
元はサツキが多かったそうですが、先代住職が悪くなったサツキに変えてアジサイを植え始めたのが始まりだったといいます。
あじさいで知られた寺院
源氏累代の祈祷所の旧跡
妙楽寺は多摩川を眼下に見下ろす長尾丘陵の一角にひっそりと存在する小さな寺院です。造件年代は不明ですが江戸初期であると考えられており。鎌倉時代に源氏累代の祈祷所であった威光寺の旧跡であったとされています。
威光寺の創建は9世紀中頃とされており、多摩川の右岸丘陵という立地であることから鎌倉防衛の拠点として源頼朝から大変に重視されました。頼朝は弟の全成(ぜんじょう)を威光寺住職として派遣し、所領を安堵(あんど)するなどして同寺を厚く保護しました。そのため全盛期には広大な寺領を持ち、その中には幾つかの坊や付属寺院があったと考えられています、しかし鎌倉幕府の滅亡によって威光寺は次第に衰微し、そのまま歴史から姿を消してしまいました。
数年前に妙楽寺の土蔵に安置されている木造薬師如来両脇侍像を修理した際、日光菩薩像の胎内に天文14年(1545)の紀年と「武州立花郡太田郷長尾山威光寺」の墨書銘が発見され、このことから威光寺と妙楽寺との間には深い関係があったと考えられています。
アクセス
交通
南武線宿河原駅徒歩約17分
地図
妙楽寺の境内
妙楽寺へのアクセスとしては様々なルートがありますが、私は南武線の宿河原駅から歩きました。(25分くらい歩いたと思う)
この周辺では「長尾の里めぐり」として地域の名所を一回りできるようになっており、要所要所に案内図があって迷わないようになっています。
途中からはかなり急な上り坂となりますが、沿道に植えられたあじさいを眺めながら上っているとそれほど苦にはなりません。
寺号標
この日は日曜日であったためかなり賑わっていました。
参道
焔魔堂
鐘楼堂
鐘楼の周りはあじさいの回廊のようになっていました。
薬師堂
賽銭箱の底に金属製のパイプが取り付けられており、硬貨が当たると澄み切った音が境内に流れます。
山門
手水舎
こちらもあじさいの花で飾られていました。
本堂
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