三崎稲荷神社ではコロナ禍の社会情勢でも流れるような美しい書体の直書き御朱印を頂けます。水道橋の駅前にありながらほとんどの人が見逃してしまうような地味な神社ですが、じつは平安時代末期に創建された大変に歴史のある神社です。
三崎稲荷神社の御朱印
御朱印所
御朱印は拝殿向かって左手の授与所でいただけます。
受付時間 9:00~17:00
初穂料500円
御朱印
コロナ禍という社会情勢下で書置き対応が多い中、御朱印帳にしっかりと直書きして頂きました。流れるような筆跡の美しい御朱印です。
過去に頂いた御朱印
平成31年2月3日付です。
オリジナル御朱印帳
三崎稲荷神社ではオリジナル御朱印帳も扱っています。サイズ・価格等、詳細は不明です。
「旅の安全」のご利益
三崎稲荷神社は、三代将軍家光が参勤交代の制度を定めたときに自身もお参りし、諸大名にも参拝を促したとされています。それがきっかけとなって諸大名は参勤交代で江戸に入る際に三崎稲荷神社にお参りして身を祓い清め、帰路に就く際も再びお参りして旅の安全を祈願したといいます。
そのことから三崎稲荷神社は「清めの稲荷」と呼ばれるようになり、現在に至るまで「交通安全」や「旅の安全」のご利益で知られています。大隈重信が海外へ渡航する際に旅の安全を祈願するためお参りし、明治45年に南極を探検した白瀬矗率いる探検隊のメンバーもこちらのお守りを持参して無事日本に帰還することができました。
激動の歴史を乗り越えてきた神社
三崎稲荷神社はJR水道橋駅の駅前にあり、東京歯科大水道橋病院と駅の間に鎮座しています。1182年に神田山(現・駿河台)の山麓(現・本郷一丁目)に武蔵国豊島郡三崎村総鎮守として創祀されたと推定されており、平安末期以来800年以上の歴史のある神社ということになります。
創建以降400年間は何もなかったようですが、徳川家康が征夷大将軍になって江戸に幕府が開かれると激動の渦に巻き込まれ、大工事が行われるたびに敷地が引っかかって移転しなければならなくなります。
1603年2月には徳川家康による潮入地埋立工事、4代将軍家綱の時代である1659年には江戸城外濠神田川筋の堀割り工事のためそれぞれ移転を余儀なくされました。さらに幕末の1860年には幕府講武所開設のため旧水道橋西ぎわに遷座することになります。
激動は明治になっても続き、甲武鉄道(現JR中央線)の万世橋延伸に際して境内が鉄道用地に引っかかってしまい明治38年にまたしても移転することになりますが、これにより三崎稲荷神社はようやく安住の地にたどり着くことができました。
アクセス
交通
総武線・三田線水道橋駅徒歩約2分
地図
周辺の寺社
三崎稲荷神社の境内
大鳥居
ビルに囲まれたような立地であるため水道橋の駅前であるのに全く目立ちません。私も水道橋駅は何度も利用しましたがこれまで全く気付くことはありませんでした。
道中安全祈願
いにしえの旅の必需品であった草鞋を奉納し、人々の旅の安全を祈念しています。
拝殿
これまで幾度となく遷座を繰り返してきたにもかかわらず堂々たる格式を維持しています。
本殿
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