「藝大生の親に生まれて」は、芸術家の卵を子に持つ親御さんにご登場いただき、苦労や不安、喜怒哀楽、小さい頃の思い出やこれからのことなど、様々な思いについてお話をうかがい、人が芸術を志す過程や、生活の有り様について飾らずに伝えます。
──小さい頃の楽さんは、どのようなお子さんでしたか。
(母)泣き虫で、元気があって、食べるのが大好きで、友達みんなと仲良くしている子どもでした。おてんば娘というよりも、「元気印!」って感じの子どもでしたね。
(楽)小さい頃から音楽を聴いたり歌ったりするのは好きでした。ピアノを習っていたわけではなかったけれど、家にアップライトピアノがあったので適当に弾いてみることもありましたね。あとはテレビっ子だったので、テレビに映る歌手や演奏家の真似もよくしていました!
(母)そうそう。私はロックやパンク、スカが好きだったので、子どもたちと一緒に野外フェスや知人のライブに行くこともありました。そこで観たものを、姉弟全員で真似して歌ったり踊ったり……。思い返してみると、とても賑やかだったように思います。
──小さい頃からフェスにも行かれていたとは。幅広い音楽ジャンルの中でも「邦楽」を選ばれたきっかけ、気になります。
(母)楽が小学3年生の春の話です。私の職場にいたアルバイトの方が「雅楽を演奏するので観に来てくれませんか」って声を掛けてくれて、子どもたちを連れて観に行きました。楽はジーっと観ていて、観終わったあとに「あれ、やりたい」って言い出したんです。
特に舞をやりたいと言っていたのですが、私自身も「そもそも雅楽って?」みたいな状況。何から始めたらいいかも分からなかったので、彼女に相談すると、「舞は男性が演じることが多く、小学生の女の子が始めるには大変かもしれません」とのことだったんですね。
彼女は篳篥(ひちりき)を担当していたこともあり、それも一緒に楽に伝えると、「じゃあ篳篥やりたい」と。とにかく、やりたいことには突進していくタイプですよね。いい意味の自己中です(笑)。
──その後はどのようにして箏と出合ったのでしょう。
(母)雅楽を学べる教室が住んでいるところの近所(大阪)にありました。ただ、2年に1回しか生徒の募集を行っておらず、ちょうどその年は募集がない年だったんですね。入会費が中々かかることもあり、「本当にやるのかどうか」を1年間かけて考えることにしました。そこからは寺社の雅楽奉納があるときに、家族みんなで観に行くようになりましたね。
(楽)これまでライブを観に行っていたのが、雅楽になった感じだったよね(笑)。それで奈良県にある春日大社に行ったときに、初めて「楽箏」を目にして。なんかこう、1番ビビッと来ちゃったんです。ただ、本当に何も知らなかったので、とにかく調べてみようって感じで。
(母)先ほどお話ししたアルバイトの方は大阪芸術大学に通っており、大学で箏を教えられている志村智恵子先生を紹介してもらいました。先生は、自宅でも箏の教室を開かれていたんですね。それでお話を伺ったうえで、月に3回ずつ箏のレッスンに通わせていただくことになりました。小学4年生の12月のことです。
──藝大の受験を決めたのは、いつ頃だったのでしょうか。
(楽)実は中学校の吹奏楽部でフルートを始めたことがきっかけで、音楽科の高校にフルートで進学したんですね。ただ、箏もずっと続けていたので、フルートと箏のどちらで大学に進学するか、とても悩んだ部分もありました……。
先生とも何度も話し合いを重ねる中で、最終的に「箏で藝大に行きたい」という気持ちが固まり、高校2年生の頃に藝大の受験を決めました。
──フルートで高校に進学してから、箏で藝大に! なかなか珍しいキャリアだと感じますが、短い期間での受験は大変でしたか。
(楽)音楽科の高校に進学していなかったら、きっと「楽典」だってどんな勉強をすればいいか分からなかったんじゃないかな。高校の授業で受けていたからこそ、自然と頭に入ってきて、着実に受験準備を進められました。箏の実技については、ただただ師匠についていく日々でした。
(母)受験自体は大変だったとは思うのですが、そこまで思い詰めている様子は感じなかったように思います。自然体だったかな。私自身、「サポートしなきゃ!」みたいな感じもそこまでなかったかもしれません。ただ、受験準備のために東京まで毎月レッスンに通わせていたので、1人で東京に行かせるのはやっぱり心配でしたね。
(楽)受験は藝大1本だったので、落ちたら浪人しかないねって状況ではあったんですけれども、「東京」という場所に行く自分を想像できなくて。未知数だからこそ何も考えていなかったのか、そこまで追い込まれていたというよりかは「どんな世界なんだろうな〜」とずっとフワフワしていた気がします。
──入試当日も、自然体で?
(楽)いや、当日はめちゃくちゃ緊張しました!
(母)入試の間、少しでもよく眠れるようにカモミールとオレンジが入ったアロマを持たせたんですね。しかし、どうやら楽の中ではその香りがトラウマになっているようです。
(楽)あの香りを嗅ぐと、入試当日を思い出して緊張しちゃうから(笑)。
──入試当日、お母様はどのようなお気持ちでしたか。
(母)本人のことは信じていましたが、風邪や怪我の心配は大きかったです。道を歩くときは端っこを歩いて、手袋をして、手を隠しなさいって。「気をつけてね」だけでは「はーい」で終わってしまうので、「絶対に怪我をしないように歩きなさい!」って細かく伝えましたね。
(楽)なんとか最終試験まで進むことができて、合格発表の日は母と一緒に会場まで行きました。早く着いてしまって、上野公園で時間を潰していたのですが、もうずっとソワソワしちゃって。全く落ち着かなかったです。
(母)合格発表の貼り紙が、もうなんというか暗号みたいだったんですよ。楽は「あった!」って言うんですけれど、私は「え、どこどこ?」みたいな感じで……。でも、合格が分かったときは、本当に嬉しかったです。第一声は「先生に電話!」でした(笑)。
(楽)それで泣きながら電話したよね。
──現在大学院に通われていますが、進学を決めたのはいつ頃だったのでしょうか。
(楽)ぼんやりと憧れは抱いていたものの、進学を決めたのは大学4年生の頃です。院試の曲が発表されて、「やっぱり私は大学院に行こうと思っているようだ!」と自覚したというか。まだまだ勉強したいこと、しなければならないことがたくさんあったので、大学院の受験を決めました。
──これから取り組んでいきたいことなど。修了後のことについて伺いたいです。
(楽)大学院に進学してからは、外部の学校に行って箏のレクチャーをさせていただく機会も増えてきました。大学の外で活動する機会も増えてきたことで、「教えることが好きなんだ」と感じた部分もあります。でも、やっぱり演奏は自分が1番好きなことだし、「箏」という楽器の魅力を多くの人に知っていただくためにも、演奏活動は一生続けていきたい。
また、最近はバンドのレコーディングに参加させていただいたり、美術とのコラボレーションをさせていただいたり……といった機会も増えてきました。枠に囚われない表現というか。箏の魅力を伝えるひとつの方法として、さまざまなジャンルの表現も取り入れながら、活動していきたいと思っています。
──楽さんの今後について。お母様はどうお考えでしょうか。
(母)演奏家としてどんどん世に出ていってほしいと思っていますし、「楽ならできる」と信じています。本人は「自分はまだ生まれる前の卵だ」って言うこともあるんですが、でも、まずは卵になれたじゃないって思うんですね。なので、本当に大きく、みんなに聞こえるように「コケコッコー!」って羽ばたいてほしいです。
(楽)ニワトリなんだ!!(笑)。
(一同)(笑)。
(母)勝手にニワトリにしちゃった(笑)。でも、「朝ですよー!」って、「私の音を聴きなさいよー!」ってね。そのくらい真っ直ぐに、自分の気持ちを大切に、「いい意味の自己中」を貫いてほしい!
──藝大を目指しているご家族に、実体験を踏まえたアドバイスやメッセージがありましたらお願いします。
(楽)私が箏と出合って藝大を目指そうと思ったように、やっぱり好きなものに取り組んでいくと、進みたい方向が自然と見えてくると思うんですね。
たくさん存在する選択肢の中で、「藝大に行く」という方向に進みたいと思ったら、とにかく入学した後のことを想像して、夢を膨らませること。そして、そのワクワクを抱きながら、ひたすら突き進んでいくこと。それが一番だと思います。もちろん辛いこともたくさんあるとは思いますが、藝大には「芸術と真摯に向き合い、楽しんでいる仲間」がたくさんいる。そう伝えたいです。
(母)「藝大を目指す」と自分で決めることが、まずは本当に素晴らしいことだと思うんですよ。なので、親としてはそれを確実に進めていけるように、試験の日程や、時間、あとは持ち物とか。本当に考え出したらいくらでも出てくるような「小さなところ」をきちんとカバーしてあげることは大切だと感じています。
受験する本人は、試験に向けて一杯一杯になっちゃうじゃないですか。でも、親も同じくらい緊張していたら、どこかが抜けてしまう可能性もある。試験のことは子どもと先生に任せて、試験以外のことは親ができる限りサポートできるといいんじゃないかな、と私は思っています。
文:門岡明弥 撮影:三浦一紀 「藝大生の親に生まれて」への出演希望の親子を募集しています。 ご希望の方は企画総務課 総務・広報係まで MAIL:contact(at)ml.geidai.ac.jp ※(at)は@に変換してください。