1906年、ダイヤモンド商で宝石細工職人の家に生まれたアルフレッド・ヴァン クリーフと兄・シャルルがパリのヴァンドーム広場にヴァン クリーフ&アーペルのブティックを開業。
ヴァン クリーフ&アーペルはフランスのジュエリーブランド。アルフレッド・ヴァン クリーフとエステル・アーぺル夫妻の結婚を機に誕生したメゾンは、「愛・美・夢」をテーマに、宝石・時計・香水などのハイジュエリーを展開。
メゾンの代表的なアイコンの一つ「アルハンブラ」は、幸運のシンボルである四つ葉のクローバーがモチーフのコレクション。また、庭園の美しさと自然の再生からインスピレーションを得たコレクション「フォリヴォル」など、自然からインスピレーションを得たデザインが多い。
バーバラ・ハットンやマリア・カラス、モナコ公妃グレース、ウィンザー侯爵夫人、ソラヤ王妃、フローレンス・ジェイ・グールドといった著名な顧客にジュエリーを提供してきた。
近年は、ブランドのコレクションにも登場。これまでカール ラガーフェルド、ギャスパー ユルケヴィッチ、ヴィクター&ロルフなどのコレクションで使用され、コレクションをより美しいものに飾っている。
1896年、アルフレッド・ヴァン・クリーフとサロモン・アーペルの娘、エステル・アーペルが結婚。その後、アルフレッド・ヴァン・クリーフとサロモン・アーペルがビジネスを開始する。その後、エステルの兄弟にあたる、ジュリアン、ルイ、シャルルも加わる。
1906年、初めてのショップをパリのヴァンドーム広場にオープン。この店舗は現在でも同じ場所にある。ヴァン クリーフ&アーペルを設立。アルフレッドは経営者としての素質だけではなく、ストーンカッティング(宝石のカッティング)に大変長けていたという。
ルイアーペルは営業としての素質を発揮し、マレーネ・ディートリッヒ、モーリス・シュバリエ、エヴァ・ペロン(アルゼンチンの大統領夫人でエビータと言われた。映画「エビータ」で有名)など当事のセレブを顧客につけていく。マレーネ・ディートリッヒはヒッチコックの映画、舞台恐怖症でヴァン クリーフ&アーペルのダイヤのネックレスを身につけた。
1925年、「薔薇の花」というブローチでアール・デコ展大賞を受賞。1930年、ミノディエールを発表、これは洗練された美しいイブニングバッグで、口紅などの化粧品を入れるのにもちょうどいい大きさで、多くの女性をとりこにした。
1933年、表から石を支えるつめの部分を見えなくする特殊な技巧を用いる「ミステリー・セッティング」を開発。この技巧は現在でも多くの高級ジュエリーに用いられている。1936年には、時計とジュエリーを結びつけたカデナウォッチを発表
1942年、ニューヨーク五番街744番地にブティックをオープン。
1949年にはPA49ウォッチを発表。
1955年、グレースケリーが婚約祝いにヴァンクリーフ&アーペルのダイヤモンドとパールのネックレスを受け取る。これは3つのパールのネックレスをダイヤモンドが一つに結ぶもので、エレガントなもの。
1967年、イラン王妃、載冠式用のクラウンのオーダーを受け、4ポンドのパール、ルビー、ダイヤモンド、エメラルドで作られたクラウンは6ヶ月かけて作られたという。
1972年、時計専用のブティックをオープン。
1976年、ヴァン クリーフ&アーペルの最初の香水「ファースト」を発表。調香師は、ジャン=クロード・エレナで、これをきっかけに数々のメゾンの香水を手掛けていく。
1999年、スイスのリシュモングループの傘下に入る。2003年にはジュリアロバーツがヴァンクリーフ&アーペルのブレスレットをつけて、アカデミー賞の主演女優賞を受賞した。(映画はエリン・ブロコビッチ)
2008年、クロエとコラボレーションで、ヴァン クリーフ&アーペルのアイコン「アルハンブラ」とゴージャスなメタリック・パイソン・レザーが融合したイブニングバッグや、白蝶貝、黒蝶貝、オニキスの「アルハンブラ」を贅沢に使ったネックレスなどを発表。2012年、ジュエリーの学校レコール ヴァン クリーフ&アーペルをパリに開校。
2010年、ジュネーブウォッチグランプリにおいて、2010年発表の「レディ アーペル ポン デ ザムルー ウォッチ」がグランプリに輝く
2017年、ハイジュエリーと京都の伝統工芸を対比・融合した展覧会「技を極める-ヴァン クリーフ&アーペル ハイジュエリーと日本の工芸」を京都国立近代美術館で開催。
2018年、大阪・心斎橋に路面店オープン 。