【あの人は今こうしている】
沢田知可子さん
(現・澤田知可子/61歳)
♪今年も海へ行くって~と切ない歌詞が心に刺さる「会いたい」(トーラスレコード=現ユニバーサルミュージック)。沢田知可子さんが1990年にリリースし、ミリオンセラーを記録した。
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沢田さんに会ったのは、東京メトロ・銀座駅から徒歩3分のカフェ。
「今日は新幹線に乗って、小田原から来ました。3年前の11月に東京・世田谷から引っ越したんです」
沢田さん、まずはこう言った。え、なぜ小田原?
「コロナがきっかけです。音楽は不要不急といわれ、コンサートがまったくできなくなった。最初は、プロデューサーで夫の小野澤篤とアルバム制作に集中していたんですけど、行き詰まってきて。東京にいる必要はない、『会いたい』で歌って憧れてきた、“海の見える街”へ行きたい、と思い立ち、すぐに決めちゃいました(笑)」
海へ歩いて3分、小田原駅へは10分の戸建てで、夫婦2人暮らし。子どもはいない。
「地方コンサートの旅から帰って、夜、缶ビールを飲みながら、夫と静かな浜辺を散歩するとリラックスできますね。ほかにも、大都会・東京とは違って、“街と仲良く”しています。
小田原は新幹線の停車駅であることも、転居先の決め手になった。
「この9月まではラジオのコミュニティーFMで週1回4時間しゃべり、レコーディングもあったり、で週3回ほど東京に来るんです。コンサートの依頼も去年からまたどっと増えたので、新幹線の停車駅にして正解でした。コロナ禍は例外として、これまで毎年、アルバムを1枚制作し、コンサートを約60本、というペースで活動を続けてきました。今年は『うたぐすり~Best Selection』という、私自身が選曲したベストアルバムを4月にリリースし、68カ所へ。夫のピアノで私が歌う“夫婦ライブ”をお届けしています」
68カ所とは忙しい。
「移動の疲れから復活するのに、時間がかかるようになりましたね(笑)。還暦を過ぎましたから、これからは少しゆとりをもち、コンサートの後、その土地の観光名所などを巡ってゆっくりしようか、と夫と話し合っています。これまでは歌って帰るだけだったので」
32歳のときに結婚したので、2025年で丸30年。仲が良いんだなぁ。
「120%、夫の辛抱のおかげ。
14~15年には、「会いたい」の作詞家・沢ちひろ氏から訴えられ、騒動になった。
「沢さんは天才。尊敬しているのに、その思いをうまく伝えられていなかったので、先生を怒らせ、寂しがらせてしまったのかもしれません。裁判は結局、沢さんが私に電話をかけてくださり、お互い本音で話せたおかげで誤解が解け、訴えを取り下げてくれました。その翌年に心不全でお亡くなりになったことを、後に彼女のお姉さんからうかがったときは、本当にショックでした」
19年からは夫がマネジャーも務める。
「それで、ますます絆が深まりました。まるで夫婦ユニットなので、デビュー35周年を迎えた2年前、主人の名字の“澤”の字を取り入れ、澤田知可子に芸名を変更しました。私は良い意味で、主人に依存しているんです(笑)」
さて、埼玉県与野市(現・さいたま市中央区)出身の沢田さんは高校卒業後、浦和交通安全協会でOLをしながらライブハウスで歌っていたところ関係者の目にとまり、87年「恋人と呼ばせて」(トーラスレコード)でデビュー。90年にリリースした「会いたい」が有線から火が付き、130万枚と大ヒット。
「レコード会社をクビ寸前のタイミングで、ようやく『会いたい』のヒットに恵まれました。『会いたい』を超えるヒットを出そうと、もがいた時期もあり、自暴自棄になるほど苦しみました。でも、40歳を過ぎた頃、テレビの音楽番組の“涙の名曲”を選ぶ企画で『会いたい』が1位に選ばれ、04年には新潟県中越地震に見舞われた長岡で歌ったら、お客さんが涙を流され……。『会いたい』はセラピーなんだ、と気付き、『会いたい』を超えたいと思うのはやめました」
12月1日、大阪・岸和田の「むくの木ホール」でコンサート開催。
(取材・文=中野裕子)