一流大学を卒業した「高学歴芸人」はもはや珍しくない存在となりましたが、大島さんはいままさに現役の東大生。
しかも、「芸人になるために東大を受験した」というのです。
東大に芸能関連の学部はありませんが、なぜ芸人になるため東大だったのか。いったいどんな芸人を目指しているのか── 本人に話を聞いてみました。
東大を受験した「本当の理由」
大島さん「怒られるかもしれないですが……『芸人なのにいい学校に行ってる』というフックを作りたかったんです。
でも、早稲田や慶応はすでに俳優さんも芸人さんもたくさんいらっしゃるから、あまり珍しく感じられない。せっかく頑張るなら東大くらい行かないと意味ないのかな、と思って受験しました。
法学部を目指したのも『東大のなかでも難しい学部に入れば、そのぶんギャップがあって面白いんじゃないかな』という気持ちで……」
──東大法学部って、ネタで入れるものなんですか!?
大島さん「東大入学は第一関門を突破するための手段でもあったんです。両親から『東大に入ったら何をしてもいいよ』と言われていたので……。
本当に厳しい親だったんです。勉強第一で、テレビも全然見せてもらえなくて。幸運なことに、英会話の勉強用に買い与えられたラジカセがテレビの音声も聞けるタイプだったので、お笑い番組の音声だけを聞いては想像をふくらませていました」
──ご両親は期待通り納得してくれたんでしょうか。
大島さん「それが…… 全然納得してくれなくて。
漫才のための衣装をもって家を出ようとすると『いつまでこんなバカなことをしているの』と止められて、30分くらい押し問答になって劇場の入り時間に遅刻してしまったり……。
そんななか、体調を崩して入院することになって。病院を手配してくれたのが、事務所の(太田光代)社長だったんです。結果、思いもよらぬかたちで病室での“三者面談”が実現しまして。
僕のために奔走してくれた社長の手前、両親もあまり強く出られない。ようやく渋々ではありますが親も認めてくれるようになりました」
──壮絶な話ですね……。そこまでしても、芸人になりたかったのはなぜ?
大島さん「とにかく『面白いもの』を追い求めていたかったんです。文化的じゃない、多様じゃないものはこの世に存在しなくてもいいとすら思っていたから、いろんな面白いものに飛び込み続けたかった。
でも、まだ何者にもなっていない自分を、どう名乗ればいいんだ? と。
『何でも面白いことにチャレンジするクリエイター』だなんて、うさんくさいし……。いまでこそユーチューバーのような職業もありますが、当時はそんな文化もまだありませんから。
そのときお手本にしたのが、当時ブレイクしていた劇団ひとりさんや、品川祐さんといった人たちだったんです。
売れてから音楽をやったり本を出したりするのではなくて、ブレイクしながらどんどん活動を多角化させて、かつそれによってマルチタレントという地位を築いていた。
『芸人って、どんなことにもチャレンジしていい唯一の職業なんじゃないか?』と。
いろんなことに興味を持ってしまう。作家にもなりたいし音楽家にもなりたい。漫才師として極めたい気持ちもある。でも自分が集中力がないから、ひとつ決めてその道だけを10年極め続けるようなことはできない──
そんな自分が世に出て堂々と名乗れるのは『芸人』しかないんじゃないか、と思ったんです」
学ぶこと自体が“芸”になる
──現在、芸人さんとしてはどんな活動をされているんですか?
大島さん「去年の夏から『大喜利を勉強するライブ』というものを始めました。大喜利を上達したいけれど、いまいち自信がもてなくて。ならば、舞台上で直接先輩にヒントをもらいながら大喜利の仕方を教わって、その様子をひっくるめてライブとして見せちゃおう!と思いついたんです。
最初は月1回の開催だったんですが、どんどんお客さんが入るようになって、いまでは月3回の開催にまで増えました」
──ほぼ毎週じゃないですか!すごい!
大島さん「本当にありがたいですね。
お客さんたちは、僕が面白いから見に来てくれるわけじゃないんです。僕が舞台上であれこれ悩んで、先輩に『これ、どうですかね……』と相談しながら大喜利を学んでいっている様子が面白いんだと。
学ぶ姿勢を見せるってことが、芸として成立するんだと知りました」
──勉強が「芸」になるということですか?
大島さん「一番最初に『いい誤答』をすることで場の話を広げることができる、ということを学んだんです。
社長に誘われて、IT業界で活躍する方々との食事の席に混ぜていただいたことがあるんですが、僕が違う理解をしていても、詳しい方が『そうやってよく誤解されるんだけど、それはね……』と訂正してくれて、さらに深い話へとつながっていったんです。
20代という年齢だと、たいていの場所ではその場で自分が一番若くて一番下の立場、ということが多いんですよね。でもそれって、逆に利点だなと思って。
上の人達は後輩たちの手前、誰も間違えることができない。そこで僕が一番最初に率先して『間違える』ことで、その場の話題自体が広がるように意識してみることにしたんです」
──知らない、詳しくないということを武器にするわけですね。
大島さん「もちろん、見当ちがいのことばかり聞いていては空気が悪くなってしまいますから、普通の人よりはちょっと勉強して知っておく。でも詳しい人からは生意気に見えないくらいに謙虚さを保つといいますか…… でも、この過程がすごく楽しいんですよね」
芸人とは「未知のオモシロ」を見つけて見せる仕事
──大島さんの根っこにある感情が気になります。どんなことを念頭において活動しているのでしょうか。
大島さん「楽しくない時間は徹底的に削りたい、という気持ちがあります。
あぁ、自分も賢くなっていくなぁ、という実感がある時間しかいらないというか。
これまで見たことがない、味わったことがない、というものだけで日常を埋め尽くしたいと思っています」
──面白いものをつくりたい、というより「面白いものを見つけたい」というスタンスなのでしょうか
大島さん「お笑いがお笑いとして必要な時代はとっくに終わっていると思うんですよ。技術としてのお笑いが浸透して、本職じゃない人も“お笑い”をできるようになっているから。
『M-1グランプリ』以降、面白さの審査基準が言語化されるようになって『フリ』とか『オチ』とか『ボケ』とか、そういった言葉を一般の人もここ20年くらいで急激に使うようになった。
いま僕らが戦う相手は人気の芸人ではなくて、りゅうちぇるさんや武井壮さん、DJ KOOさんたちだと思っているんです。芸人として対峙するなら、相当面白くないとこの3人に渡り合えない。でもこの人たちはお笑いだけを磨いた結果面白くなったわけじゃないじゃない。そういう人たちと勝負するのは、とても大変なことです」
──バックグラウンドから「面白い」人たちにプロの芸人は勝てない、と。
大島さん「はい。でも、そういった人たちだけの世界になってしまったら、お笑いは進化していかないという危機感もあります。
たとえばテクノロジーの世界でも、いろんな機材の価格が下がってきていて、実用化へのコストはどんどん簡単になってきている。でも、大学の研究室とかで最新の技術そのものを研究をする人がいないと、いずれテクノロジーの発展は止まっちゃうじゃないですか。
大学の研究室みたいなものとして、お笑い劇場が絶対必要だと思っているんです。
そこで新しいお笑いのテクニックや最新の話題が作られていって、それをお笑いが専門じゃないタレントの人たち、そして一般の人達という順番で広めていく。
いわば、『オモシロの研究職』として芸人が必要なんです。
僕は、一流のオモシロを知って、それを一般の人に広めていく仕事をやっていきたい。
それを芸人がやる必要ないでしょ? と言われるかもしれないけれど、いや、芸人こそこれをやらなくてどうする、と思うんです。芸人は、自分たちが見つけた『未知のオモシロ』を世に放つときの空気に一番最初に触れることができる立場ですから」
情報があふれ、そして技術の進歩によって誰でも簡単に“表現者”になれる時代だからこそ、プロの芸人にできることがある──
「まだ見ぬオモシロ」を求めて、大島さんは今日も“勉強”を続けます。
大島育宙さんは、エキサイトが運営するラジオ番組配信アプリ「Radiotalk」で、現在さまざまな分野の書評トークを配信中。10年先を見据えつづける現役東大生芸人の頭のなかをのぞいてみては。
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(天谷窓大)