教授
古田 和子
アジア経済史
なぜアジア経済史?――新しい領域を拓く楽しさ
慶應義塾大学経済学部は、1997年に「アジア経済史」という科目を設置し、私はその科目担当者として着任しました。この時点で、全国の大学で経済学部に「アジア経済史」を置いていたところは、ごくわずかでした。世界の人口の過半を占めるアジアの人々がどのように暮らしてきたのか、その社会と経済の歴史を分析することは、世界全体の社会経済史像を再考する契機として重要な意味を持ちます。アジア経済史は、人口・環境・市場経済のあり方など今後の世界を考える際に、避けてとおることのできない視座を提供してくれる学問領域でもあります。こうした領域の必要性を認め早期に「アジア経済史」という科目の設置を決断したことは、慶應の経済学の一つの見識だったと思いますし、私はその担当者として、やりがいのある研究者・教育者としての生活を送ることができました。
私の研究者としての歩みは、明治初期の日本の上州と信州における製糸技術の展開を、中国の湖州と上海におけるそれと比較しつつ、その相互の関係を考察する研究から始まりました。ここでは、日本と中国という国を単位とするのではなく、東アジアという場で地方と地方が結びつくことに注目したのですが、ここで気づいた技術移転における流通構造の重要性への認識が、次の段階での「上海ネットワーク」の研究につながりました。そこでは、生産や消費が行われる地理的な場所ではなく、生産・消費されるモノがヒトを媒介に移動する空間に注目をすることになり、それが、交換・流通・仲介が行われる市場への関心に結びつきました。慶應への着任は、ちょうどこうした研究を進めていた時期でした。
慶應に在任していた時期は、以上のような関心を、中国における市場秩序をめぐる研究に合流させる課題に取り組みました。中国は、10世紀以降、土地売買、職業選択、地主・小作関係、雇用関係など、経済の広範な部分が民間の契約で執り行われる、市場としての性格を強くもった社会でした。しかし他方では、国家や共同体規制などによる秩序維持は相対的に弱く、仲介の連鎖や私人的な保証が大きな意味を持つ、私的な秩序維持の比重が高い社会でした。こうした公的制度を欠いたきわめて競争的で不安定な市場が、なぜ崩壊せず社会的に維持されたのかという関心から、中国史における市場の質、商品の質、情報の質などに注目した研究を積み重ねてきました。また、慶應/京都大学連携「市場の高質化」プロジェクトの成果として、日本やアジアで見られた模造品市場の簇生についてまとめた共同研究Furuta & Grove eds., Imitation, Counterfeiting and the Quality of Goods in Modern Asian History. (Springer)の出版も嬉しいことでした。このように、私は、取り上げる対象は時期によって変化したものの、方法としては、かなり一貫性のある仕事をしてきたように思います。
慶應では、大学院でアジア経済史の研究者の養成という課題に取り組むこともできました。それほどたくさんの院生がつめかけるようなゼミではありませんでしたが、何人かが博士号を取得し、アジア経済史の領域の第一線で現在活躍している研究者が育ってくれたことは、たいへん喜ばしいことです。また、学部のゼミでは、私が慶應に来るまでに経験した東大、プリンストン大学、東洋英和女学院大学とは雰囲気の全く異なる「慶應ボーイ」との出会いを楽しむことができました。これら全てに感謝しています。
(2018年2月取材)
プロフィール
1977年 |
東京大学教養学部卒業 |
1979年 |
東京大学大学院社会学研究科修士課程修了 国際学修士 |
1982年 |
プリンストン大学歴史学研究科修士課程修了 M.A. |
1984年 |
東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学 |
1988年 |
プリンストン大学博士課程修了 博士号取得 Ph.D. |
※プロフィール・職位は取材当時のものです |