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第9回 健保連賞

健保連賞 『八月一日、パンの耳事件』

  平野 深雪さん(新潟県)

 初めての人間ドックは、三十歳の八月一日。

 その日の朝、いつものように三歳の息子が、朝食のパンの耳の固いところをほんの少し残した。叱るほどでもない。そうかと言って捨てるところは見せたくない。私は、いつものようにその小さな欠片を、口にポイと入れた。あっ、しまった、今日は特別な日だ、と気づいた時はもう遅い。しっかり飲み込んでしまっていた。前日の夜八時以降は飲食禁止という経験も初めてだったから、随分注意していたのに、最後の最後でこの失敗だ。まあいいか、本当に小さな欠片だもの。自分に都合のいい解釈をしてすませた私は、初めてのことだらけの健診に緊張し通しで、あの小さな欠片のことなど、すっかり忘れてしまっていた。そして、数週間後に送られてきた検査結果は、「胃にポリープの疑い有り」。そこで思い出したのが、パンの耳。もしかしたら、あの小さな欠片がポリープ?

 これが私の、情けない「人間ドック」デビューだ。いったいあのパンの耳は、レントゲン写真にどう写っていたのだろう。胃の中で居心地悪そうにしている欠片を想像して、夫と二人で苦笑してしまった。けれど、それがためにかえって「人間ドック」が身近なものに感じられ、しかも自分では軽く考えていた体の異変を、ごまかさずに捉える容赦のなさが、私たちにはとても頼もしく思えた。

 この出来事があってから、私たちは毎年八月一日に夫婦一緒に人間ドックを受けるようになった。二人で聞く受診結果。いつものように私はオールA、夫はメタボによるいくつかのCとD。二人で聞く栄養相談。いつものように「奥さん、お願いしますね」と顔なじみになった栄養士さんに言われ、栄養のバランスの取れたおいしい昼食のレシピをもらう。いつものように「とりあえず無事で良かった」と帰りにラーメンを食べる。これが、私たちの年中行事になっていった。

ところが今から三年前、その「いつものように」が消えた。オールAの優等生だった私に、便潜血で精密検査が必要との結果が出たのだ。「特に体に違和感なし、痔かな」と軽く受け流そうとした私に、

「これこそ『ポリープの疑い有り』だよ。自分では何でもないと思っている時こそのドックでしょ。」

 夫は言った。そうだった、都合のいい言い訳ではごまかせないものを見つけてくれるのが、人間ドックだ。あの時の「パンの耳」は、今はない。

 そして、焦りにも似た思いで受けた精密検査で、直腸がんが見つかった。幸い手術で回復可能なレベルだと告げられ安堵しながら、私はまた「パンの耳」を思い出していた。日々の暮らしのささいな出来事が、人間ドックヘの親近感と信頼感につながり、私の命にまでつながった。人には様々な出会いがあるが、このつながりは、私にとってなんと大きな意味を持つ出会いだったことか。そう思うと、感謝に胸が震えた。

 二度の手術を経て、私に日常と呼べる日々が戻ったのは、半年後の四月だった。職場復帰した私に渡された書類の中には、もちろん人間ドックの申し込みが入っていた。まだ「患者」でもある私に申し込む意味があるのか。複雑な気持ちで主治医に尋ねてみると、

「機会があるのなら、受けた方がいいね。消化器に関するケアはここでできるけれど、他の部分に関しては、まずはドックでケアしてもらいましょう」

 とのこと。私も人間ドックを受けていいんだと、何だかほっとした気持ちになっている自分に驚いたりもした。

 結局、「要精検」の結果を受けた八月一日から、病気を挟みながら、次の八月一日には、私はいつものように夫と二人で人間ドックを受けていた。受診機関に入ると、一年前と同じスタッフ、同じ光景がそこにある。受付をしていると、「いつも」が戻ってきたという実感が湧き、本当に嬉しかった。病気を見つけてもらうはずの人間ドックが、いつの間にか「日常」を確認できる場所になっている。もしかしたら、そんな幸せな本末転倒が、あちらこちらに転がっているのかもしれない。

 パンの耳から始まった人間ドックも、受け始めて今年で三十年目になる。そろそろ八月一日を「人間ドックの日」と制定してもいいだろうか。

 「今年も人間ドックを受けることができた」

 そう夫婦で笑い合える日でありたいと願っている。