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第2回 ソニー生命賞

ソニー生命賞 『十年前の人間ドック』

清宮 さやかさん(千葉県)

祖父が入院したのは今からちょうど十一年前、私が十歳の頃でした。

両親は共働きだったため、私は高校生になるまでずっと学校が終わると自宅のすぐ側にある祖父母の家へ帰っていました。玄関を開けると祖母の作る夕飯の匂いが私を包み、祖父がいつも見ている夕方の相撲番組の歓声が一気に耳に飛び込んで来たのを覚えています。おいしいご飯を食べ、祖父と祖母に一日の出来事を話しながら母の帰りを待つこの時間が、私は大好きでした。

 そんなある日のことです。学校から帰ると、普段声を荒げることなどない祖母がなにやら祖父に怒り、言い争うような声が聞こえてきました。入っていいものか迷いながら恐る恐る居間の扉を開けると、祖母は慌てて話すのをやめ、笑いながらおかえり、と言いました。

「おじいちゃんとおばあちゃん、喧嘩してたの?」

「いやね、おじいちゃんったら今年も人間ドックに行かないなんて言うからつい大きい声を出してしまったのよ。びっくりさせてごめんね。」

祖父は不機嫌そうにむっつりと黙ってソファに座っていました。

「人間ドックって何?」私は聞いた事のない未知の単語に心を奪われました。楽しいイベントか何かだと思ったのです。

「人間ドックっていうのはね、悪いところがないか病院で検査してもらうことだよ。おじいちゃんやおばあちゃんの歳になると、悪い病気にかかってもおかしくないからね。それなのにおじいちゃんはいつも行かないって聞かなくて」祖母の言葉で私の楽しい期待はあっさりと消え、変わりに不安な気持ちがどっと押し寄せてきました。大好きな祖父母が悪い病気にかかってしまうと想像すると、胸の辺りがきゅっと痛むようでした。もしこの二人がいなくなってしまったら、私はひとりぼっちになってしまう、そんな気がしたのです。急に黙り込み涙ぐんだ私をみて祖父は慌てて言いました。「泣く事ないじゃないか。わかった、よしよし。今年はちゃんと行くって約束するから、ほれ、大丈夫だ。」そんな私と祖父のやりとりを見て祖母は、さすがのおじいちゃんもさっちゃんには敵わないわねえ、といたずらっぽく笑いました。

 それから数週間が経ち、人間ドックのことなどすっかり忘れていた私に悪い知らせが届きました。祖父が緊急入院することになったのです。なんでも人間ドックの検査で引っかかり、精密検査を受けると胃に腫瘍ができていたそうです。このことを話す母も心配そうでしたが、最後に微笑んで言いました。「でも、早いうちに見つかったから大丈夫よ。手術したらすぐよくなるからね。」

 それから数日は祖母と二人きりの夕食が続きました。祖父がいるのといないのでは部屋の様子ががらりと違って見え、ご飯も味気ないような気がしました。

そしてやっと、祖父の退院の日になり、学校を急いで飛び出して家の前で息を整えドアを開けました。するとはっけよーいのこった!というかけ声と歓声が耳に飛び込んで、嬉しいような泣きたいような気持ちで靴を脱ぎ捨て居間に向かうと、そこには大好きな祖父が座っていました。

「おう、おかえり、元気にしてたか?」祖父は何事も無かったかのようににこにこ笑っています。その様子を見て、祖父に伝えようと考えていた言葉たちはすっかり吹き飛び、代わりに私の口から出たのはたった一言だけでした。

「うん。おじいちゃんも、おかえり。」

祖父の入院から十年が経ち、私は二十一歳になりました。

もう毎日のように祖父母の家に帰る事はなくなったけれど、私を育ててくれたあの家に行けば変わらず懐かしい匂いと音、そして祖父母の笑顔が私を迎えてくれます。一緒にお酒を飲めるようになったことが嬉しい、次はお前の結婚式に出るのが楽しみだと祖父は言います。

そんな楽しい一時を過ごす中で、ふと私の心に浮かんで来ることがあります。

もしあの時人間ドックに行かなかったら、目の前の祖父は一体どうなっていたのだろう、と。そう考えると私は危ない綱渡りをしていたような気持ちになり恐ろしくなるのです。

人はきっと、習慣や忙しさによって「綱」を渡ることに慣れきってしまうのでしょう。そして自分が足を踏み外し転落してまうこと、もしかしたらもう踏み外しかけているのかもしれないという可能性を考えなくなるのでしょう。

たしかに検査や手続きは面倒です。混み合う病院で一日がかりの検査など、誰も好き好んでしたくはないはずです。しかし、その手間は、かけがえのないものを守る一つの手段なのだと私は思います。

私や家族たちは、十年前の人間ドックのおかげでその手間にかかる時間の何十倍も、祖父と過ごすことができているのですから。