『伝説のお母さん』では、現代社会で「働くお母さん」が抱える問題がRPGの世界で表現されています。主人公が直面する悩みや困難は、「あるある」と共感するポイントだったり、まさに今悩んでいることだったりと、当てはまる方もたくさんいることでしょう。
作者のかねもとさんは、8歳と3歳のお子さんを育てる二児の母でもあります。子供を持ったことで一度は諦めかけた漫画家という夢を、子育てをすることで叶えられたというかねもとさん。ご自身の仕事や作品内で「働くお母さん」を主人公にしたきっかけ、今後描いていきたいことなどについてお聞きしました。
お母さんになったら、戦いに行けないのか?
もともとは在宅でゲームに関係する仕事をしていました。「漫画家になる」という夢を持っていたのですが、長男が生まれた時にいったん諦めまして。2人目を出産した後に「子育てコミックエッセイ」の存在を知って、ブログで子育て絵日記を描くようになりました。『伝説のお母さん』のように、ストーリー性のあるお話を描こうと思ったのは、大好きなゲームの世界の主人公に「普通のお母さん」がいないことに気づいてからです。
キャラクターとして、故郷に妻子を置いて戦いに来たというお父さんはいても、「子供を預けて、戦いにきました! お迎えがあるので17時には帰ります!」みたいなお母さんキャラはいないんですよ。お母さんになったら戦えないんだろうか……というところから、このお話を思い付きました。
そうですね。長男を出産した8年前は、在宅の仕事をしていると優先順位が低く、簡単には保育園に入れてもらえなかった時代。我が子も待機児童になってしまいました。その後「保育園落ちた日本死ね!!!」(2016年2月)という記事のブームもあって……。
子供を産むまでは、「仕事で重要なポジションに就いていれば、優先的に保育所に入れるのかな」なんて軽く考えていたんです。でも実際には、どれだけ仕事を頑張っていても、働き続ける意思があるとしても、保育所入園のための点数によって誰でも待機児童問題に直面してしまうことに驚きました。それがきっかけとなって、「魔王を倒しに行きたいのに、保育園に子供を預けられないお母さん」というキャラが出来上がりましたね。
よく聞かれるのですが、ストーリーは創作なので、自分の体験というわけではないんです。
まず作中で0歳児保育について「なぜ魔王は11月までに復活してくれなかったんだ!」(認可保育園の入園申込期間は、通常10月~12月)という話をアップしたところ、反響がありまして。
漫画『伝説のお母さん』第1話より
そこで、「いざ戦おうとなると、いろいろな壁があるよね」という話から、Twitterのタイムラインに流れてくるたくさんのお母さんたちのエピソードを読むようになって。周りの働くお母さんたちとの話だったり、いろいろなお母さんたちの話をリアルタイムで見聞きする中で、主人公のキャラクターや境遇、エピソードを作っていきました。ですから私ひとりの経験というよりも、現代のお母さんたちの経験が集まってできた作品ですね。
続編とドラマ化のお祝いとして、かねもとさんご自身が発注して作った『伝説のお母さん』アクリルスタンド
「今が苦しい」という気持ちを大事にしたい
子供を産んでから「子供を産む前に戻りたい。戻れたらどうなるんだろう」ということは、大なり小なりみんな思ったことあるんじゃないかなと。それって大げさなことじゃなくって、友達との遊びを断ったり、預け先がなくて自由がなかったり、仕事がうまく進まなかったり……。ほんの些細な瞬間でも、そういう思いにかられることは、決して悪いことではないと私は思うんです。
ゲームの世界だったら、セーブポイントがある。漫画の中で、「お母さんになる前の自分に戻れるアイテムがあったら、戻るのか」というお話を描いたのは、そんな思いからですね。
漫画『伝説のお母さん』第11話より
「子供なんていなきゃよかった」なんて、声に出しては言わないけれど、お母さんたちの「今が苦しい」「今から逃げたくなる」というその気持ちは事実だし、向き合わないといけない。そこにはいろいろな答えがあっていいし、このお話の主人公の場合は「戻ってなかったことにする」より「進んでやり直す」ことにしたんじゃないか――それが彼女の答えとして、自然に出てきました。
う~ん。難しいですよね。現実はゲームや漫画とは違うので。何もクリアしなくたって、敵を倒さなくたって、よほどの不運がない限り、ちゃんと人生は進んでいくじゃないですか。だから残酷ですけど、最終的には時間が解決するんですよね、何もかも。
でも、絶対にそれを人には言わないようにしています。我が家も長男の夜泣きがひどくて大変だった時に、「大人になっても夜泣きしている人はいないから大丈夫!」というアドバイスをもらって、それが何の救いにもならなかったから(笑)。トイレトレーニングがつらい、お箸を全然使わない……。その都度、その瞬間の悩みに対して「小学生になってまでできない子はいないよ~」とか軽々しく励ましたり慰めたりするのは、解決策にはならないんです。
私自身の経験から、夜泣きで悩むお母さんたちの雑談や息抜きの場があればいいな、と思ったので立ち上げました。夜って落ち込んだり悩んだり、「誰も自分のことなんて考えてくれていないんだ」なんて思いがちじゃないですか。こういった場を通してお母さんたちの孤独感をまぎらわすことができればと思っています。
LINEのオープンチャット「オンライン夜泣き小屋」
ここ数年で「父親の育児“参加”」の空気が変わってきた
いやいや、うちも最初はやっぱり、夫に「育児は自分のものではない」という感覚があったと思います。長男が生まれた後に働きたいと言った時も「今まで通りに家事とかできるなら、いいよ~」って。今考えれば、「いいよ」って、なぜ許可なんだろう!?(笑)
でも、当時新米のお母さんだった私にも「育児は主に母親がやらないと」「旦那さんは仕事をするのが、父親としての仕事」という固定観念がどこかにあったから疑問に思わなかった。それが、ここ数年でSNSの空気も変わってきて。「なんで父親なのに育児に参加しないんだろう? いや、そもそも参加っていう言葉自体がナンセンスじゃない?」みたいな……。
漫画『伝説のお母さん』第8話より
我が家では、下の子が生まれて、仕事量も増えてきて、物理的にどうしようもなくなりました。夫とぶつかったり言い合ったりして、夫の意識が変わってきてくれたなという感じです。今では本当に、何でもやってくれています!
ルールや取り決めが細かくあるわけではないのですが、子供たちの寝かしつけの時間は毎日守るようにしています。寝室には、9時~9時半の間に入ること。そうすると、その時間から逆算して「歯磨きした?」「宿題は済んでる?」と、やるべきことが家族で共有できてくる。
今では、私が学校や保育園のことをやっていると、「母親がやって当然」という顔をせず、「ありがとう」ってちゃんと言ってくれるようになりました。夫が夜遅く帰ってくる時も、今は子供の寝かしつけやそれに至るまでの過程が大変なことを理解してくれているから「ごめんね」と。仕事して帰ってきているから別に謝らなくていいんですけど、そういう言葉があるとこちらも救われますよね。
お母さんだけでなく、さまざまな立場の女性に目を向けていきたい
リビングに仕事場を設けていて、朝は子供にご飯を食べさせながらメールをチェックしたり、料理をしながら返信したり……など、臨機応変に対応しています。
仕事の進め方は、行き当たりばったりです! 集中できる時があると、朝洗濯した洗濯物を干し損ねて、タイミングを逸して夕方までそのままなんていう日も。かっちり決めるとうまくいかなかった場合のダメージが大きいので、余裕をもってすること。「自分を過信しすぎないこと」が大事です。
めちゃくちゃ大変でしたね(笑)。これに関してはもう、諦めるしかないです。家事をとにかく削る。洗濯しない日が続いても回せるように服を買い足してしまうとか、洗い物は1日に1回しか洗わない、とか。どうしても子供の相手をできない瞬間はあるので、そんな時はYouTubeに頼ってよし!
子育ては何より「親の機嫌が良いことが大事」だと思っているんです。いつも部屋がキレイで、毎日お外へ遊びに連れていって、手の込んだおいしいごはんを作って……。それが「やりたい」じゃなくて「やらなきゃいけない」の場合はつらい。手抜きもこだわりも、どちらをやるにしても親の機嫌が良いということが子供にとって一番楽しいことなんだろうなと思っています。
あと、子供が将来親になった時に「親になったんだからこれは我慢しないと」「やりたいことや夢を諦めよう」とは思ってほしくない。親にも趣味や好きなものがあることや、ご機嫌で楽しく生きている姿を知っておいてほしいと思うんです。
そう、子供がいるから諦めようとしていたのに、子供なしではこの夢は叶いませんでした。仕事と子育てが、お互いに良い影響を与え合っている。とっても良いサイクルができたんだな、と思います。子育てって孤独で、自信を失うことの連続。私の場合は、仕事で評価してもらったり、その対価としてお金をいただけたりすることで、自分の自信につながりました。
女性はまだまだ、性別が持つ特殊な役割を背負わされていると思います。これからはお母さんだけでなく、いろいろな女性に目を向けていきたい。そんな作品を描けたらいいな、と考えています。
例えば、未婚で子供がいない人から見たら、子育て中のお母さんと仕事をしていて、「自分が割を食っている」と思う日もあるでしょう。いろいろな立場の人がいて、いろいろな事情があるから、不満が出てくるのは当たり前です。でも、そういう女性が子供を産んだ時、「かつて自分が感じていたように、周囲に疎ましがられているのでは」という呪いにかかるかもしれないですよね。「あいつ風邪でまた休んだよ」と思っていると、自分が風邪を引いた際に気まずくなるように。
誰だってこれからの人生で、病気になったり、介護の当事者になったりする可能性があります。誰かの穴を自分だけが埋めているという気持ちでいると、いざ自分が助けられる立場になったときに過去の自分が抱いていた気持ちが出てきてしまう。それって、絶対しんどいですよね。さまざまな立場にいる人たちがみんな、全方向に罪悪感を抱かなくてもいい社会になればいいな、と。ひとりだけで変わっても仕方ないから、みんなで変わっていこうよ、と思います。
取材・文:遠藤るりこ
編集:はてな編集部
お話を伺った方:かねもとさん