しかし、そうした世間の「何かをしなければいけない」という空気感に対し、追い立てられるような気持ちになってしまった人もいるのではないでしょうか。初の緊急事態宣言発令という未曾有の危機ですら、糧にしなければいけないのだとしたら、どこか息苦しさも感じてしまいます。
そこでお話を伺ったのは、お笑いコンビ・髭男爵の山田ルイ53世さん。日頃から「前向きでいないと!」「素敵に暮らさないと!」といった“過剰な提案”に疑問を呈し、「ぼーっと無意味に過ごしてもいいのではないか」と語る山田さんに、今回は“無意味な時間を過ごすこと”をテーマにお話を伺いました。
※取材はリモートで実施しました
こんなに暴力的な「こそ」はない
山田ルイ53世さん(以下、山田) こないだ「ボクらの時代」(フジテレビ)という番組で、コウメさん(コウメ太夫さん)、スギさん(スギちゃん)と話したんですよ。我々の場合は、外出自粛要請が出る前からすでに自粛していたようなものだから、へっちゃらだよねと。まあ本当は皆さん結構忙しくしてらっしゃるんですが(笑)。
とにかく、このご時世だからといって家庭菜園を始めたり、動画をアップしたりすることもなく、ただ家にいることも多かったですね。
山田 変わらないですね。最近しきりに「こんな時こそ前向きに」みたいなフレーズを耳にしますが、こんなに暴力的な「こそ」はないと思ってしまいます(笑)。「こそ」という言葉の銃を後頭部に突きつけられて、「いかなる時でも前を向きなさい!」と言われているような、そんな圧を感じる。「こそ」ひとつで、全ての状況をひっくり返せると思うなよ? いつからそんな権限を「こそ」に与えたんや! と。
山田 僕はそっちの方がしっくりくる人です。だから、SNSで順番にお題について投稿するリレーとかオンライン飲み会なんかも、「来るなよ来るなよー……」とヒヤヒヤしてました。来ませんでしたが(笑)。もちろん、楽しんでいる方もたくさんいて、それはとてもいいことだと思ってます。
ただ、リレーをスルーした時に、こちらが受ける社会的ダメージはありそうだなと。先方も、なんで返さないの? 変な人? となるでしょうし、スルーした言い訳をしないといけないのもしんどそうです。
山田 そう。それを否定するわけでは全くないですよ? でも、つながろうとし過ぎるのが気になってしまう。やむにやまれぬ事情でもあれば別ですが、コロナで外に出られない緊急事態にまで、まだつながりたいかとちょっと思ってしまう。
まあ、僕はもともと芸能界での交友関係も何もない人間ですから、そもそもリレーもオンライン飲み会も全く誘われなかったわけですが(笑)。ただ、正直ほっとした部分もありました。
「おひたし」みたいに“しんなり”生きる
山田 そうですね。理由としては、自分に趣味が一つもないからなんですが。特に芸能界って趣味を持ってプライベートを謳歌している人間の方が重宝される。番組の打ち合わせとかでも、趣味と交友録を聞かれることは多い。プライベートで何をしてますか? どんな人と遊んでいますか? って。
僕は常にゼロ回答なんですね。お役に立てない。そこにコンプレックスというか、罪悪感に似た感情を抱いてしまう。そういうしんどさは、この業界に入ってからすごく感じるようになりましたね。
山田 正直、毎週のように外へ出て趣味を謳歌している人をうらやましく思う時も、たまにあります。でも、やはり自分は、しんなりと時間を過ごす方が性にあってるかなと。シャキシャキの野菜スティックではなく、しんなりした「おひたし」みたいに暮らしたい。
もうね、最近は常々「つまらなく暮らそう」と心がけているんですよ。できるだけ安静にしときたい。イェーイとかワーイとか言いたくない。もともと言うタイプでもないですけど。そういう人がいてもいいじゃないかと思ってます。
山田 そうそう。決して自分を卑下しているわけじゃなくて、つまらない気持ちのまま過ごすことを受け入れるというか。今回のコロナでもそうですけど、人ってどんな状況でも光明を見出したがるじゃないですか。いつでも前を向いて何かをしていないと、なんかダメな感じがしてしまう。でも、それってしんどくないですかね。
向いていないから「社交」を削った
山田 いや、あくまで誘われないだけですが(笑)。若い頃は行ってましたけどね。ややこしいことに、表面上は人一倍気さくに振舞えるんですが、本質的に向いてないんです。人間関係が強化されることが重荷になるというか。この人は楽しんでらっしゃるんだろうかと気を使ってしまう。
山田 もちろんそういうこともあるでしょうし、単純に楽しかったりもするのでしょう。ただ自分の場合は向いてないので、なるべく機嫌よく暮らすことを優先し、ここ何年かは特に社交を削りました。
山田 どうでしょうか。それも社交が無いので分かりませんが(笑)。そもそも芸能界に向いていないんですよね。勿論お笑いは好きだし、ネタを考えたり舞台に立つのは楽しいんですけど、ザ・芸能界の雰囲気が苦手だという。致命的ですね(笑)。
もしかしたら、中学2年の夏から6年間ひきこもりだったことも影響しているかもしれません。20歳で上京してからも仕事がなくてずっと家にいた期間もあるし、『進ぬ!電波少年』(日本テレビ)という番組で1年間くらい部屋に監禁されていたこともあるし、基本的にずっとステイホームなんですよ。だから、今も根っこのところではずっとひきこもっているような感覚もあって、どうもアクティブになれない。
山田 いや、もちろん、僕も昔は飲み会で、「ちょっと、勘弁して下さいよー!」とか言ってそれなりに「らしく」振舞ってましたよ? ただ、何度も言いますが、向いてない、としか言いようがない。だから、早々と諦めました。
自分には向いてないなって飲み込んで降参してからは、精神的に楽になりましたよ。なるべく自分にできることだけを誠意を持ってやろうと考えるようになりました。
大部分の人は何の取り柄もない
山田 全ての時間を「糧」にしなければいけないと、思い込まされているような気がします。今の社会では、子供の頃から「何者かにならないとダメだ」ということを周りに言われることも無関係じゃないでしょう。例えば、うちには娘が2人いて、自宅によく塾や通信教育のチラシが入ってくる。それを見ていても、何者かであろう! というキラキラしたメッセージが強過ぎるように感じてしまうんです。
「輝度」が強過ぎるというか。もちろん、まだ小学生の娘に今の段階で全ての可能性を断捨離せい、というつもりなど毛頭ありませんが、今は子供だけでなく大人になってからもそれを言われ続ける雰囲気がある気がしてます。40代50代向けの転職サイトでさえ、あなたには無限の可能性がある! みたいなテンションだったりして、びっくりします。
山田 そう。酷な言い方ですけど、自分も含めて大部分の人は何の取り柄もない。それなのに、「選択肢はいくらでもある。自分に向いていることを探そう」みたいなことを言い過ぎている。現実には、“何にも向いていない人”だっているかもしれないのに。それを無視して、あたかも誰しもが何かしらの才能があるような言い方をし続けるのは、ちょっとよろしくないんじゃないかと思うわけですよ。
実際、僕は芸人に向いてませんからね。「一発」当てるくらいのネタとキャラを編み出したという自負は勿論ありますが、芸能界をすいすい泳いで楽しく暮らしていくことには全く向いてない。
山田 諦めなければ必ず成功するんだ、勝てるんだって言う人もいますが、それはたまたま諦める前に勝ちが来ただけじゃないかと。凡人に出来るのは、せいぜい選択肢をプチプチ潰していくことだけ。
特に若い内は、テンポよく「負けていく」ことは大事かもしれない。負けて負けて、できないことを削ぎ落としていかないと、それこそ「向いていること」なんていつまでも見つからないんじゃないかなと思いますね。
冷蔵庫の有り合わせで生きる
山田 何やろう……。好感度を上げたいわけじゃないですけど、子育てくらいですかね(笑)。子供の観察をしている時は楽しい。次女がこないだ1歳になったばかりなんですよ。子育てしているなかで、おもしろいことがあったらエッセイにしたりして、仕事にもつながっています。もともと好きなことが仕事になった、唯一のケースかもしれない。
山田 そう、何度かあったんですよ。ネタにするために、おもしろいことを「迎えに」いってしまったことが。でもその瞬間、しんどくなってしまったんですよね。
例えば、子供の方から「積木で遊んで」とせがまれて、結果的におもしろい形ができあがったりするのはいいんです。それは楽しいんですよ。でも、「一緒に積木やったら、なんかハプニングが起きるかも」という邪念がよぎった瞬間、一気にイヤになる。自分を俯瞰して、「なんておぞましいことをしてるんや」って思ってしまいます。
山田 昔、ラジオのディレクターさんに同じことを言われました。「プライベートでいろんなことにチャレンジしたり、遊びに行ったりしないと、すぐ話すネタがなくなるよ」と。これって結構業界の鉄則で。実践しかけた時期もあったんですけど、根がつまらなく生きている人間ですから、ストレスになる。それを心から楽しめる人ならいいんですけど、僕の場合はそうではない。だから、それはヤラセですよね。ヤラセって心理的負担がかかるから、よくないんですよ。
それに僕の場合は、普通に暮らすサイクルのなかで自然と起きた出来事について書いたり話したりする方が楽しいんですよ。だから、僕は基本的に「待ち」の姿勢ですね。
山田 番組開始当初は売れていたのもあって、「このまえ日テレに行ったら〜」みたいな、テレビ局で会ったタレントのこと、番組の裏話みたいなことを恰好つけて喋ってたんです。でも、テレビの仕事が減り、地方営業が主になると、そういう派手なネタがなくなる。
ただ、そういう一見地味に思えてしまうような仕事でも、おもしろいことって起こるんですよ。例えば、お寺で漫才してたら「○○やないかーい!」って乾杯してチーンと鳴るタイミングで、鐘楼の鐘が「ボーン」と偶然鳴ったりね。
山田 ドサ回り、それもドサ中のドサの話ばっかりのラジオ。でも、それはそれで面白がってくれる人がいたんです。
山田 そう思います。残念ながらこの人生は、成城石井でオシャレな野菜や高い肉を買ってきてご飯を作るようなものではなかった。冷蔵庫にあるものだけで毎日よく分からないおかずを作っている感じ。そんなふうに、有り合わせで生きてもいいじゃないかって思います。
取材・文:榎並紀行(やじろべえ)
編集:はてな編集部
お話を伺った方:山田ルイ53世さん