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ライターの大北です。観劇によく行くのですが、遠くの席でも双眼鏡を使えば見えやすいと聞きました。でも買うには種類がありすぎるなと検索してると、「日の出光学」というメーカーのHPに双眼鏡の解説が書いてありました。
取材OKとあるので聞いてみると「15年前に双眼鏡を始めてみたらおもしろくなっちゃって、今でもやってるんですよ」と言います。双眼鏡におもしろいとかある⁉︎と、俄然気になってきました。
オフィスのある神奈川県の鵠沼海岸に話を聞きに行くと、どうやら“ヒノデちゃん”として今、宝塚や劇団四季界隈において口コミで広まりつつある双眼鏡メーカーなんだそうです。双眼鏡のおもしろさから観劇の際の選び方まで、読めば双眼鏡が欲しくなる話をどうぞ。
<この記事のハイライト>
・少人数でこだわりの双眼鏡をつくる日の出光学
・新製品が“ヒノデちゃん”として演劇ファンの間で人気に
・数字に惑わされるな!実はすごい「低倍率」の双眼鏡
・天体観測や野鳥観察、釣りやスポーツ観戦にも「低倍率」はおすすめ
・「ステージまでの距離」で、ぴったりな双眼鏡がわかる
・最新機種は「いい見え方」がする
商店街のビルの一室に双眼鏡メーカーがある
日の出光学の中村さん(左)と宮野さん(右)
──双眼鏡メーカーさんに初めて来たんですが、小さなビルの部屋なんですね。失礼ですけど、これだけのスペースでできるんですか?
中村:生産は外部の工場で、物流関係も外部にお願いしているので。そんなに広いスペースは必要ないんです。僕が販売担当で宮野さんが仕入れ担当。あともう三人、一緒に働いてくれている人たちと日の出光学をやってます。
──双眼鏡って、カメラとかを作ってるような世界的な光学メーカーが出してるイメージでした。
中村:双眼鏡を作るのって、けっこう大変なんです。内面の反射とか、色んなところを何度もテストする果てしない作業で。大手メーカーさんだと商品ラインナップがたくさんある分、商品一つ一つにこだわり抜くのがなかなか難しい。
例えばこの「目当て」というパーツにしても、全ラインナップで共通の規格にしてしまうと、アイレリーフ(※)が機種ごとに違うので合わない機種も出てきてしまう。なので、うちでは商品ラインナップを絞る代わりに、一つひとつ試作を繰り返してこだわって作っています。
矢印の部分が「目当て」。目当てを回すと目までの距離を調節でき、メガネでも裸眼でも見やすいようになっている
※アイレリーフ……レンズからどれくらい離して見るか。高い機種はメガネをかけたまま見られるようにちょっと離れている
宮野:今年2月に発売した新製品の「A-6」は構想から3年ぐらい何回も試作して、やっと完成までこぎつけましたね。
日の出光学の最新作であり、自信作のA-6
──3年! お値段はいくらくらいするものなんですか?
宮野:18,800円です。ほんとは15,800円で出したかったんですけど、こだわってしまって。amazonだと安い双眼鏡はは2000円くらいからありますから、桁が違いますよね。
中村:不安でしたけど、発売してみたら意外と買ってもらえてびっくりして。
観劇界隈のSNSで“ヒノデちゃん”として登場
──18,800円の双眼鏡がちゃんと売れてるんですね!
宮野:最初はあまり売れなかったんですけど、観劇系のインフルエンサーの方にSNSで紹介していただいたこともあって、4月の終わりくらいから少しずつ勢いがついてきました。そして5月になってさらにSNSがかなり盛り上がってきて、10万インプレッションを超えるような投稿も出てきたんですよ。本当にありがたい話で。
観劇用オペラグラスなら絶対にこれ!と強めのお薦めをいただき
1ヶ月遅れの誕生日プレゼントとしてやってきた日の出光学の「ヒノデ 5x21-A6」ð
これまで使っていたオリンパス製のものと比べるとかなりずっしり
本日、劇場デビューですð pic.twitter.com/Rl9PIuhtm8
— 上村由紀子ð¹演劇ライター(演劇・ミュージカル・劇場・ドラマ) (@makigami_p) May 14, 2024
A-6は観劇界隈で”ヒノデちゃん”という愛称が生まれつつある
中村:昔はAmazonでもレビューが重要で、レビューがつかないと売れないイメージがあったんです。久しぶりにモデルチェンジして、レビューがゼロからのスタートなので、売り方をどうしようかと言ってたら、いつの間にかSNSで“ヒノデちゃん”って言われてました。
宮野:Xで検索すると、もう毎日のように「ヒノデちゃんで◯◯の舞台を見た」と書いてくれてる人がいるんです。「ライオンキングをヒノデちゃんで、見たらその列の人がみんなヒノデちゃんを持ってた」という人もいて。
──え~っ、すごい! 浸透してますね!
中村:自分たちが、というよりは、もう本当にお客さん同士で薦めていただいて。そういう意味で、良いものを作るってことが今は大事なんだと思いました。
──推し文化の界隈だと口コミで広がりそうですよね。
中村:僕らもどうやったら物が売れるのかとかどんどんわかんなくなってきますよね(笑)。こっちからあんまり推していってもなあと。
未経験から双眼鏡メーカーに
中村:僕は親父が聴診器を輸入して売る仕事をしてたんです。インターネットショッピングが流行り始めの頃で、聴診器を売るウェブサイトを作ったらまあまあ売れた。その後、望遠鏡や双眼鏡を扱うようになったんです。
宮野:僕は天体マニアで、趣味から入って望遠鏡の輸入販売をしてたんです。
中村:僕は商売から入ったんですが、ここ10年は双眼鏡のことばっかり考えていて。やっぱりね~、面白いんですよ。
──どうしてお2人でやることになったんですか?
中村:もともとは僕は販売店として既製の天体望遠鏡や双眼鏡を売ってたんですけど、当時の宮野さんは望遠鏡の輸入業をしていて。僕の店に、宮野さんが売りに来たんですよね。
宮野:僕はよく商談も兼ねて望遠鏡や双眼鏡の工場を見に行ってたんです。岩手にすごくいい天体望遠鏡の工場があったので、「そこでオリジナルを作ったらどう?」って中村くんに話をして。それが一緒にやるようになったきっかけです。
──へえ~、日本に双眼鏡の工場があるんですね。
中村:日本の双眼鏡の技術って突出してるんです。ヨーロッパももちろんすごいんですけど、アメリカよりは日本ですね。
宮野:日本の双眼鏡技術は、ほぼ世界一と言っていいんじゃないですかね。
宮野さんは天体少年から望遠鏡を売り始めるまでに。二人は一緒に作るようになった今も一応は別の会社だそうだ
──日本が、へえ!
中村:そこで『スコープテック』というブランドで天体望遠鏡を作ったんです。他社が初心者向けの天体望遠鏡をちゃんとやってなかったところ、すごくしっかりしたものを作って出した。今でもamazonで一番売れてる望遠鏡ですね。
宮野:天体望遠鏡である程度できたんだから、と今度は双眼鏡を作った。それで今に至ります。
双眼鏡の市場は望遠鏡の10倍
これは「星座望遠鏡」といって、倍率はわずか1.8倍。サッと取り出して星を見るのに使える
──望遠鏡と双眼鏡って同じようなものと考えてたんですけど、けっこう違うんですか?
中村:双眼鏡は売り先もすごく多いし、工場も日本国内だけで10はあるかな。天体望遠鏡は3社ぐらいしかないので10でもすごく多いんですよ(笑)。
宮野:市場も望遠鏡より大きいです。10倍くらいあるかな。
──そんなに違うんですか。双眼鏡って観劇以外だとどういう人が買うんですか?
宮野:まず野鳥観察、あとスポーツ観戦。面白いのが仏像や美術館の鑑賞。細かいところまで見たいんでしょうね。釣りで浮きを見るために使うという方もいるし、競馬やボートレース、あとはフィギュアスケートも多いですね。
中村:天体観測は望遠鏡のイメージがあると思うんですけど、双眼鏡のほうが視野が広いんですよ。だから、対象を見つけやすいんです。
宮野:望遠鏡は月のクレーターとか狭い場所を拡大して見るのに向いてます。星雲星座とか月の全景を見るのには双眼鏡が合ってるんですよ。軽く、小さく、視界が広い。旅行にも持って行けますよね。
──なるほど! 野鳥観察も視野が広いと探しやすそうです。
舞台までの距離を双眼鏡の倍率で割ろう
日の出光学の最も高倍率のものは8倍。手ぶれを抑える「防振機能」はないがドームコンサートだとアリーナくらいまでなら楽しめるという
──用途として、音楽のコンサートももちろんありますよね?
中村:もちろん。ホールコンサートまでは、おおむね低倍率であるうちの商品で対応できます。ドームでもアリーナならうちの8倍でも楽しめますけど、遠い席は150mとか離れてるので、防振機能のついた高倍率が必要になってくる。
宮野:倍率が10倍くらいになると手ぶれがひどくなるので、防振機能が役に立ちます。他社さんはすごく力入れていて、流行ってますね。
──8倍の倍率ってどれくらいですか?
宮野:対象まで80mの距離があるとすると、10mくらい近くで見るのと同じになります。距離を倍率で割ると、何mの距離くらいで見えるかわかるんです。
中村:人間の表情って、大体12mを超えると見分けるのが難しくなってくるらしいんですよ。東京ドームだと、一番遠い席では客席から舞台までの距離が120mを超えてくるので、10倍でもしんどい。
──ああ、なるほど。どのくらいの会場で見るかによって、双眼鏡の選び方が変わってくるんですね!
席のグレードを1ランク上げる低倍率の双眼鏡
日の出化学のラインナップは5~8倍の低倍率のものが中心
中村:うちの存在価値は、やっぱり低倍率で5倍とか6倍の双眼鏡です。なにがいいって、視野が広いんですよ。小さいところを大きく膨らませるとなると視野自体狭くなる。これはほんとにみんなに知ってほしいんですけど、双眼鏡には適切な倍率があるんです。
──これは知らない人が多そうです。
中村:例えば劇団四季や宝塚みたいなミュージカルは声を届かせるために、一番後ろの席から舞台までが大体25m~35mぐらい。日劇や帝劇もそうですね。でも舞台まで30mのところで8倍の双眼鏡使っちゃうと、視野には2人ぐらいしか入らない。見えてないところで何が起きているのかわからないんですよ。
──推しの顔だけ見たい人はいいですけど、舞台のストーリーを追うのは難しくなっちゃいますね。
中村:それもあってうちは低倍率。明るいしシャープだし、かつ視野も広く見えるので席のグレードが1段上がる、と言っても過言ではないです。例えば30m離れた最後尾の席で見てたとしても、6列目ぐらいで見てるようなイメージです。
高倍率に比べて、低倍率のほうが視野が広く、明るく見える(日の出光学HPより)
宮野:もちろん「推しの顔をアップで見たい」「東京ドームで見たい」という場合は高倍率が必要だし、用途によって違ってきます。最近は、うちの低倍率の双眼鏡をミュージカルのお客さんがすごく買ってくれるようになりました。
──ミュージカルのお客さんってそんなに多いんですか?
中村:市場規模でいうと、劇団四季と宝塚が同じくらいで、あとは今一番ホットになりつつあるのは「2.5次元」の舞台。全部合わせると相当大きな市場ですし、劇場の数も多い。うちのA-6やN-3だと、半分くらいが宝塚や劇団四季を見る方に買っていただいてますね。
N3というモデルは「入門」の「N」だそう。12,900円と入門でもなかなか!
インターネットで双眼鏡の説明ができるようになった
宮野:我々が双眼鏡を売る前は、30倍とか100倍の双眼鏡が新聞広告でよく出てましてね。よく見えそうで買っちゃうんですけど、手ぶれがひどいのと高倍率で暗くて見えないんです。
──スペックだけで見ると、倍率の高い双眼鏡に惹かれるのはわかります。
宮野:うちのHPの一番上にも「高倍率=高性能と勘違いしていませんか?」と書いてあるんですが、その風潮を変えようっていう思いもあったんですよ。
中村:ちょうど当時はウェブサイトで調べて買う人がすごく増えてきた時代。それまではカタログ情報から自分で選ばなきゃいけなかった。いかに低倍率がいいかをきちんと説明すると、商品が売れていきましたね。
宮野:市場でも30倍の双眼鏡が急に減ってきて、各社、大体低くても8~10倍の倍率だったところに、5~6倍の双眼鏡が増えてきましたから。
中村:僕らがそういう商売を始めたことで低倍率は再評価されたと思ってます。それもインターネットで。新しい時代が来たんですよね。
SNSで双眼鏡まで推せる時代に
──カタログからウェブサイトに移って、今度はSNSの登場でまた変わったわけですか。
中村:変わりましたね。口コミでいつの間にか流行ってたりするので。今ミュージカルの市場は大きいですし、しかもみんなすごくお金をかける。
──そっか、推しの文化だからこそ口コミで拡がる。18,800円の“ヒノデちゃん”が売れてるんですもんね。
中村:そうですね、一番売れてる。自分たちとしてはこれまで作った中で最高傑作だし、今後大きなモデルチェンジもないだろうっていうくらい自信作なんですよね。
宮野:高級車1台分の型代を投資して、2人で半分ずつ払ってます。
──ぎゃーっ、高い!
高級車1台分の型代を払った二人
中村:でも作ってるのはほんとに超一流の、世界でも 3本の指には入る技術力を持った工場で。日本の会社が管理してる中国工場で、安くはないけど僕らとしてはそこで作ってもらうのが悲願だったんですよ。いろんなトップブランドもやってるすごい工場。
宮野:作ってくださいって言っても普通は断られたりするんですけど、僕らの今までの頑張りを見ててもらえたのかな、と。
最高傑作は「いい見え方」がする
──そんな“ヒノデちゃん”ことA-6の一番気に入ってるポイントはどこですか?
中村:細かい部分がいっぱいあるんですけど、決定的に違うのは透明感。今までのAシリーズと比べて突出して見え方の透明度が高い。綺麗なんですよね。
宮野:「いい見え方」がします。
──いい見え方?
中村:例えば、あそこの壁を見ると凸凹がありますけど、あれは「階調」といって、明るいところと暗いところがあるわけです。そうした階調も、綺麗に見えてきます。
外の壁のでこぼこもめっちゃきれい!
──これは……! なるほど、近くで見てるまんまの視界。壁ファンにも良さそうな……。
中村:例えば宝塚みたいにすごくきれいな衣装はこれで見ると、やっぱり素晴らしく見えるらしいですね。きれいにスポットライトを反射して、衣装を見るにはほんと良いですって言われます。衣装とか小道具とか、宝塚はやはり凝ってますから。
──あ~、なるほど! 職人さんも浮かばれるわけだ。ファンは買いたくなるだろうなあ。
電池の入ってないおもしろさ
──お二人の考える双眼鏡の面白さってどういうところなんですかね?
中村:幅が広くて奥が深い、工業製品として美しいというのもありますが……双眼鏡は自分の手で調整できる範囲が大きいんですよ。今はスマホでもなんでも箱を開けるとICチップが入ってて、それ以上はわからないですよね。でも双眼鏡は一切電気が関わってないから、開けると全部仕組みがわかる。
──そういえば双眼鏡には電池が入ってない。
宮野:たとえば車メーカーだと1人が携われる場所ってほんのちょっとですよね。でも双眼鏡は企画から販売まで全部、同じメンバーで完結できる面白さはありますね。
検査の機械を使って調整する。中村さんは双眼鏡がおもしろくなってきて、ついに修理まで担当することになったそうだ
中村:昔の車は自分で修理できたりしましたよね。双眼鏡だと技術的なところをこっちもわかってくれば工場とも深い話をしながらオーダーができる。この小さい中に色んな技術が入っていて、それを組み合わせていいものにしていくのが面白いんですよ。
指差している所には「プリズム」という鏡のようなパーツが入っていて、ここで倒立した像を元に戻している。球面のレンズを磨くより平面のプリズムを磨く方が難しいと言われているほど、技術の発揮しどころ
──新作のA-6でも細かいつくりが発揮されてるし。
宮野:高さを変えたり、ゴムの形状を変えたりですね。工場の方から「もういいかげんにしてください」って言われました。このリングの形状も材質も直しましたし。
リング部をゴムにすると脂分がついていても回しやすいそう
中村:指がかりがね、全然ちがうんですよ!
──話に熱がこもってきました(笑)。たしかに回しやすい。
宮野:工場行くと「日の出光学はうるさい」と思われながら(笑)。
中村:でももっと大事なお客さんがいっぱいいるだろうに、試作品が上がったら真っ先に見せてくれることもあるんです。うちは最後発だから、他と同じことやってちゃいけないという気持ちもあったし。単純に僕も宮野さんも、物を作るのが楽しくてしょうがないからやりすぎちゃうんですよね。
とにかく熱が伝わってくるお話が聞けました
というお話を聞いてきました。実際この”ヒノデちゃん”を見せてもらったら、双眼鏡を見ているような感覚ではなく、自分が近くに移動したようなそのままに近い視界で驚きました。これは欲しくなる。
そして中村さんと宮野さんのとにかく楽しそうで熱いお話にこっちまで熱がこもってきました。双眼鏡みたいな難しそうな工業製品を未経験で作ることになっても、こんなに熱中してものづくりができるんだという衝撃を静かに重く受けてます。
いい見え方がします…!!
取材協力:日の出光学 https://bino.hinode-opt.jp/