これは、宮崎県都城市で独特に進化したおでん

 

冒頭から空腹感を刺激する写真を失礼します。

 

これはこれは……

 

グイッ……

 

 

うめぇ。

 

 

どうも、徳谷柿次郎です。

 

今、僕がいるのは、宮崎県都城市。都城といえば、芋焼酎「黒霧島」を製造している霧島酒造のお膝元です。

 

黒霧島というと、そもそもは「芋臭い」「ダサい」「おじさんの飲み物」というイメージの強かった芋焼酎を、幅広い世代の人々に定着させた代表格的な存在。

 

今でこそ、日本全国の居酒屋さんで見かけるようになった黒霧島ですが、実はメジャーになるまでにかなりの企業努力をしてきたそうです。

 

霧島酒造が芋焼酎の製造をはじめたのは1916(大正5)年。そして、黒霧島の販売がスタートするまでは、そのシェアはほとんど地元に限られていたとか。

 

それが、黒霧島の発売当初の1998年度は約82億円だった売上高を、2016年度には約680億円まで伸ばしました。なんと8倍以上!!!!

 

黒霧島の人気のおかげであることは言うまでもありませんが、黒霧島はなぜこんなに支持されているんだ!?!? そのおいしさの秘密は!?!?

 

 

そんなことを考えていたら、一冊の書籍に出会いました。

 

『黒霧島物語』馬場燃(日経BP社)

 

この本によると……

 

 

・創業者の祖先である江夏七官は中国から渡ってきた漢学者で、塩を売り歩いて生計を立てていたが、漢字の文章を読めることで殿様に見出された人物。

・江夏家の分家から派生した江夏吉助が「川東江夏商店」を興し、1916(大正5)年に焼酎の自社製造をスタート。

・二代目の江夏順吉が焼酎業を引き継ぎ、霧島酒造を設立。杜氏制度を廃止し、発酵の過程を科学的に分析。

・井戸水を掘り当て、「霧島裂罅水(きりしまれっかすい)」と名付ける。酵母菌の発酵との相性がよく、焼酎造りに適しているため、仕込み水に使うことで品質向上の転機となる。

・順吉の代で大きく品質を向上させたが、販売のための営業に力を入れることはせず、県外では売上を伸ばせないまま1996年に急逝した。

・順吉の次男である順行が三代目社長に就任、三男の拓三が専務に。営業畑出身の順行と製造に詳しい拓三の二頭体制に移行する。

・1998年、黒霧島が販売開始! 当時は業界でタブーとされていた黒いラベルが人気に。

・まずは同じ九州の大都市福岡での売り上げを増やしていくという方針で、酒販店への地道な営業や、100mlの無料サンプルなどで知ってもらい、じわじわとシェアを伸ばす。

 

 

……黒霧島、すごすぎません!?!?

 

というわけで、書籍にも登場した、黒霧島の産みの親である霧島酒造の代表取締役専務の江夏拓三さんにお話を聞いてきました。

 

 

実は、専務に取材をしたのは2021年の夏。この記事は、2年ほどの時を経て、僕がどうしても専務の「悟り」についての言葉をまとめたいと思ってつくりました。前半は、黒霧島をはじめとした霧島酒造の魅力に迫っているのですが、後半は専務による悟りの話です。ぜひ、悟りの話まで読んでもらえたらと。

 

 

できたてまろやか。食事を引き立てる黒霧島の、“舌の洗い流し効果”とは⁉︎

「専務! 今日は、黒霧島がなぜこんなにおいしくて、支持されているのか聞きにきました!」

「黒霧島って、品質面で焼酎のなかの焼酎……ザ・焼酎って感じなんですよ」

「ザ・焼酎?」

「黒霧島は飲み心地がやわらかいんです。芋焼酎って、サツマイモ、つまり野菜からできた焼酎です。米焼酎や麦焼酎などの穀類からできた焼酎は、もちろんおいしいけれど、野菜でつくるよりもできたてに刺激があるんですね」

「そうなんですね!? 知らないことばかりだ」

「野菜を原料にしている焼酎はやわらかいので、できたてが飲める。これが大きな違いなんです。特に黒霧島は伝統的な黒麹を使ってつくった焼酎なんですが、本当にやわらかくておいしくて」

「やわらかい、というのはなんとなくわかります。それがおいしさの秘訣なんですか?」

黒霧島は、全体的にまろやかなおいしさで、甘味や酸味、辛味など、人間が舌で感じ取れる刺激の五角形でいうと満点なんです。だからどんな飲み方をしようが、やわらかくて、すっと入ってくる」

 

「なるほど……。だから、水割りにしようが、炭酸を入れようが、おいしいってことだ」

「昔はウイスキーのようなお酒を飲むときって、食事が終わってからカウンターに行って、たしなんでいましたよね。でも焼酎文化は、食事をスタートしてから食べ終わるまで、のべつまくなしに飲むんですね」

「うんうん。焼酎はお酒だけで楽しむというより、食事に合わせたいお酒ですね」

「お魚を食べちゃ黒霧島を飲み、お肉を食べちゃまたこれを飲む。そうやって一杯飲んで、また食べてを繰り返し続けられるのは、黒霧島に“舌の洗い流し効果”があるからなんです」

舌の洗い流し効果⁉︎ 初めて聞いたフレーズです」

 

「肉のように濃いものを食べても口の中をリセットしてくれて、次に淡白な白身魚を食べるときにはまたおいしく食べられる。そして、また、食欲が湧いてくる。それが食事処の福岡で、ダーッと流行ったんです」

「すごい。飲むためのお酒というよりは、食事のために最適化したお酒なんですね」

『黒霧島を飲むためじゃなくて、食事をおいしくするために黒霧島を飲む』、この逆転の発想がなければ黒霧島は誕生しなかったと思いますし、ここまで支持されなかったんじゃないかなと」

「そんな逆転の発想が黒霧島をおいしく感じる秘密だったとは……」

「『このお酒はおいしいから、こういうふうに飲んでください!』という売り込み方をしている会社もいっぱいありますけど、うちは違うんですね。『黒霧島を飲むことによって、お食事がおいしくなります』と伝えているんです」

「引き立て役を徹底してる!」

 

クリエイティブディレクターとしての専務。そして悟り

金霧島を含む健麗酒シリーズ(2022年にリニューアル)

「霧島酒造は黒霧島という看板商品がしっかりありつつ、茜霧島や金霧島など、新商品の開発にも力を入れてますよね」

「研究員もいろんなところから来ていただいてます。ひとりの研究員なんか、中国に明日帰るっていうときに声をかけてね」

「まさかの、帰国前日に!?」

「鹿児島大学で勉強して、中国の眼科の資格を持ってるんですよ。その研究員が中国へ帰るという寸前に会って、誘ったんです。その頃の僕は、冬虫夏草が秘める力に注目していたんですけど、その研究員と冬虫夏草(1*)を研究し、実証実験を重ねていった結果、冬虫夏草を漬けた金霧島が生まれたんです。茜霧島もその研究員の働きでできた焼酎なんです」

(1*)冬虫夏草……「冬は虫、夏は草」という不思議な生態から名づけられた冬虫夏草は、世界でも大変珍しいキノコの一種。

 

金霧島も、うまいっ!!!!

「黒霧島だけじゃなく、茜霧島や金霧島もすごく研究されつくして、つくられたんですね。霧島酒造のすごさというのがだんだんわかってきました」

「商品はもちろんですけど、新聞広告も工夫してたりね。黒霧島が誕生するもっと前の、1987年から宮崎県内の新聞社で『うまいものはうまい。』という新聞広告を出してきました」

「そんなに前から」

「それはそもそもは、霧島酒造の焼酎がどんな料理にも合う食中酒であることを伝えることを狙った企画だったんです。広告ではあるけども、地域貢献のためだね。自分で取材して、記事を書いてきました」

 

「えっ、専務ご自身が書いていたんですか?」

「そうそう。30年以上かけて、800ヶ所以上の場所を回っているんですが、僕はそのうちの約400ヶ所を回りました」

「400ヶ所も。写真もめちゃくちゃ凝っていて、いいなあ」

 

「すごいでしょ! この写真はね、トビウオを天蚕糸で釣って、後ろに銀紙をくるくる巻いて、ガラスにラードを塗ってぼかしを入れて、まるでトビウオが海で飛んでるように撮影したんです。これはもうスタジオでもなんでもない、古着屋さんの2階でした

ええええ!?(笑)。古着屋さんにはまるで見えないです。専務のしていることって、クリエイティブディレクターって感じですね」

「教わったわけじゃなくて、自分で考えてつくったんですけどね。たしかに、これのディレクターは全部、僕なんです」

「すごい。全部ポスターにして貼りだしたいくらいかっこいいですね」

 

「この企画のように、ずーっと努力を重ねて重ねて、はじめて物事はうまくいく。一攫千金でつかんだものはボロッと崩れますから。継続的に努力する姿勢が最終的にいろんなものをつかんでいく。それは、若い人にもわかってもらいたいことですね」

「くうー、カッコいい!!!!」

「電球を発明したと言われるエジソンが、白熱電球の実用化を成功させるまでの過程も、『これだ!と思ったけど、ダメだった』といった試行錯誤の繰り返しなんです。試行錯誤自体を楽しめないとダメということ。これは悟りの世界だね」

突然の悟り!?⁉︎

 

クリエイティブには“悟り”が必要⁉︎

「ちょっと悟りの一枚絵を持ってきてごらん」

「悟りの一枚絵!?!? 見たいです」

 

(スタッフさんが持ってきてくれました)

 

悟りっちゅうのはこういうもんだよというので、イメージが湧いて描いたんです」

「こ、これが悟り……」

「なぜ、こういうふうにぼかして描いているかと言うと、悟りというのは、絶えず、ありそうで、ない。あると思ってたものがなくなっちゃうわけです。つかまえたと思ったものが逃げていく……。こういうのを何百回、何千回と繰り返さないと到達しないんです」

 

「到達しない……」

「みなさん“悟った”ってすぐに言うでしょ。僕もよく悟りのことを考えるのですが、悟りは非常に爽快であるんですよね。さーっと爽快。爽快感が違ってるわけです」

「悟りは、爽快。専務は悟りましたか?」

「年寄りになると体力も知力も気力も全部衰えていきますからね。年寄りになって唯一できることは悟りだけ。だから自分が思いついたものを忘れないうちに書き留めているんです」

「何度か悟りに触れてるんですか、専務は」

「触れてるというか、そういう勉強をしただけですね。僕が若い頃、40年前くらい前、北鎌倉の円覚寺で禅の修行をしていたことがあって。慈雲と呼ばれる足立老師という、円覚寺のトップの人に教わったんです」

「円覚寺のトップの人に禅を」

「禅寺は京都にもいろいろありますけど、円覚寺がやはり参禅するのには最高だと思います。そこで私は11日間、寒い中、座ったまま横になることもできずに、禅の修行をしました」

「11日間ずっと⁉⁉︎︎」

「そう。姿勢が崩れると、バシッと叩かれますからね」

「うわあ! テレビでしか見たことないやつ!」

「これを経験していなかったら、悟りの話もできないし、いろんな商品を発明したりできないですよ。禅を通して悟りを勉強したから、カメラマンでも記者でもないけど、写真から文章まで、こうやってつくりあげることができるということなんです」

 

これが、悟り

「たとえばオリンピック選手だって、何度も何度も同じ練習を繰り返すわけですよね。同じことを、何千回も、何万回も、何十万回も、繰り返す。小さい頃から、ずーっとずーっと努力を重ねて重ねて重ねて」

「たしかに。その極限が、オリンピック選手ですね」

「ずーーーっと継続的に努力していく。この姿勢がいろんなものをつかんでいくんです。もちろん紆余曲折するんですけど。簡単に『これだ』と見つかるものではなくて、あっちに行ったり、こっちに行ったり。つかんだと思ったらまた消えてしまう。『これだ』と確信して、同じように続けていたら、『あっ、やっぱり違った。もうちょっとこっちかもしれない』っちゅうふうにできているんですよ。世の中は。これが悟り」

 

「これが、悟り」

「オリンピックの金メダルを取るような選手は、到達したのと似てるんですけど。人間の中には憎しみとか僻みとか憎悪っていうのがある。これも消え去ってしまう。透明になっちゃう世界なんですよね」

「透明に」

「悟っても絶えず、即逃げていく。悟ったと思ったらもう逃げていってる。最終的には生と死を超越するわけ。生きてるのか死んでるのかわからないのが悟りなんです。『生きてますか?』って聞いたら、『いやー、生きてるんかな』。『死んでますか?』って聞いたら『死んでもないなあ』と。いったいなんなんだ?というわけね。これが悟り」

 

「これが悟りなんですね」

「つかんだと思ったら離れる。これが悟り。これが人生ですよね。どんな人でもつかんだら離れるんです」

「これが悟り。これが人生」

「時代は変わったわけです。今からの組織は、これまでの在り方ではいけない。つかんだと思っていたものが離れていくということです」

「悟り経営論だ!」

「これからはフラットな意見が必要ですから、我々はフラットな組織をつくっていきます。みんなが素晴らしい意見を挙げられるような仕組みをつくらなきゃいけない。今後は繁栄する企業とそうじゃない企業に分かれていきますよ」

「はい」

「人間が、欲望の在り方を変えない限り、ダメですよ。もう一回悟りを開き直さないと。今日は悟りで終わりましたね。楽しかったでしょ、今日」

「楽しかったです!」

 

悟り

 

なぜ黒霧島はこんなにおいしくて、広く支持されているのか。なぜ霧島酒造は、看板商品に驕らず新商品を発明し、売り上げを伸ばし続けられるのか。

 

専務の話を聞いて、答えは悟りにあるように感じました。

 

悟りは、試行錯誤の繰り返しの先にあるもの。

 

そして、つかんだと思ったら離れるもの。

 

不断の努力を重ねてようやく「つかんだ!」と思えたことに、執着しないというのは、尋常じゃないことのように思います。

 

執着心を捨てるためには、専務の言うように、試行錯誤の過程自体を楽しむことが大切なのでしょう。

 

過程を楽しめるようになれば、今への執着が自然と薄れる気がします。そして、そうやって「不断の努力」と「手放し、始めること」をひたすら繰り返している企業が、霧島酒造なんじゃないかと思いました。

 

お釈迦さまは、「一切皆苦」という真理を説きました。

 

「私たちの世界は自分の思い通りにならないことばかりである」という意味だそうです。

 

不都合な世の中をサバイブしていくために、霧島酒造のように試行錯誤の過程自体を楽しみながら、生きていきます。

 

構成:小山内彩希
編集:くいしん
撮影:大塚淑子