ジモコロ編集長の友光だんごです。僕は今日、とあるフェスに来ています。いまはライブステージの真っ最中。

ステージで歌っているのは……

後藤正文さん。「アジカン」ことロックバンド「ASIAN KUNG-FU GENERATION」のボーカル&ギターであり、今回のフェスにはソロで参加しています。

 

……しかし後藤さんの歌、すっごいな! さっきから圧倒されています。

数万人規模のステージを沸かせているアーティストだから当たり前なんですけど、もはや全身がひとつの楽器。アコギと声だけとは思えない覇気をビンビンに感じる。プロってマジですごい。

 

そんな後藤さんといえば、アーティストとしての活動だけでなく、ずっと社会と向き合った活動を続けてきた方です。

例えば『THE FUTURE TIMES』。

東日本大震災をきっかけに後藤さんが編集長として立ち上げ、全国で無料配布された「未来を考える新聞」である『THE FUTURE TIMES』。現在までに9号が配布されている

後藤さんは仲間たちとともに現地を取材しながら、自らも記事を執筆。震災以降の東北各地や、次世代のエネルギーをめぐる現場をフィールドワークしてきました。

また、坂本龍一さんが呼びかけて始まった脱原発のための音楽イベント『NO NUKES』に初回の2012年から参加。その後、2021年からは坂本龍一さんや哲学研究者の永井玲衣さんらとともにプロジェクト『D2021』をスタートし、ドキュメンタリーやトーク番組、イベントなどさまざまなアプローチで「これまでとこれからの社会のあり方」を問い続けています。

※『D2021』……震災(Disaster)から10年(Decade)という節目の2021年に活動を開始。ドキュメンタリー映像『Decade』、トーク番組『Dialogue』、ポッドキャスト『D-Radio』、イベント『D-composition』などの制作を通じて、これまでとこれからの社会のあり方を模索するムーブメント

 

音楽家として、ひとりの市民として、社会課題に向き合いながら、真摯な言葉を発してきた後藤さん。その姿勢には、僕自身も影響を受けてきました。

そして最近、後藤さんが中心となってNPOを設立。静岡県藤枝市にスタジオ「Music Inn Fujieda」を作るというニュースも目にしました。

アジカン後藤正文が音楽支援を行うNPO法人創立「何度でもチャレンジできる場所を目指す」(ナタリー)

https://natalie.mu/music/news/582866

藤枝市のまちづくり事業とも連携しながら、古い蔵をスタジオに改装し、ミュージシャンが練習や収録に取り組める場を提供するプロジェクトを立ち上げるんだとか。

ジモコロで全国の現場を取材する中で、ローカルと社会は地続きであると感じてきました。一息に世界を塗り替えることは難しい。けれど、それぞれの現場で少しずつポジティブな変化を積み重ねていくことが、よりよい未来に繋がるのでは? だからこそ、後藤さんが静岡で挑戦しようとしていることが気になったんです。

なぜ、改めてローカルでの場づくりにチャレンジしたのか。スタジオを通じ、どんな場を作ろうとしているのか? 後藤さんに話を聞きました!

 

「個」という最小のローカルを、書いて残すこと

ライブ後にフェス会場でお時間をいただきました

「さきほどのライブ、最高でした! 今日のフェスは、福島原発の事故で避難区域になった町・浪江(なみえ)が舞台です。後藤さんは震災をきっかけに『THE FUTURE TIMES』の活動も始められてましたよね」

震災の歴史って、どうしても大きな物語に集約されていってしまうと思うんです。新聞やウェブの記事の『大きな見出し』になりがちというか。でも、それぞれの人たちが体験した、それぞれの思いはあるじゃないですか」

「一人ひとりに何が起きて、何を感じたか、はなかなか見えてきづらいし、アーカイブも残りづらいかもしれませんね」

「歴史はいつの時代も権力の側が残してきたものだし、そういう歴史が集まったのが教科書ですよね。だけど、もっと私たちの言葉で、私たちの困難を書き残しておきたい。そうやって始めたのが『THE FUTURE TIMES』なんです」

「それで、日本全国の現場へ通うようになったんですね!」

東日本大震災が起きた当時、自分は30代で、後悔みたいなものがあったんです。これまで社会や政治にほとんど参加してこなかったし、そういうものから距離を置くのがクールだ、みたいな時代もあった。そこに対して色んな気持ちが湧き上がった結果、仲間たちと集まって、新しいビジョンを紙に擦り付けるような動きが始まったんです」

「一人ひとりの歴史をアーカイブしていくのは民俗学的なアプローチだとも思うんですが、もともと興味があったんですか?」

「そうですね。平凡社ライブラリーの『日本残酷物語』のような本を読んで、教科書には全く載っていない、庶民の苦悩や個人のローカルな歴史を知って、関心を持ちました。だから、自分が注目している『ローカル』があるとすれば、地域や地元というより、もっと本当に『個』の人間というか、本当に小さな単位の『ローカル』だと思います」

「たしかに、究極のローカルは一人ひとりの『個』かもしれませんね。それは『THE FUTURE TIMES』にも、後藤さんの普段の発信にも通じている気がします」

「書くことって、すごい力なんですよね。それを誰かに預けてしまうんじゃなくて、日記でも、ブログでも、自分たちの言葉で自分たちの困難や思いを書くことは大事だな、と思います」

「ブログもずっと昔から書かれてますが、その意識もあったんですか?」

「最初は単純に、書くのが好きだからでしたよ。でも、いろんな場所で、色んな人と話をしながら、だんだんさっきみたいなことを理解したのかなと」

アジカンのHPで、その後は自身のHPなどさまざまな場所で日記を書き続けてきた後藤さん。『ぴあ』や『朝日新聞』などでも連載を持ち、書籍化されたものも多い(撮影:編集部)

「後藤さんはアジカンというメジャーのバンドに所属されていますが、バンドがどんどん有名になると、『個』のサイズ感も超えていきそうですね」

「バンドが大きくなるにつれて、いろんなことが自分の手を離れたり、自分だけで決められなくなったりすることへの寂しさはありました。インディーズの頃は、チラシ一つだって自分たちで作ってましたからね」

アジカンは2023年でメジャーデビュー20周年。先日、TVアニメ「NARUTO -ナルト-」のOPとして国内外で愛される代表曲「遥か彼方」を「THE FIRST TAKE」で披露

「当時はバンドと自分の身体性がほぼイコールというか、『アジカンは俺だ』くらいの距離感。でも、売れていくってことは、その距離感がどんどん離れていくことだと思うんです」

「あくまで想像ですけど、すごいジレンマはありそうですね。自分の音楽が広く届くのは嬉しいけれど……」

「楽曲についても『みんなのアジカン』になっていきますよね。メンバーやスタッフたちの想いもあれば、ファンの想いも、社会の中での意義も出てくる。そういうものをどう自分の中で納得していくかは、すごく難しい話で」

「今はそこへの折り合いってついてますか?」

「この歳になって、やっと受け入れられたと思います。それがいいか悪いかはわからないけれど。『みんなのアジカン』のコクピットに座ってるような感覚で、もはやアジカンとはみんなの共有財産のような存在に、半分くらいなっている感じがしますけどね」

「そういうアジカンとして動く場合、ソロとは別の感覚なんでしょうか」

「そこは、ほぼ同じですよ。アジカンに参加するのも自分の意思なので、スイッチを切り替えてるような感覚はないです。普段、自分で本を読んだり、フィールドワークして感覚や思考を深めることは、バンドにも、ソロの活動どちらにも繋がってます」

 

「いいスタジオ」が減っている

「最近の後藤さんの動きで、スタジオのことも聞きたくて。静岡の藤枝市にスタジオを作られるんですよね?」

「はい。新たに設立したNPO法人の代表理事は高校の同級生なんですけど、彼は以前、藤枝市の空き家対策の部署に勤めてたんです。当時Facebookで『空き家担当になった』ってポストしてたのを見て、その投稿に『天井が高くて、でっかい倉庫みたいな建物があったら紹介して』って僕がコメントして」

「そんなSNSのやりとりが!(笑) そこから物件との出会いがあったんですね」

「今は使われてない、古い土蔵が見つかって。リノベーションして音楽スタジオにする計画が進んでます」

スタジオとなる土蔵の外観(写真左)と2階部分の内観(写真右)。明治時代から残る蔵を改修し、2階まで吹き抜けのスタジオになる予定。後藤さんたちが設立したNPO「アップルビネガー音楽支援機構」が運営を行う。スタジオにはこれまで後藤さんが集めたレコーディング機材も提供されるそう(撮影:編集部)

「後藤さんは個人スタジオもお持ちですが、なぜ新たに?」

「バンドをプロデュースする仕事もしてるんですけど、ドラムの録音に困ってたんです。スタジオを探すのが大変だし、いいところはべらぼうに高い、みたいな感じで」

「いいスタジオって、何が違うんですか?」

「空間ですね。いいスタジオって、メインのブースが天井は5mくらい、40畳以上あって。とにかく巨大なんですよ。そこを借りようと思うと1日20〜40万円くらいかかるので、最近のインディーズの予算だと厳しい、となっちゃう」

「ひいい〜。昔よりCDが売れなくなって、予算も減っているとかもあるんでしょうか」

「そういう業界の変化もあるけど、いいスタジオ自体が減ってるんです。やっぱり、スタジオってコスパが悪いんですよ。都内の一等地でそんな広い面積をとってるより、他の施設にしたほうがお金も入るでしょ、みたいな話で」

「すごく雰囲気のいい昔のビルやお店が壊されてコインパーキングになっちゃう、みたいなことが日本各地で起きてますね。それがスタジオでも!」

「日本がバブルの頃に、いいスタジオがいっぱい作られてたんですよね。当時はお金があったから。でも社会の状況も変わって、取り壊されたり、別の用途になってしまっている。イギリスとかは今でもたくさん残ってるんですけどね。たいてい資産家が保護してるんです」

「文化や音楽に理解のある人がいれば……」

「『あの作品が生まれたスタジオを潰すわけには』みたいな考えもあるでしょうし。でも、海外の有名なスタジオも家賃の安い郊外に移転する流れはありますし。都会で維持していくのは、なかなか難しいですよね」

「経済の流れとしては仕方ないかもしれませんが、切なさはありますね」

「新しく作るのも、すごくお金がかかるんです。本当に小さいスタジオを作ろうとしても、数千万、もしくは億単位になる。実は藤枝市の物件の前に、別の蔵を買ってスタジオにする話があったんですよ。大正時代の石蔵だったんですけど、アジカンでレコーディングしたことのあるフー・ファイターズ(※1)のスタジオくらい、広くて最高の空間で」

※1 フー・ファイターズ……アメリカのロックバンド。ニルヴァーナの元ドラマー、デイヴ・グロールを中心に結成。アジカンは2015年発売のアルバム『Wonder Future』を、フー・ファイターズのプライベートスタジオである「Studio 606」で録音した

「そうなんですね!」

「でも、その石の蔵も都内にあるような設備のスタジオにするなら、最低でも建設費1億円みたいな感じで。結局、オーナーさんとの折り合いがうまくいかず、その物件は無しになったんですけど」

「そんな状況だと、若いミュージシャンは大変ですね。生楽器のレコーディングのハードルがどんどん上がってしまってる」

「だからみんな、小規模のプライベートスタジオになるし、ドラムは打ち込みになっていく。富の偏在というか、儲かってる一部の人はいいスタジオを使えるけど、インディペンデントの人は工夫してやるしかない、みたいな状況になっちゃうわけですよね」

 

音楽という文化を、開いていくために

「そういう風にお金のある人だけがいい音楽を作れる、となると、文化としてはどうなんだろうって気持ちも湧いてきます」

「ある意味では仕方ないですけど、そうじゃない場所もあっていいよね、とは思います。昔はレコード会社しかスタジオを持ってなかったし、『いい音で録る』技術をいかに外に出さないか、でクオリティがコントロールされてた」

「ブラックボックスがあったんですね」

「でも、文化ってもっと広く開いてていいんじゃないかなと。どんどんスタジオが減って、一部の人だけのものになると、音楽という文化も細くなっていく予感があったんです」

「じゃあ、藤枝市のスタジオは開いた場所に?」

「都内の超一流スタジオと同じ機能は難しいですけど、プライベートスタジオよりは天井がはるかに高い。お金がなくてもDIYでいい音が録れる、っていう場所にはしたくて。最高の機材もそろえて、フェアな状態にはしたいんですよね」

「プロフェッショナルなスタジオで作られた一流の音楽に反抗するために、ガレージ(車庫)で練習してたミュージシャンたちがガレージロックを生んだ。さらに、そこからパンクロックなんかも生まれてきてるわけです。だから、その真ん中くらいの場所を作れたら一番いいなって思ってます」

「まさにパンク的な、DIY精神ですね。藤枝市のスタジオには、地元の人も遊びに行けたりするんでしょうか?」

「いろんな人が交流できるようなスペースも併設したいと思ってます。ミュージシャンが情報交換するだけじゃなく、地元の人とも話せるような」

「地元の若者にとって、自分の街にいろんなミュージシャンが来るような場所ができるのは嬉しいと思います」

「僕の勝手なイメージですけど、学校には行きたくない、みたいな子が『あそこなら行きたい』って場所になったらいいですよね。地元では見かけないようなバンドマンの大人が音楽を教えてくれたり、なかには勉強を教えられるやつだっている気もしますし」

「めちゃくちゃいいですね!」

「いずれにせよ、そうやって色んな人が集まって、みんなで育てていくような場所がいいなと思うんです」

「地元の人も含めて巻き込みながら」

「気をつけないと、音楽にまつわる場所ってすぐ迷惑な施設になりかねないと思うんです。コロナや震災の時でも『音楽なんて不謹慎だ』みたいな瞬間はあったし、興味のない人には、音楽が本当に耐え難い雑音になったりもする。そこは上手にやんないとな、と」

 

「その街の風景」を、歴史を、どう残していくか

「後藤さんは静岡県の島田市出身ですが、地元への思いはやっぱりありますか?」

「静岡のことはやっぱり考えますね。いろんな土地へ行くんですけど、例えば四国の徳島へ行った時、外国の人もたくさん来てるし、ゲストハウスもいっぱいある。なんでだろうと思って話を聞いたりしてたら『お遍路だ』と気がついて」

「お遍路の文化が残っているから、現代の観光にも繋がっている」

「それと比べると、静岡は『東海道』って歴史をあんまり守ってこなかったのかな、と思います。かつては江戸と京を結ぶ街道の『東海道』があったんですけど、新幹線が通って、『東海道』がそっちの意味になっちゃったというか」

「街の史跡としては東海道の名残もあるとは思うんですけど、もっと文化や経済みたいなレベルで土地に残っているか、の話ですよね」

「島田市も藤枝市も、元々は東海道の宿場町として栄えたわけです。でも今や駅の周りだけが栄えて、ホテルも駅前に集まっている。そして古い商店街が廃れていく、みたいな流れがある。新しいスタジオは藤枝市の旧市街地再生プロジェクトにも関わっているので、よけいに考えますね」

「東京の開発も含め、全国で似たような話はある気がします。歴史的な建物をどう残していくか。ただ残すのがいいか、という議論もあるでしょうし」

ミュージシャンとしては、日本土着の文化って羨ましいんですよ。音楽の場合、明治や大正の頃に大きなリセットが入っているので。ドレミファソラシドや平均律が西洋から入ってきて、それ以前の三味線や琵琶みたいな邦楽との繋がりはだいぶ切れちゃってる気がしていて」

「たしかに音楽はそうですね。日本古来の音楽は、盆踊りとかでかろうじて残っているくらいかも」

「だから、例えば日本酒の文化は羨ましいなと思います。伝統の製法が残っていて、わかりやすく過去との歴史的な繋がりが見える。もちろん、古いものをただ全部残していくのが正解だとも思わないけど。その街の風景みたいなものをどう留めていくかも、いろんなやり方があるはずなので」

今回、後藤さんが出演していたフェスは『YoiYoi in Namie』。フェスを主催した「haccoba」は2021年2月、福島県の小高(おだか)で移住者である佐藤太亮さんが設立した醸造所。かつてのどぶろく文化を現代的に表現しながら、自由な酒づくりを行っている。2024年4月、醸造所のある浪江町で『YoiYoi in Namie』を初開催した

「藤枝市のスタジオは、いつオープンの予定なんですか?」

「2025年の秋頃を予定しています。土蔵のスタジオをまず走らせつつ、隣のビルの2階と3階も借りてるので、そっちはもう少し時間がかかるかなと」

「ビルもあるんですね!」

「2階をゲストハウスのような泊まれる場所に、3階をコミュニティスペースとサブスタジオに、と思ってます。とはいえいろんな場所を見てると、全部を一発の工事で完成させるのはお金がかかるな、というのもわかったので。ビルに関してはずっと作り続けてるみたいな状態もいいのかもな、と思ってます」

「最近は作る過程を見せるってやり方も増えてますね」

「ニーズって、後からついてくるところもあると思うんです。いきなり完成品だと『これ以上、何も付け加えられません』となりかねないけど、みんなで話し合いながら、何が必要か一緒に考えるやり方もあるなと、ここ10年くらい、いろんな街を歩いてみて気づいたので」

「それこそ地元の人の希望とかは、ある程度時間が経たないと見えてこない気もします」

「そうですね。だから資金面も含めて、あと何個かラッキーがないと無理だと思ってます(笑)。すごい人に出会えるとか、そういうのを引き寄せたい気もするし。東京的な『開発だ!』じゃなく、もっとゆるくていいんじゃないの、って思う。もちろん、ゆるくやっちゃいけないところはちゃんとやりますけどね」

 

おわりに

アジカンの音楽と15歳の時に出会い、それから20年近く聴き続けてきました。ライブにも何度も足を運ぶ中で、後藤さんが毎回のようにMCで話す言葉が印象に残っています。

「自分らしく、楽しんで帰ってください」

今日の取材を経て、改めて後藤さんの「個」というローカルへの眼差しを感じました。世界を変えるには、一人ひとりが変わっていくことから。そのためには、まずは自分という「個」に向き合い、それぞれが自分の場所で、自分らしく表現していくしかないのだと思います。

後藤さんが手がけるスタジオも、きっとそんな場所になるはず。スタジオの完成が今から楽しみです!

撮影:小林直博