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デンソー女子陸上長距離部「デンソーフリートセローズ」で8年目の池内 彩乃は、一度現役を引退した後、復帰を決意しました。他人との比較をやめ、「1番」になることさえ、あえて捨てる。自分磨きに専念した結果、心身が充実し、成績も向上しています。好循環の中にいる池内が、走り続ける理由とは。
この記事の目次
仲間とかなえた夢。憧れの全国高校駅伝を制す
──幼いころのお話から聞かせてください。やはり当時から走ることが好きだったのですか。
はい、とにかく好きでしたね。幼稚園での駆けっこや、小学校のマラソン大会、そして50メートル走でも負けたことがなくて。走ること以外でも、負けず嫌い。幼稚園児のころから習っていたピアノやバトントワリングでも、友達には負けたくないと一生懸命に練習していましたね。
──負け知らずの池内さんが、本格的に陸上を始めたのはいつですか。
小学校4年生の時です。校内マラソン大会の結果から、陸上部の顧問に「絶対にうちの部に入ってね」と誘ってもらえたのがうれしくて、入部しました。
地元の京都では大文字駅伝という大会があったのですが、学校の先輩たちが出場しているのをテレビで見て、「走ったらテレビに映るんだ」とうらやましくて。優勝テープを切る姿を目の当たりにして、私もあのようになりたいと思いましたね。
──陸上のどういう部分が好きで、のめり込んだのでしょう。
当時の練習メニューで一番好きだったのが、リレーだったんですよ。陸上って基本的にはひとりで走る競技ですが、メンバーと共にバトンをつないで勝ったときのうれしさは何にも代えがたいんです。みんなで同じ喜びを分かち合えるのが、魅力的でした。
──学生時代の、もっとも思い出に残るレースを教えてください。
立命館宇治高校(京都)の3年生だった2012年、全国高校駅伝の3区を走って優勝に貢献できたことですね。実は、その駅伝の日が迫っていた時期に足を痛めてしまい、絶好調から一転、出場できるかどうかが微妙な状態になったんです。でも大会3日前の練習で私の走る様子を見ていた先生が、「いける」と太鼓判を押してくれて。無事レースに出られて、しかも優勝までできました。
競技を始めた小学生の時からずっと夢見てきた一大レースに、かつて大文字駅伝で争ったメンバーたちと共に出場し、一緒に夢をかなえられた。あの思い出は私にとって、一生の宝物なんです。そして、全国制覇をして先生をみんなで胴上げできた時の感動は今でも忘れません。
実業団でも狙うは日本一。駅伝3連覇のデンソーへ
──立命館大学を経てデンソーに加入しましたが、何が決め手でしたか。
高校、大学と駅伝で日本一を経験して、実業団でも走るならやはり日本一をめざしたいと思ったんです。
大学1年生の時、後輩たちを応援するために行った全国高校駅伝の会場で、デンソーの当時の監督から声をかけられました。デンソーはそのころ、クイーンズ駅伝(全日本実業団対抗女子駅伝)で初優勝したばかり。声をかけていただいたことは、とても驚きましたが、私としても日本一のチームで活動したいと思っていたので、迷いはなかったです。
──加入前にはデンソーの練習を見学したのでしょうか。
はい。チームの先輩たちが大安製作所のグラウンドで練習しているところにお邪魔しました。まず、立派なグラウンドが社内にあるということに驚きましたね。さらに寮の施設やトレーニングルームを見て、練習環境が充実しているなと。
一方で、普段は和気あいあいとしているけれど、練習の時には張り詰めた空気が流れていて。さすが、優勝を狙うチームだなと思い、その雰囲気にも惹かれましたね。
──当時からチームの拠点は大安製作所にありますが、従業員と交流する機会も多いそうですね。
大会にはよく、従業員の皆さんが応援に駆けつけてくれるんです。レースで長い距離を走っていると、やはりきつく感じる瞬間がたびたびあるのですが、熱のこもった声援を受けるともう一歩、もう一歩、と踏ん張れるんですよね。応援から受けるパワーって、とてつもなく大きいと感じています。
ほかにも、選手と従業員が一緒にランニングを楽しむイベントでいろいろと話をしたり、ある部署の人たちは毎年新入部員のために似顔絵入りキーホルダーを作ってくれたり。同じ大安製作所の仲間として温かく迎えてくれることが、私たちの大きなモチベーションになるんです。「ありがとう」という気持ちを、これからも良い結果を出すことで伝えていきたいですね。
不退転の決意で復帰。老子の言葉を胸に刻んで
──2022年1月にいったん現役を退いたのは、なぜだったのですか。
話はさかのぼりますが、大学1年生の時にインカレ(日本学生陸上競技対校選手権)の5,000メートルで3位に入って、手応えを感じました。そして、翌日にオリンピックの東京開催が決まり「オリンピックまでは絶対に競技を続けよう」と誓ったんです。
一方で、自分の引き際として、できる限りピークに近い状態のままスパッと現役を終えたいとも思っていました。東京オリンピックも終わり、その年のクイーンズ駅伝でチームが3位に躍進したタイミングで、自分なりに納得して引退を決めました。
──そこから、およそ半年後に復帰した理由は。
引退後はスタッフとしてチームに関わっていたのですが「やっぱり私、走りたいのかな」という思いが湧き上がってきたんです。
──選手としてずっと1番をめざしてきた池内さんですが、もしかして世間的な1番ではなく、自分の中の「頂点」に届いていなかったとか……?
……その表現がしっくり来るかもしれません。
最後のクイーンズ駅伝でメンバーに選ばれなかった無念がくすぶっていたのか、「もう一度、みんなと一緒に駅伝を走りたい」という思いがこみ上げてきて。当時の監督に「私、もう一度走りたいです。走らせてもらってもいいですか」と伝えました。一度引退した後、復帰を宣言するのはすごく勇気の要ること。強い覚悟を持って、決断しました。
──不退転の決意で復帰してから、競技への取り組み方は変わりましたか。
人と自分を比べることから、自身と向き合って成長することに完全にシフトしました。引退前は「この人に何秒負けた」など他人に負けた事実に気を取られすぎていましたが、復帰後は「ここを改善すればいい」と自らの向上をまず考えるようになったんです。
──どうして、そのような考えに?
古代中国の思想家、老子の言葉に出会ったからです。「他人を知る者には知恵があるが、自分を知るにはもっと優れた知恵が必要」「力のある者は他人に勝つが、本当に強いのは自分に勝つ者」
チームの新米スタッフとしてもがいていたころ、それらの言葉に接して、まずは「ありのままの自分を受け入れよう」と思ったんです。人と比べるのではなく、自分自身と向き合って高めていくことが大事なのだと気づきました。そして、陸上が大好きだということも。
もう引退はしない。陸上は自分を高めてくれる「パートナー」
──復帰後は好調で、2024年3月のソウル・マラソンでは2時間32分26秒の自己新記録を出しましたね。当日はどんな気持ちで臨んだのでしょうか。
この大会に向け、3、4カ月にわたって練習をしっかりと積み上げてきたので、心身共に充実した状態でレースを迎えることができました。私にとって初の海外レースでしたが、動じることなく集中し、いわゆる「ゾーン」に入った状態でした。陸上って、スタートラインに立った時点で9割方、勝負は決まっているんですよね。
最近、自分と向き合う時間を長くしたことで、不思議なことに心と体が整っていくような感覚に包まれています。もしかしたら……他人との比較をやめ、「世間的な1番を手放した結果、最終的に1番が舞い込んでくる」。そういうものなのかもしれません。
──良い循環の中にいるのですね。チームとしても今、勢いを増していますが、どのような雰囲気ですか。
選手9人中5人が新人なのですが、みんなしっかりしていますね。駅伝をチームのメインに据えるという位置づけをきちんと理解していて、なおかつ、一人ひとりが駅伝で結果を出したいという強い意志を持っている。
私は24年4月から福岡を拠点に1人で練習しているのですが、合宿や大会になるとメンバーと合流します。そんな時には頼もしい新人たちの姿に接し、私もかなり刺激を受けています。
──今季のチームの目標は。
予選会であるプリンセス駅伝で8位以内に入り、クイーンズ駅伝の舞台に立ちたい。23年はチームの人数などの関係でプリンセス駅伝に出ることもかなわなかったので、今季に懸ける思いはみんな強いです。
──かつてクイーンズ駅伝で3連覇したデンソーにとって、復権への第一歩ですね。
3連覇の2年後に加入した私は、当時の先輩や監督、スタッフから、練習内容や雰囲気について多くのことを聞き、学んできました。今、メンバーは完全に入れ替わって新生デンソーとなりましたが、デンソーの歴史、そして歴代の先輩たちがつないできた「心のたすき」を、次代へとつないでいきたいと思っています。
──あらためて、池内さんはなぜ走り続けているのでしょうか。
陸上は、自分を高めてくれる最高のパートナーだからです。
みんなと一緒に駅伝を走りたいし、マラソンでは2時間30分を切りたい。ただ、それらを達成したとしても、引退はしないと思います。復帰した時、私は周囲の人たちに宣言したんです。「今後は、引退という言葉は使わない。生涯現役です」と。この先も陸上とずっと付き合い、共に生きていきます。
また、ある方に「あなたの走りを見ていると自分まで走りたくなるんだよね」と言われたことがありました。私の走っている姿が、ランニングを始めるきっかけになっていると知って、心を打たれたんです。
多くの人が敬遠しがちな“走ること”を、もっと身近で手軽なものにしたい。自身の活動を通じて、それを実現できたらなによりうれしいことです。
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