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地域の美術史を描き出し、次代へ新たな眼差しを向ける「上田クロニクル(年代記)ー上田・小県洋画史100年の系譜ー」

地域の美術史を描き出し、次代へ新たな眼差しを向ける「上田クロニクル(年代記)ー上田・小県洋画史100年の系譜ー」

サントミューゼ・上田市立美術館と東御市梅野記念絵画館で、「上田クロニクル(年代記)ー上田・小県洋画史100年の系譜ー」が同時開催されています。
隣り合う2市が現在のあり方になる以前から、上田・小県(ちいさがた)地域には、山本鼎ら先鋭的な作家に美術を学び、互いに高め合いながら地域の芸術文化の基礎を形作った人々がいました。こうした地域の美術史の歩みを、地域の美術館学芸員が掘り下げ、地域のさまざまな場所から集めた作品群を通して、新たな眼差しで文化資源に光を当てる意欲的な試みです。
協働して本展をまとめ上げた上田市立美術館の学芸員・小笠原正さんと、東御市梅野記念絵画館の学芸員・日向大季さんにお話を伺いました。

コレクターズ美術館に地域の美術史を背負う作品が持ち込まれた

写真:上田クロニクル(左から)上田市立美術館の学芸員・小笠原正さんと、東御市梅野記念絵画館の学芸員・日向大季さん

今回の企画展は、2つの美術館が同一タイトル、同一期間の展覧会をそれぞれに行うという珍しい試みです。どのようなきっかけで企画がスタートしたのでしょうか。

日向さん
「2021(令和2)年に、梅野記念絵画館で倉沢コレクション展を開催した時に、小笠原さんに相談したのがきっかけです。倉沢コレクションは上田市の実業家・倉沢紀武さんが収集した、上田・小県エリアを中心とした信州にゆかりのある作家の作品群で、2013(平成25)年に当館に寄贈されました。倉沢さんは『彼らの郷土に遺した功績を忘れず、後世に残していかなければならない』という使命感を持っていました。当館は2004(平成16)年に東御市立の美術館となりますが、もともとは画廊オーナーだった梅野隆のコレクターズ美術館として出発しているので、違う歴史・文脈を持つ倉沢コレクションのような作品が持ち込まれた時に、そのもっとも効果的な活用のために、地域の美術史にコレクション作家を落とし込む作業が必要なんじゃないかと考えました」

  • 写真:上田クロニクル東御市梅野記念絵画館
  • 写真:上田クロニクルサントミューゼ・上田市立美術館

小笠原さん
「美術館の展示は、コレクションをどういうテーマで再構成して見せるかが基本です。今回はそうではなく、この地域の美術史が軸になっています。展覧会としても、観ていただく人にとっても断然面白いことになるんじゃないかと感じて、ぜひ一緒にやりましょうと話しました」

公立美術館は、自治体という大きな枠組みがあります。しかし、「当時の人も今もそうですけど、市町村が違うということは絵を描く人にとっては関係ない」(小笠原さん)という思いもありました。

上田・小県は全国でもまれな美術が根付いた土地

小県という地域は、現在は小県郡として青木村と長和町に名を残すのみとなりましたが、1879(明治12)年に行政区画として発足した当時は、加えて上田から小諸市滋野甲のあたりまでを含んでいました。

この地域に「美術」の種をまいたのが、画家・山本鼎(1882~1946年)です。16歳から上田で暮らし、パリ留学やモスクワ滞在を経て、上田で「児童自由画教育運動」や「農民美術運動」などの民衆芸術運動を展開しました。

写真:上田クロニクル山本鼎の『自画像』

鼎は1919(大正8)年に「農民美術練習所」(1922年に農民美術研究所に改称)を立ち上げ、そこに東京の芸術家仲間たちが大勢やってきます。そういった芸術家たちから美術の手ほどきを受けたのが、地元の若い農民たちでした。農閑期の4カ月間に、木彫りや刺しゅう、草木染、土人形といった農民美術を習得する講習会が開かれました。

写真:上田クロニクル講習最終日(1919年3月31日)に撮影された農民美術練習所第1期生の集合写真。受講生の半分は女性だった

小笠原さん
「講師陣がまた豪華で、1922(大正11)年に小杉放庵や山本鼎、岸田劉生らを中心として成立した洋画家団体『春陽会』のメンバーでした。春陽会は当時、洋画界を代表する第3の団体として存在感を放っていました」

農民美術を習得した農民たちの中から画家が生まれることはありませんでしたが、芸術家たちに触発された地元の若者たちが集まり、鼎の親友である倉田白羊が指導者となって「ノア会」という洋画研究会が生まれ、戦後は小杉放庵の紹介で上田に来た岡鹿之助を中心とした「鹿苑会(ろくえんかい)」といった活動がはじまります。

ノア会は1922(大正11)年に倉田白羊と上田市の医者でもあった赤松新(半竹)、小林三郎などの数名の地元の若者がはじめました。昭和時代になると、白羊は上田市郊外に自宅兼アトリエを構え、さらにたくさんの画家たちが集まって盛り上がります。

一連の流れは、画家を育てる英才教育ではなく、美術に触れたいという人々の“思いを耕す”あり方だったのが特徴的で、だからこそ裾野が広がったと言えそうです。ノア会の活動と同時期には、上田出身で岸田劉生の内弟子である山岸信一らによる「山人社」という団体もでき、上田・小県エリアの美術界隈は活況を呈します。しかし絵一本で食べていく困難さは当時も同じです。

日向さん
「100歳になる方から『赤松(半竹)先生はいつも絵を描いていて、診察しているところはあまり見たことがなかった』と伺いました。半竹のように専業ではない作家は大勢いました。今もご健在の米津福祐さんも、家業の和食店『ささや』(2023年6月30日に閉店)を経営しながら鹿苑会に所属し、のちに二紀会に移って要職を歴任しています」

兼業せずに絵を描き続けた人もいて、中には「描くから買ってくれ」と半ば押し売りのように絵を描いていた人もいるのだとか。人間くささにあふれるエピソードは、過去に生きた人がモノクロ写真から飛び出てきそうな生命力を感じさせます。

写真:上田クロニクル鹿苑会会員の集合写真。後列左から5人目が米津福祐。米津の店である「ささや」で田中康夫の春陽会会員推挙を記念した宴席にて

戦前の画一的なモチーフや画風が、戦後大きく変化していく様も展示から見てとれます。モディリアーニや岡本太郎といった大家を連想する作品群は、地域特有というより世界的な絵画のトレンドとリンクしており、マクロからミクロを照射する実に興味深い流れになっています。

農業を営みながら絵を描き続け、岡鹿之助に見出された田中康夫さんが1962(昭和37)年に制作した『作品』は、ミクストメディアによるものでとりわけ異色を放っています。

  • 写真:上田クロニクル板に打った釘に縄をかけて土壁のように塗り重ねている『作品』
  • 写真:上田クロニクル近くで見ると小さな落書きや異素材が少しずつ入っているのが分かる

日向さん
「1940~60年代はアンフォルメルや厚塗り抽象という、フランスを中心に興った抽象画運動がありました。田中さんは当時東京にいたので、そこで影響を受けたのではないかと思います」

新しく出てきた表現、作風に影響されて作品をつくるものの、そこからまったく新しいものを生み出すことは簡単ではありません。

小笠原さん
「一流の画家になることだけが道ではないということが分かります。違う仕事をやりながらも、丸腰でぶち当たってつかみ取ろうとしている当時の空気を感じてもらえればいいですね。作品の良し悪しではなく、そのプロセスこそが地域の美術史に豊かさをもたらしているという点が重要です」

昼間どんなに忙しく働いていても、夜や休日に絵を描く時だけは救われる気持ちになる。だから仕事も続けてこられたし、今までやってこられたと述懐する方は少なくありません。生計を立てるために別に仕事を持ちつつも、自分にとって必要な表現として描きたい。画壇というオーソリティーの中では捨象されがちな作家が、逆説的にアートの本質に触れているという点が、上田クロニクルの真骨頂なのかもしれません。

地域で活動していた美術評論家と画家たちの遺産

100年の系譜をたどるにあたっては、1人の美術評論家が残した何冊もの著作が役に立ちました。

日向さん
「小崎軍司という、ずっと上田にいた美術評論家です。彼が残した著作を一本筋が通るように再編成したのがこの企画展という言い方もできるほど、貴重な資料です」

写真:上田クロニクル小崎軍司の著作一式

日向さん
「ここにある著作は昭和40年代から50年代にかけて書かれています。昭和40年頃だと、昭和10年は30年前のこと。30年前は今でいえば平成のはじめで、射程圏内という感じですよね。だから話がとても生々しいんです」

小崎の著作以降の40年間は日向さん、小笠原さんのリサーチで補っていきました。春陽会の東京事務所まで出向いて過去の機関誌を繰り、当時を知る人から直接話を聞いていきました。戦後の時点で10代だった人は今80~90代。生の声を聞くのにギリギリ間に合うタイミングでした。

その過程でキーパーソンとなったのが、画材・額・文具「遊美」の店主・濱村一夫さん(2023年9月に逝去)です。上田界隈で絵を描く人たちは、画材の調達のため遊美に通います。自然といろんな情報が集まる濱村さんから、少なくない手掛かりが得られました。とはいえリサーチは簡単ではありませんでした。

日向さん
「当初、小笠原さんに3年後にやりましょうとお話して、実際に3年かかりました。今回の展示で主に洋画に絞ったのは、あまりにも人数が多くてカバーしきれなかったからです。洋画だけでもリサーチに3年かかり、今回触れられなかった人や彫刻など他のジャンルにも広げるとなると、倍以上の時間がかかるでしょう」

写真:上田クロニクル展示室内

時代が下るにつれ、上田・小県エリアの美術活動も形を変えつつ現代につながっていきます。

日向さん
「鹿苑会は岡鹿之助が没した1978(昭和53)年に解散するんですが、地元メンバーを中心に『春陽会東北信研究会』(以下、研究会)として活動が続けられました。鹿苑会の田中康夫さんや浦野吉人さんは研究会の作家として春陽会に出品を続け、小池悟さんは春陽会の理事長になりました。さらに言うと、東御市における対話鑑賞推進の立役者でもある東御市立和(かのう)小学校の宮下聡校長は同研究会会員でもあることから、彼らの教え子の地域の子供たちがこの鼎から続く歴史の系譜の末端に存在しているとも考えることができます」

地域の中で完結していた美術のエコシステムは、3、40年前から、大学進学率の上昇とともに地元を離れて芸大に進学する人が増えて、フェーズが変わりました。とはいえ、100年の系譜が途切れたわけではありません。

小笠原さん
「上田彫塑研究会なども活動を続けていますし、鼎の児童自由画教育運動や農民美術運動は知っていて、自分の創作活動の励みにしている個々の作家はいます。そういう人たちにとって今回の展示は、時代を超えて同じ思いを共有している人たちがこれだけいたんだと、具体的かつ鮮やかに映るのではないでしょうか」

公立美術館の役割を問い直す

展示作品をリストアップする際に心掛けたのは、地元の学校からなるべく借りるという点でした。

小笠原さん
「毎日のように目にしていても、児童や生徒にとっては知らない人の絵です。企画展に入れることで作品が時代や人という文脈の中に位置づけられ、また違った見え方が生まれます。小中学生にもぜひ観にきてほしいですね」

写真:上田クロニクル地域の学校、企業、個人など、地元のさまざまな方々の協力によって企画展は実現した

会期がはじまり、思いがけない反応が多く寄せられています。

日向さん
「地域の方から、こんなにも『ありがとう』と言われたのは初めてです。個人宅の玄関にかかっている絵を美術館で展示するという発想はこれまでありませんでした。ある意味置き去りにされていた作品に光を当ててくれたということで、感謝の言葉を伝えてくださっているのではないかと感じます」

一定の評価を得ている作家でないと美術館で取り扱う理由がなかなか見出せないというジレンマがあります。今回は地域×歴史という切り口を得たことで、そのジレンマを乗り越えました。

小笠原さん
「『市町村の美術館としての役割とは?』を突き詰めていくと、こういうことが我々の仕事ではないかと思います。公立美術館の学芸員は地方公務員なので、異動はあります。私たちも学芸員の仕事とはぜんぜん違う仕事をしてきました。学芸員のキャリアとしては遠回りかもしれませんが、公務員としての仕事の中で培われた『私たちはこの町の人たちのために何が還元できるだろう』という視点を今回の企画に生かすことができました」

写真:上田クロニクル

今回の企画の背景には、(一財)長野県文化振興事業団と長野県が主催して2017(平成29)年から始まった、長野県内の公共美術館やフリーの学芸員の共同企画による展覧会「シンビズム」の存在もありました。

日向さん
「私自身はシンビズムには参加していませんが、美術館や学芸員同士が協力している姿を外から見ていて、『こういうことをやっていいんだな』という気づきがありました。その感覚があったから、すんなり連携できました」

小笠原さん
「普段、美術館同士の横のつながりはあまりないものなんです。2023(令和5)年に当館で開催した『うるおうアジア』展は、巡回展ではあるんですが、テーマも借りる作品も各館ごとに考える立て付けになっていて、他の美術館と協働する経験ができました。人のネットワークができると話もしやすいし、理解もしてもらいやすい。今回の企画展も、趣旨を説明すると、じゃあ一肌脱ぎましょうかという思いになってくれるのを感じました」

続編の可能性を秘めたクロニクル

洋画だけでも十分展示として成立するということは、裏返せばジャンル・切り口ともに、続編が考え得るほどの“埋蔵量”があると言えそうです。

日向さん
「今回、博物館的な役割を果たしたのではないかという思いもあります。というのが、地元の名士をはじめ地域の人たちが絵を依頼したり買ったりして支えた美術という切り口が見えてきたからです。そこから紐解ける地域の美術史というトピックは、今回やりたかったけれどできなかった点ですね」

小笠原さん
「駅前の飲食店に2人で行った時、昼間からビールを飲みながら(画家の)池田満寿夫の話をしているおじいさんたちがいたんです。じっと聞いていたら、『あそこは洋画しかやんない』と、当館への苦言に変わっていました(笑)。この飲食店の壁にも、地元作家の絵が飾られています」

偶然とはいえ、街場の飲食店でそんな会話が交わされている場面に遭遇するというエピソードからも、この地域に美術がいかに根付いているかがうかがい知れます。

写真:上田クロニクル

会期終了直後の3月16日から、「春陽会誕生100年 それぞれの闘い 岸田劉生、中川一政から岡鹿之助へ」が長野県立美術館(長野市)で開催されます。(栃木県立美術館で3月3日まで開催の後、長野県立美術館、碧南市藤井達吉現代美術館へ巡回。東京ステーションギャラリーでの展示は終了)

日向さん
「上田クロニクルは上田・小県地域の洋画史なのですが、多くの春陽会作家が関わっていることから、見方を変えると春陽会の長野県史とも言うことができます。上田クロニクルを経て県立美術館の展示を観ると、春陽会の流れを汲む作家がこのエリアにこんなにいるということがあぶり出されるので、より理解が深まると思います」

名のある作家、作品に光が当たるのが常ですが、地域や歴史という入射角を与えることでより微細なグラデーションが鮮やかに立ち上がります。

小笠原さん
「そのグラデーションの中から、今まで認められてこなかった新しい価値が見つかるはずで、そこに意識的でありたいですね」

取材・文:くりもときょうこ
撮影:野々村奈緒美

上田クロニクル(年代記)-上田・小県洋画史100年の系譜-
2024年1月13日(土)~ 3月10日(日)
入館料(2館共通券のみ):一般600円、高校・大学生400円、小・中学生 200円

梅野記念絵画館・ふれあい館
開館時間:9:30~17:00(入場は16:30まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)
サントミューゼ 上田市立美術館
開館時間:9:00~17:00(入場は16:30まで)
休館日:火曜日(祝日の場合はその翌日)

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