お好み焼きとは
粉物料理のひとつ「お好み焼き」について詳しくまとめました。お好み焼きは、家庭でも店でも食べられる、日本人になじみの深い料理のひとつ。「広島風」「関西風」が有名ですが、全国にその土地ならではの味があります。
クックドアでは、そんなお好み焼きを多方面からご紹介。歴史はもちろん、種類、広島風と関西風の違いなどを解説しています。「どんなルーツで誕生した料理か知りたい」「地域で違う特徴を調べたい」という方におすすめです。
目次
- 1.お好み焼きとは?歴史について
- 1.1千利休の「お茶菓子」がルーツ
- 1.2あらゆる形へと進化し「一銭洋食」へ
- 1.3戦後から現在まで多くの時代を乗り越えたお好み焼き
- 1.4戦後の「お好み焼き」から現代の「お好み焼き」へ
- 2.混ぜ焼きのルーツは「デート」だった
- 3.広島のお好み焼き屋で見かける「○○ちゃん」の店名の由来
- 4.お好み焼きの種類
- 5.広島風・関西風のお好み焼きの違い
- 5.1焼き方
- 5.2呼び方
- 5.3麺
- 5.4キャベツ
- 5.5ソース
- 6.まとめ
お好み焼きとは?歴史について
お好み焼きのルーツは「千利休」(せんのりきゅう)のお茶菓子から発展していったとされています。そしてお茶菓子が時代によって変化し、「一銭洋食」(いっせんようしょく)として戦前の子供に注目されるのですが、腹持ちが悪く大人にはあまり人気がありませんでした。
戦後に入り高度成長期を迎えた頃、広島のお好み焼き店は新天地広場へと集まるようになります。復興を遂げた日本では、お好み焼き屋も大きな集合店舗へと成長しました。
千利休の「お茶菓子」がルーツ
お好み焼きの歴史は戦国時代から始まったとされており、商人であり茶人でもあった千利休が作らせていた「麩の焼き」(ふのやき)という、味噌を塗ったお茶菓子が起源だと言われています。
もともとはお茶菓子であった麩の焼きですが、江戸時代末期から明治時代にかけて、より食べ応えのある餡や餅を巻いて作るようになりました。
その後、水などを使用して小麦粉を溶き、平たく焼き上げた料理を「助惣焼」(すけそうやき)と言うようになります。さらに、助惣焼の皮を鉄板ではなく銅鑼で焼き上げて「どら焼き」へと進化し、人々のお腹と心を満たしていったのです。
江戸時代末期、駄菓子屋が店先で販売する「もんじゃ焼き」が登場。また、もんじゃ焼きを路上で食べられるように改良した「どんどん焼き」も誕生しました。
あらゆる形へと進化し「一銭洋食」へ
どんどん焼きにウスターソースを塗り、ワンコインで買えるようになった料理を「一銭洋食」と呼ぶようになるのですが、戦前はあまり流行りませんでした。
当時の日本の主食は米で、おかずには野菜を食べる習慣があったため、小麦粉を使った食べ物は注目されなかったのです。米や野菜のようにお腹を満たすことはないと思われていた一銭洋食は、大人よりも子供のおやつとして定着するようになりました。
やがて戦後の食糧難を迎え、大人たちはお腹を満たすことがないと考えていた一銭洋食に、キャベツや麺を加えるようになります。そこではじめて大人の空腹をも満たすお好み焼きに近い食べ物が完成したのです。
戦後から現在まで多くの時代を乗り越えたお好み焼き
1955年(昭和30年)頃には、原爆のあった場所からほど近い新天地広場を中心に、お好み焼きなどを扱う屋台が多く集まるようになりました。そこには、戦後荒れてしまった広島市を、活気あるもとの姿へと戻すために望みを掲げる人々の思いがあったのです。
高度経済成長期を迎える頃には、集まっていた屋台は大きな集合店舗へと姿を変え、なじみのある「お好み焼き屋」へと定着していきます。
戦後の「お好み焼き」から現代の「お好み焼き」へ
高度経済成長期には、各家庭に様々な食材が普及するようになりました。経済が発展し、一気に豊かになった日本では、多くの食材を手に入れられるようになり、お好み焼き屋にも大きな変化が起こります。
それまでは小麦粉とキャベツが主流だったお好み焼きでしたが、経済が豊かになったことにより、イカやタコなどの海鮮を筆頭に、豚肉や鶏肉などの畜産物、その土地での特産品などを混ぜて焼き上げるようになり、お好み焼きの原型が誕生したのです。
混ぜ焼きのルーツは「デート」だった
東京では、明治時代終わり頃から、屋台という形で「見立て料理」(野菜を肉・魚、和食を西洋・中華風に見立てた料理)が提供されており、このことを「お好み焼き」と呼んでいたと言われています。
そして大正時代の後半に入ると、屋台から店舗へと業務形態が変わり、「芸者衆」と「旦那衆」のデートに使われるようになりました。店は人手がないため、客たちに焼いてもらいます。そのため、簡単な「混ぜ焼き」が主流となり、これが大阪に「お好み焼き」として伝わりました。
広島のお好み焼き屋で見かける「○○ちゃん」の店名の由来
昔から、広島のお好み焼き屋の店名には「○○ちゃん」と人名を使うことが多いとされていました。
これは太平洋戦争、原爆投下により夫を亡くした女性たちが苦しい時代を生き抜くため、自分の名前を店名にし、自宅を改装して店を始めたことが多かったから。また、戦地から戻った家族が見つけやすいように、という事情もあったと言われています。
お好み焼きの種類
お好み焼きの種類を一覧にしました。
お好み焼きの種類 | 特徴 |
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関西風お好み焼き |
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広島風お好み焼き |
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べた焼き |
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府中焼き |
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庄原焼き |
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三原焼き |
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たけはら焼き |
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モダン焼き |
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にくてん焼き |
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遠州焼き |
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カキオコ |
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ねぎ焼き |
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かしみん焼き |
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もんじゃ焼き |
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ぼっかけ |
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豆焼き |
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ヒラヤーチー |
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広島風・関西風のお好み焼きの違い
ここでは、2つのお好み焼きの違いに対して、さらに詳しく解説していきます。
焼き方
関西風と広島風のお好み焼きには決定的な違いがいくつかあり、そのひとつは焼き方です。
関西風では具材をすべて混ぜ合わせて焼くのに対し、広島風では綺麗な層にして焼くのがメジャー。広島風のお好み焼きの切り口はミルフィーユ状になっており、視覚でも楽しめるよう具材の切り方にもこだわりがあります。
呼び方
関西風ではお好み焼きのことを「玉」と呼び「イカ玉」や「ブタ玉」、ツナが入った「ツナ玉」など、入っている具材を名称にして呼ぶ傾向があります。
それに対して、広島風ではそのように呼ぶことはありません。このことにより、広島風のお好み焼きを提供する飲食店で玉と言うと、「卵」が出てきてしまうので注意しましょう。
麺
関西風のお好み焼きでは具材がメインなので、麺はセットになっていません。どうしても必要な場合には、別に注文しなければならないのです。
それに対し広島風では、麺がお好み焼きに入っているのがベースであり、麺が入っていないお好み焼きは広島風ではないと言われるほど。関西風・広島風と一口に言っても、このような大きな違いがあるのです。
キャベツ
関西風と広島風のお好み焼きでは、キャベツにも違いがあります。関西風のお好み焼きではキャベツの幅を3cm程度に切ることが主流ですが、広島風のお好み焼きではキャベツは千切りで細長く切ります。
また、広島風のお好み焼きに使われるキャベツは、量も関西風とは桁違いで、用意されるのは大量のキャベツ。量を多くすることにより、加熱してしんなりしたキャベツの甘味がさらに増し、奥深い味わいになります。
関西風とは違い、広島風ではお好み焼きの焼き方が難しいため、客が自分で焼くスタイルではなく、店側が焼いて客に提供するのが主流です。
ソース
関西風では甘塩っぱく、やや辛めのソースが使われることがメジャー。それに対して、広島風では甘口のソースが基本です。
スーパーのお惣菜やお酒のおつまみ、飲食店やコンビニエンスストアに並ぶお好み焼きを連想すると、マヨネーズがかかっている物が多く並んでいることが分かります。
実はマヨネーズを使うお好み焼きは関西風のみ。関西風のお好み焼きのソースが辛めにできており、その辛さを子供でも食べられるようにマヨネーズをかけてマイルドにしています。
そのため、もともと甘めのソースを使用している広島風では、客や店主の好みによってトッピングとして追加することはありますが、基本的にはマヨネーズを使用しません。
まとめ
お好み焼きは、多くの飲食店や家庭でも気軽に食べられるようになり、人々の体と心を満たしてきました。アレンジ方法が豊富で、好きな具材やトッピングを選べることも、魅力のひとつです。
日本各地にお好み焼きは広まっていき、地方によっても様々な特徴があります。その背景には、千利休のお茶菓子から始まり、助惣焼などへと姿を変え、戦後の食糧難などを乗り越えてきたという長い歴史があるのです。
お好み焼きは、実は一言では語り尽くせない、日本の歴史が詰まった食べ物。日本人のソウルフードとも言えます。