まちの文化財(176) 西田幸七の顕彰碑

更新日:2019年11月20日

県道沿いの顕彰碑

県道沿いの顕彰碑

栲幡原神社本殿の彫刻

 栲幡原神社本殿の彫刻

 

福王寺本堂にある向拝の彫刻は、幕末から明治前半に活躍した彫刻師秋塚廣貞の作品です。彫刻師秋塚の次の世代に活躍した大工の棟梁に西田幸七がいます。夏梅区の県道沿いに、高さ約160センチの川原石に「西田幸七重俊碑」と刻んだ顕彰碑が建てられています。

石碑によると、西田幸七は豊岡小田井町の船問屋の出身で、幼くして大工の棟梁中井幸左衛門に技術を学びました。京都の本願寺の工事に従事して郷里に帰り、夏梅区の鎌田邸を建築しました。大工の門弟は十数人もおり、大正8年に63歳で亡くなっています。

中井幸左衛門は養父市ゆかりの棟梁であり、嘉永5年(1852)に大谷区の曹源寺を建築しています。つまり、宮大工である中井棟梁に弟子入りして優れた技術を身につけました。

さて、和田区に栲幡原(かごはら)神社があります。本殿は一間社流造の建造物です。彫刻を見ると水引虹梁(こうりょう)に飛龍(ひりゅう)を置き、向拝柱に象鼻(ぞうばな)と獅子鼻を配置し、脇障子には大和松と鷲を彫っています。

彫刻の裏面に「夏梅村彫工西田幸七」という墨の文字があり、栲幡原神社本殿の彫刻は西田幸七の作品だと判明しました。彫刻師として1件しか発見されていませんが、西田幸七は秋塚廣貞が住んでいる豊岡市小田井町の出身です。同郷である秋塚に彫刻を学んだ可能性があります。

この石碑は西田幸七に対する多くの人たちの感謝の気持ちが集まって建てられました。 石碑には多くの大工を育成したことが記されています。西田幸七はおそらく名人として慕われた大工の棟梁です。道端に立つ石碑も大切な歴史の語り部になります。

 

 

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