養父市の地勢と歴史
養父市は、平成16年(2004)4月1日、兵庫県養父郡の八鹿町・養父町・大屋町および関宮町の4町が合併して成立しました。人口は22,129人、世帯数8,388世帯(令和2年国勢調査より)、兵庫県北部の但馬地域の中央に位置し、面積は422.91平方キロメートルで、兵庫県の5.0%、但馬地域の19.8%を占めています。
地勢
地形・地勢
市の東部を一級河川円山川が南東から北東の方向に流れ、その支流の八木川に沿って八鹿、関宮地域が大屋川に沿って養父、大屋地域が位置しています。西部には県下最高峰の氷ノ山や鉢伏山、ハチ高原、若杉高原が、北部には妙見山がそびえるなど、雄大で美しい自然に囲まれています。
気候
気候は日本海型で、一般に多雨多湿、冬季は大陸から季節風が吹き、積雪も多いです。
交通条件
京阪神と山陰地方を結ぶ主要な地域幹線道路である国道9号が東西に、姫路方面と山陰地方を結ぶ国道312号が南北に通っています。また、平成24年11月に北近畿豊岡自動車道 八鹿氷ノ山IC及び養父ICが供用開始となり、京阪神地域から約120分で到着することができます。さらに、南但馬トンネル、琴弾トンネルなど、市内を結ぶ道路整備が進められています。
円山川に沿ってJR山陰本線が通っており、八鹿駅及び養父駅から京阪神及び山陰地方への所要時間は、それぞれ約2時間です。また、市の北約10kmにある但馬空港から、大阪空港までは約35分で結ばれています。
歴史
古代~近世
養父市の歴史は古く、縄文時代の土器や石器、洞穴祭祀跡が発見され、古墳時代を偲ばせる文化財も多く残っています。奈良・平安時代には、山陰道が通り、郡部駅(ぐんべえき:街道の補給、休憩所)が置かれていました。安土桃山時代には、豊臣秀吉が一万五千石の八木藩を置き、八木の町は養父郡を治める城下町として栄えましたが、関ヶ原の合戦後に廃城となった。江戸時代になると、円山川沿いの地域は、山陰街道や舟運など但馬地域の交通の要衝として、生糸商が栄えるとともに、近畿諸国における但馬牛取引の拠点となりました
近代~現代
明治期に入ると、紡績工場なども進出して商工業が発展しました。平安時代に歴史を遡る明延鉱山は、スズの産出量日本一を誇っていましたが、海外産との競合により昭和62年に閉山しました。また、氷ノ山・鉢伏などの一帯は、古くから拓かれたスキー場があり、近年では、京阪神や中国四国圏におけるスキー・スノーボードなどアウトドアスポーツや合宿活動の拠点となっています
合併等の経緯
養父市は、明治22年の町村制施行、昭和30年代前半の合併等を経て現在に至っています
養父市政の歩み
八鹿町 | 昭和30年2月1日 | 合体 | 八鹿町、高柳村、伊佐村、宿南村(大字赤崎、浅倉を除く地域) |
---|---|---|---|
養父町 | 昭和31年9月30日 | 合体 | 広谷町、建屋村(明神町となる) |
昭和32年3月31日 | 名称変更 | 明神町と旧養父町が合併 | |
昭和34年4月1日 | 境界変更 | 和田山町の一部(和田山町大字堀畑) | |
大屋町 | 昭和30年3月31日 | 合体 | 口大屋村、大屋村、南谷村、西谷村 |
関宮町 | 昭和31年8月1日 | 合体 | 熊次村、関宮村 |
養父市 | 平成16年4月1日 | 合体 | 八鹿町・養父町・大屋町・関宮町が合併 市政施行 養父市発足 |
更新日:2022年03月17日