南区の紹介
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2014年7月31日
南区の概要、変遷、地勢、文化のご紹介です。
区の変遷
江戸時代の南区域は、葛野郡、紀伊郡、乙訓郡の村々から成り立っていました。明治7年にこれらの村は統合され、さらに明治22年の市制施行により南区域は東九条村、吉祥院村、上鳥羽村、七条村の一部と大内村の一部、久世村から成り立っていました。昭和6年までに久世村を除く各村が京都市下京区に編入され、昭和30年9月に下京区域のうち、おおむね当時の国鉄東海道本線以南を分区して南区が誕生しました。さらに昭和34年には桂川以西の乙訓郡久世村を編入して、現在の南区となりました。
地勢
京都市の南部に位置し、おおむね東は鴨川で東山区と伏見区に、西は西京区・向日市に、北はJR東海道線で下京区と右京区に、そして南は伏見区と接しています。ほぼ高低差のない京都盆地上にあり、海抜の最高は東九条河原町付近で28メ-トル、最低は上鳥羽塔ノ森東向町付近で14.58 メ-トルとなっています。区の西部を桂川が、東端は鴨川が、また、区内の中央部を西高瀬川が流れ、桂川に合流する河川の多い区です。
歴史・文化
南区の九条通より北側の地域は平安京の南端にあたります。平安京の朱雀大路は、都の中央を南北に貫く道幅80mの大通りでした。この朱雀大路と九条通が交わる位置には都の正面玄関である羅城門が置かれ、その東西には、都にただ二つしかない寺院として、東寺と西寺が同じ規模で左右対称に配置されました。
(左図:平安京の様子)
現在は、残念ながら羅城門も西寺も失われましたが、弘法大師(空海)によって更に発展した東寺は、京都でも数少ない平安京創建当時の遺構として今にその姿を伝え、平成6年に世界文化遺産にも登録されました。特に、高さ55mの五重の塔は日本一の高さを誇り、その美しい姿は京都のシンボルとして広く知られています。また、毎月21日には、「弘法さん」として親しまれている市が開かれ、境内は多くの人々で賑わっています。
現在の南区域は、平安京の造営以来、都の玄関として重要な役割を果たしてきました。九条通より南の鴨川と桂川に挟まれた地域は淀川の水運と都を結ぶ陸路の要衝となったほか、豊かな水に恵まれた近郊農業が発達し、現在まで、良質な京野菜の供給地として知られています。一方、桂川より西側の久世地域は、平安京の造営以前から長岡京の一部として発展してきた地域で、区画整理等の進展で近代的な姿に生まれ変わった現在も、平安京以前の非常に長い歴史を誇る史跡が点在しています。
また、吉祥院、久世、上鳥羽地域には、国の重要無形民俗文化財である六斎念仏が伝承されており、吉祥院六斎念仏は吉祥院天満宮の春・夏の大祭で、久世六斎念仏は蔵王堂光福寺の夏の八朔祭法楽会で、また上鳥羽の六斎念仏(上鳥羽橋上鉦講)は、お盆を中心に地域のお地蔵さん等に奉納されています。このほか、浄禅寺の鳥羽地蔵は、京の「六地蔵めぐり」の一つであり、毎年8月22日から23日の地蔵盆には、多くの参拝者で賑わいます。
お問い合わせ先
京都市 南区役所地域力推進室まちづくり推進担当
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