6つの村の時代
開拓が始まった当時、この開拓する紋鼈(もんべつ)一帯を6つの村に分けていました。
村の名前は「黄金蘂(おこんしべ)村」「稀府(まれふ)村」「東紋鼈(ひがしもんべつ)村」「西紋鼈(にしもんべつ)村」「長流(おさる)村」「有珠(うす)村」と付けられ、それぞれの場所に戸長(こちょう)と呼ばれる責任者が置かれていました。今のように車も電話もない時代ですので、6つの村に分けて、連絡(れんらく)や相談がしやすいようにしていたのです。
さて、亘理(わたり)からの移住者数は、明治14年までに約2,700人になりました。
下の表は、明治14年から明治17年までの戸数と人口を示しています。
移住が終わる明治14年には、さいしょに移住した人よりも人口が増えていることがわかります。これは、開拓が成功(せいこう)して商業などを営む(いとなむ)人々が引っ越ししてきたためです。
明治14年から明治17年の人口推移
年代 |
戸数 |
人口 |
明治14年 |
750 |
3,548人 |
明治15年 |
768 |
3,654人 |
明治16年 |
783 |
3,747人 |
明治17年 |
791 |
3,960人 |
官立(かんりつ)紋鼈(もんべつ)製糖所(せいとうじょ)の様子(明治16年)
人口が増えた原因の一つに「大規模(だいきぼ)工場」が作られたことがあげられます。
明治13年に官立の製糖(せいとう)工場が作られました。生産がうまくいくようになるのは、明治17年をすぎてからですが、それまでの間、工場建設のために道路や橋を作るなど工事が行われ、東浜(今の伊達漁港)には立派な桟橋(さんばし)が架(か)けられました。この桟橋を利用して、函館や室蘭への海運が盛んになり、まちなかにも商店や支店が次々に進出してきました。
伊達村誕生(たんじょう)
明治30年頃になると、いよいよ人口が一万人をこえて、あたらしい制度での開拓が必要になってきました。
明治32年には、長流村と西紋鼈村の一部をさいて新しく「壮瞥(そうべつ)村」を分村しました。そのため下の表では明治32年の人口が前年度より減っています。
明治30年から明治32年の人口推移
年代 |
戸数 |
人口 |
明治30年 |
2,253 |
13,386人 |
明治31年 |
2,267 |
13,450人 |
明治32年 |
1,749 |
9,230人 |
伊達村役場の様子(明治33年)
明治33年に、6つの村を一つにまとめて新しく「伊達村」が誕生しました。
伊達村になって大きく変わったことは、選挙で選ばれた村会議員により議会が構成されたことと、村議会によって村長が選出されたことです。
しかし、選挙に投票(とうひょう)できる人はある一部の人たちだけでした。
男性であり、伊達村に3年以上住んでいること、税金(ぜいきん)を納めて(おさめて)いること、土地を3町歩以上持っている人という条件(じょうけん)でした。
初代村長は山田致人(やまだむねと)が選ばれました。山田は元開拓史の官員であり、明治4年には食糧(しょくりょう)不足になった紋鼈の人たちを助けるために一生懸命(いっしょうけんめい)がんばったという実績があります。
伊達村から伊達町へ
伊達町役場の様子(昭和25年)
大正14年に、町名を「伊達町」と呼ぶことになりました。
人口が増えて、まちなかも賑わい(にぎわい)を見せていたので、「町」になることもできましたが、「村」の呼び名にこだわっていました。
理由は、荒野(こうや)を切り開き剛健(ごうけん)な武士集団が作った「模範(もはん)農村」の呼び方にこだわりを持っていたからと言われています。また、「町」という呼び名は江戸時代の商人町の呼び方であり、「武士」の作った地域にはそぐわないとされていたためです。
伊達紋鼈駅の様子(昭和初期)
伊達町になってから、長輪(ちょうりん)線(輪西から伊達紋別までの鉄道)が開通し、となり町の室蘭には日本製鋼所(にほんせいこうじょ)など大きな工場が仕事を始めました。人口も増えてきたので、野菜や果実などの農産物の生産地として伊達町はさらに発展することになりました。
伊達町から伊達市へ
伊達町時代は、戦争(せんそう)や噴火(ふんか)、大雨などの災害(さいがい)があり、必ずしも順調(じゅんちょう)な発展ばかりではありませんでした。
しかし、室蘭市が重工業都市として発展する一方で、伊達町はそこで働く人たちの新しく住む土地として、農畜産物の一大供給(きょうきゅう)地としての役割(やくわり)が求められるようになってきました。
そこで伊達町では豊かで住みよい生活圏を形成するのにふさわしい、住宅・文教・厚生施設の建設を進めていきました。
こうした伊達町躍動期(やくどうき)の中で人口は3万人を超えました。
昭和47年に、ついに「伊達市」と名前を変えて、「市」になりました。
たった数百名で始めた開拓から100年も経たないうちに、伊達市は北海道でも豊かで住みやすい都市として成長をしたのです。
用語説明
製糖所
サトウキビや甜菜(てんさい)など、糖分(とうぶん)を多くふくむ植物のしぼり汁を煮(に)つめて、砂糖をつくる工場
桟橋
港で、船を横づけするために、陸から海につき出して設けた(もうけた)足場