RESULT2024年2月号 Vol. 34 No. 11(通巻399号)

最新の研究成果 気候変動影響評価に際して注意が必要なSSP3-7.0シナリオの特殊性

  • 塩竈秀夫(地球システム領域 地球システムリスク解析研究室長)
  • 林未知也(地球システム領域地球システムリスク解析研究室 特別研究員)
  • 小倉知夫 (地球システム領域 気候モデリング・解析研究室長)
  • 高橋潔 (社会システム領域 副領域長)

気候モデルを用いて将来の気候変動予測を行うためには、社会経済の数値モデル(統合評価モデル)により作成された温室効果ガス濃度や大気汚染物質(エアロゾル)排出量、土地利用などの将来変化に関する複数のシナリオ(想定)を入力データとして使用します。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第6次評価報告書に向けた気候モデル相互比較計画(CMIP6)の実験用には、温室効果ガス濃度増加量の少ないものから順にSSP1-2.6, SSP2-4.5, SSP3-7.0とSSP5-8.5の4つが主要シナリオとして作成されました。複数のシナリオに沿った気候モデル実験の出力データを用いて、農業や水資源など様々な分野の影響評価モデルによる影響シミュレーションが行われます。このように、気候変動の将来予測と影響評価を行うためには、統合評価モデル、気候モデル、影響評価モデルの分野間の緊密な連携が極めて重要になります。しかし、分野間の情報共有は簡単ではないため、しばしば不都合が生じることがあります。

影響評価研究ではしばしば、シナリオ間の不確実性を考慮するために、下限(上記4シナリオ内ならSSP1-2.6)、中間(SSP2-4.5)、上限(SSP5-8.5)のシナリオの気候モデル実験結果を用います。しかし特に2015年のパリ協定成立後の排出削減策の進展や再生可能エネルギーの技術進歩などもあって、SSP5-8.5のような大きな温室効果ガス濃度増加が生じる可能性は非常に低くなってきたのではないかと、近年指摘されるようになりました。そのため影響評価研究では、SSP5-8.5に代わって一つ下のSSP3-7.0を上限シナリオとして利用するケースが増えてきました。しかしながら、SSP3-7.0が「特殊な」シナリオであることが影響評価研究者には十分周知されておらず、そのために影響評価モデルの計算結果が適切に解釈されていない可能性があり、我々は本コメンタリー論文で注意を呼びかけました。

SSP3-7.0は、国立環境研究所において作成されたものですが、国際的な気候モデル研究コミュニティからの要望に沿って、ほかのシナリオにはない特徴を持っています。1つ目の特徴として、エアロゾルを専門とする気候モデル研究者の要望に応えて、SSP3-7.0以外ではエアロゾル排出量が減少するのに対して、SSP3-7.0ではエアロゾル排出量が増加する(インドや中国などで大気汚染対策が進まない)という想定になっています。2つ目の特徴は、陸面プロセスを専門とする気候モデル研究者の要望に応えて、SSP3-7.0では他のシナリオよりも森林面積の減少速度がかなり大きいことです。これらの極端な設定を置くことで、気候モデル研究者はエアロゾル排出量や土地利用変化のシナリオ間の差異による気候への効果を解析できるものと期待しました。このようにSSP3-7.0は特殊な設定のシナリオですが、その作成時(2015年以前)においては、SSP5-8.5が上限シナリオとして使われるのでSSP3-7.0が影響評価に使用されることは稀であろうと考えられていました。しかし、2015年以降の排出削減の進展に伴って、SSP3-7.0が上限シナリオとして影響評価に使われることが増えてきました。

では、SSP3-7.0を用いた気候モデル実験結果には、ほかのシナリオを用いた場合と比べて大きな違いがあるのでしょうか?少なくとも、SSP3-7.0の極端なエアロゾル排出量は、降水量変化予測に大きな効果を及ぼすことが分かっています。図1に、4シナリオでの世界平均気温変化予測と世界平均降水量変化予測を示します。気温上昇量は、SSP1-2.6 < SSP2-4.5 < SSP3-7.0 < SSP5-8.5と温室効果ガス濃度増加量の順に大きくなります。一方、降水量増加はSSP1-2.6 < SSP2-4.5 < SSP5-8.5の順で大きくなるのに、SSP3-7.0の増加量はSSP2-4.5の場合とほとんど変わりません。これはSSP3-7.0において大量に排出されるエアロゾルが降水量を減らす効果があり、温室効果ガスによる降水量増加効果を打ち消しているためです。

図1 4シナリオの世界平均気温変化(横軸、℃、 2051-2100平均値と1951-2000年平均値の差)と世界平均降水量変化(縦軸、1951-2000年平均値と比べて2051-2100年平均値が何%増加したか)。CMIP6に参加した30の気候モデルの平均値と、90%信頼区間を示す。オレンジ色の破線は、SSP3-7.0以外のシナリオの気候モデル平均値から求めた回帰直線。
図1 4シナリオの世界平均気温変化(横軸、℃、 2051-2100平均値と1951-2000年平均値の差)と世界平均降水量変化(縦軸、1951-2000年平均値と比べて2051-2100年平均値が何%増加したか)。CMIP6に参加した30の気候モデルの平均値と、90%信頼区間を示す。オレンジ色の破線は、SSP3-7.0以外のシナリオの気候モデル平均値から求めた回帰直線。

このSSP3-7.0の降水量変化予測の特殊性が影響評価にどのような効果をもたらすかを検証した研究は、我々の知る限りまだありません。SSP3-7.0を用いて影響評価モデル実験を行う場合は、SSP5-8.5の影響評価モデル実験も実施して、世界平均気温変化量が同じ時期の(または世界平均気温変化量で割った)影響評価が両シナリオでどの程度異なるのかを確認することを、我々は推奨します。パリ協定成立以前はSSP5-8.5相当のシナリオ(RCP8.5)が長く上限シナリオとして使われてきたことから、SSP5-8.5とそれより下のシナリオにおける影響評価結果を比較することで、パリ協定以降の排出削減努力の効果を調べることも有益です。またSSP3-7.0のエアロゾル排出量を少なくしたシナリオ(SSP3-7.0-LowNTCF)もあるので、予測実験を行った気候モデルは少ないものの、影響評価に用いてエアロゾル排出量による差異を検証することも可能です。

現在、次のIPCC第7次評価報告書に向けて、新しいシナリオの設計が行われています。我々は、主要なシナリオには特殊な設定のものは入れず、特殊なシナリオは追加の感度実験と位置付けることを推奨します。影響評価モデル研究者は、次の次のIPCC第8次評価報告書に向けた気候モデル実験のデータが入手できるようになるまでは、第7次評価報告書向け気候モデル実験のデータを使用することになります。IPCCの1サイクルは8年~9年かかるため、現在作成中の新シナリオをどのように設計するかは、今後20年弱の間、世界の気候変動研究コミュニティに大きな影響を与えます。そのため、新シナリオをどのように設計するかは、統合評価モデル、気候モデル、影響評価モデルの分野間の緊密な連携の下で、慎重に検討される必要があります。