【自治大臣賞】相島少年消防クラブ
相島少年消防クラブ
事例の概要
福岡県糟屋郡新宮町は、福岡県の北西部に位置し、南側は政令指定都市福岡市に面し、北西部は玄界灘に面した、山あり、海あり、島ありの自然環境に恵まれた町である。海岸線は、約2.6kmの白砂青松が続き、東南部には立花山(標高367.1m)があり、原生林の北限として国の天然記念物に指定された樹齢300年を超える老樟600本が自生しており、玄海国定公園の一角をなしている。
その玄界灘に浮かぶ離島「相島」は、周囲約6.14km、面積1.25km2で、本土まで約8kmのところに位置する小さな島で、島の人口は457人、174世帯(平成11年1月末現在)で生活の中心は漁業である。
相島では、明治3年に民家の約8割を消失するという火災が発生した。大人たちは、漁や行商にでかけていたため、当時、島に残っていたお年寄りや子供たちは燃えさかる炎の前ではどうすることもできなかった。それ以来、島の住民たちにとって出漁中の火災が一番の心配事となった。このようなことから、少年たちの間で「自分たちの島は、自分たちで守ろう」という気運が高まり、昭和23年自治体消防制度発足と同時に「相島少年消防クラブ」が誕生した。クラブの活動は盛んに行われ、バケツリレーによる消火訓練をはじめ、「毎日の夜回り」や、「防火ステッカー」の作成等を行っている。
「毎日の夜回り」は、少年消防クラブ結成時に子供たちの間で自主的に決まり、今ではクラブ活動の中心となっている。土・日曜日も含めて毎日午後9時に生徒6人が2班に分かれて集落の北側と南側をまわり、「ひぃ~のぉ、よぉ~じん」と独特の節回しで「火の用心」を呼びかけ、肩からかけた拍子木を「カチ…、カチ…、カチ、カチカチ」と叩く。「火の用心」の節回しも拍子木の打ち方もすべて先輩達から受け継がれたものであり、クラブ50年の長い歴史のなかで培われたものである。
「防火ステッカー」は、毎年秋期全国火災予防週間にあわせて、全クラブ員が防火の願いを込めて手作りで作成し、全世帯へ配布する等、今では島内のどの家にもこのステッカーが何枚も貼られており、防火啓発の一翼を担っている。
しかしながら、こうした地道な活動にもかかわらず、昭和63年11月に民家が焼失するという火災が発生した。クラブ員は、火災発生を知るや全員が現場に駆けつけ、バケツリレーによる消火活動や家財道具の運び出し、地元消防団が行う消火活動の協力などを積極的に行い、延焼をくい止めることができた。
その後、クラブ員の中から「バケツリレー等を行うにしても火災には間に合わないので、今後は、消防団にホースの展長・延長要領や結合の仕方、消火栓を使った消火作業の仕方等を習い、消防団に協力しよう」といった積極的な意見が出され、以来、消防団からホース等の使い方等の指導を受け、万一の火災発生に備えている。
また、平成5年7月には防火教育の一環として、新宮町大字上府にある「千年家」(横大路家)を訪れ、約1200年間にわたり守り続けられている「かまどの火」について係員から講話を聞くなど、「火」というものが持つ違う一面を教えられ、クラブ員それぞれが「火」というものに対して改めて考えさせられた。
このように、相島少年消防クラブ員は中学生時代から地域の防災にかかわり、大人達が漁などにでている間は、自分たちが災害防御の担い手、という意識を自然と身につけることができ、島民の防火意識の高まりにも大きく寄与している。
(注) 「千年家」:約1200年前、唐での修行を終えた伝教大師(最澄)は、帰国後教えを広めるための天台宗の寺、独鈷寺を建立した。その折り、手伝いをした横大路家に御礼として毘沙門天の像及び法火を授けられ、この時の「火」が今も当家の「かまどの火」として絶えることなく保存されている。
また、江戸時代、比叡山の法火が絶えたおり、比叡山より使者が横大路家に分火のため訪れたという言い伝えも残っている。
相島少年消防クラブ入団式
消防長より記念品授与
署員の指導を受けながら消火器訓練
「夜回り」へ出発
消火栓を使ってのホース延長訓練
消火栓を使ってのホース延長訓練
ロープ結索訓練
署員の指導を受けながら消火器訓練
署員の指導を受けながら人工呼吸訓練
成果・展望
相島には、常備消防機関の署所がないため、火災発生時において常備消防機関である粕屋北部消防本部が現場に到着するまで、相当な時間がかかるものと思われる。
そこで、実質的に相島の防災活動の中心は、新宮町消防団水上分団(48名)と相島少年消防クラブがリーダー的存在となって活動を行っている。
しかしながら、水上分団員もほとんどが漁業関係者であるため、昼間、相島に残っているのは、お年寄りと子ども達だけである。
よって、相島少年消防クラブには、昼間の防災活動の担い手としての期待が大きくなっている。同時に、クラブ員も日頃の訓練等を積み重ねていくうちに、自然と自分たちが相島の防災活動の担い手であるという意識が根付いている。
また、島民のほとんどがクラブ経験者であることから、島民一人一人も相島の防災活動の担い手という気持ちを持ち続けている。
現在、クラブには消防施設設備等が不十分であることから、発足50年を記念して、新宮町より小型消防ポンプ一式(D-1級)が贈呈され、今後ますますその活動に期待が寄せられている。
苦労・成功のポイント
相島少年消防クラブは、常備消防機関がない地域において結成されたクラブであるため、その活動と訓練内容は実火災・実災害を想定した内容となっている。粕屋北部消防署員によるクラブ員に対する指導も、実際の活動を念頭においたものが中心となっている。
指導を担当する署員もクラブ員と同じように訓練し、一方的にただ教えるだけでなく、同じ立場に立って一緒に訓練を行っているため、クラブ員からの信頼も厚い。時には指導に熱が入り、かなりハードな訓練内容になるときがあるが、クラブ員も一生懸命訓練についていっている。その結果、クラブ員の技術向上もめざましいものがある。
また、「毎日の夜回り」は、土・日曜日でも欠かさず実施しており、これまで継続できたのもクラブ員に自然と「自分たちが相島の防災の担い手」という意識が養われてきた賜である。
クラブ員には、大人達から活動をさせられているという意識は無く、自分たちが、自分たちの島のために、自主的に活動を行っているという意識が強く、これまで活動が続けられてきた成功のポイントといえる。
現在、相島少年消防クラブは12名で構成されており、新宮中学校相島分校生徒全員が参加している。クラブ員が100名を超えていた時期もあるが、近年は生徒の減少傾向が続き、「毎日の夜回り」にしても頻繁に順番が回ってくるなど、クラブ活動にも少なからず影響がでている。
事業年度
昭和23年~継続中
団体の概要
相島少年消防クラブ員数 12名
(平成11年2月現在)
実施期間
昭和36年 消防庁長官表彰
昭和36年 内閣総理大臣表彰
昭和57年 消防庁長官表彰 など