総務大臣賞(一般部門)
東日本大震災による大津波から従業員を守った築山
日鐵住金建材株式会社 仙台製造所
(宮城県仙台市)
事例の概要
■経緯
平成23年3月11日(金曜日)14時46分、東日本大震災により我々の勤務する日鐵住金建材㈱仙台製造所は震度6強の大地震が発生した。
弊社は仙台港に隣接しているため、津波を警戒し直ちにマニュアルに則り避難を開始した。
当時勤務する協力会社を含む70数名全員、一次避難場所・二次避難場所を経由し、15時には全員が三次(最終)避難場所である「築山」へ集合し、約1時間10分後の15時57分に足元1メートルにまでギリギリ到来した大津波の影響も受けることなく、全員の命を守ることが出来た。
この「築山」は、工場建設時に地下構造物建設時に発生した土を敷地内に盛り土し、住宅地への騒音漏洩防止と共に樹木を植えることで、自然環境面へも配慮をしたものである。
GL+5mの「築山」は平成14年頃~避難訓練時に津波も想定し、弊社従業員の最終避難場所として設定し、訓練を重ねてきた結果、当日も速やかな行動で難を逃れたものである。
なお近い将来発生すると言われ始めた宮城県沖地震も考慮し、地元消防局を始めとした指導により、地震発生時は渋滞も予想されるので車での避難は決して行なわず、敷地内の一番高い所に避難するようアドバイスを貰っていた。
■内容
- 1. 全従業員が防災マニュアルを忠実に守ることの徹底と日頃の訓練の大切さの再認識
- 2. 騒音防止・自然環境(緑地)維持も含め、階高のビルない臨港地区ではこのような高台が津波から命を守る。
- 3. よって働く環境に安心感が生まれる。
緑豊かな築山
消火器訓練
震災直後の築山
避難訓練
苦労した点
- 1. 災害発生前における全従業員に対する防災マニュアルの熟知徹底
- ① 毎年1回総合防災訓練を実施継続
- ② 地震発生の際は躊躇せず生産ラインを止めて避難することを所内の共通認識としていること(→本震2日前3月9日の大地震の際も全員避難した)
- ③ 月例朝礼での所長訓話、毎月1回の安全衛生委員会での安全指導・議論・問題点解決等により周知徹底する内部コミュニケーション体制の整備
- ④ また、小さい揺れでも真剣・確実・タイムリーに訓練同様避難する、「偉大なるマンネリ」を定着させる繰り返しの取り組み。
- 2. 東日本大震災発生時における防災マニュアル遵守の徹底
- ① 大津波警報発令後、津波到達までの間に帰宅希望者がいたが、マニュアルどおり津波注意報が解除され津波の危険がなくなるまでの築山避難継続を命令したが、その徹底にはやはり苦労した。
- ② 築山への避難中、寒い外気の中で全従業員がとどまる間の寒さ対策や食糧確保にあたり、津波の水が引いた後、事前準備していて事業所に残った非常用生活用品の持ち込みや携帯電話での本社との連絡(12日朝まで)による情報の確保等、救助を待つ間の体制維持にも苦労した。
特徴
- 1. 地理的特性を踏まえたハード面の工夫
- ① 臨港地区で高台がない平坦地のため、全従業員が確実に津波から避難できる場所の造成(本来の造成目的ではなかったが、結果として従業員の命を守った)。
- ② 平坦地に高台が造成された結果、周辺事業所も含めて臨港地区で働く人々の安心・安全に繋がる職場環境になった。
- ③ 建築物ではないため高価な費用もかからない。
- 2. 周辺環境への配慮を兼ねた一石二鳥
当初の造成目的は工場建設時に発生した残土処分と近隣住宅地への騒音防止であった。植林をすることで緑地環境対策へも貢献したが、さらに騒音防止にもなり、津波襲来時は植物の存在により築山が洗掘・崩壊・流失することなく避難者の命も守った。 - 3. 築山を生かした防災の取り組み
繰り返しの訓練や避難のマニュアル化により避難を周知徹底させた結果、東日本大震災発生時に事業所内全従業員が避難して難を逃れた(所内死者0人)。 - 4. まとめ
- ① 実際の津波災害において多数の人命を救った実績により、平坦な海浜部での今後の津波避難対策のモデルの一例となる。
- ② 近隣住宅地区に対しては、平常時は工場からの騒音を低減する緩衝緑地として貢献しながら、津波災害時は避難先としての場を提供する役割を担うこととなり、「防災まちづくり」の好例と言える。
委員のコメント(防災まちづくり大賞選定委員 吉村 秀實(ジャーナリスト))
当製造所は、鉄を加工して建築用資材となる角形鋼管などを製造する工場で、35年前に操業を開始した。製造所を建設する際に出た排出土を正門横(道路との境界)に幅30m長さ180m積み上げて築山とし、近隣への工場騒音を遮断する目的と工場緑化を推進する目的で、松や雑木などの植林をした。10年ほど前から、「宮城県沖地震が切迫している」と言われるようになり、製造所が仙台港に隣接し、周囲に高台など全くないことから、津波に襲われた場合は、この築山を従業員たちの避難場所に決め、8年前から、毎年1回、地元の消防機関の指導も受けながら築山への避難訓練を繰り返して来た。
当日は、地震発生とともに直ちに操業を停止し、従業員76名全員がこれまでの訓練通り約5分で築山への避難を完了した。津波がやって来たのは、地震発生から約1時間10分後だったが、その頃には近隣の住民らも合わせ、130名余りが築山に避難していたという。津波は、避難している人達の足元1m余りまで押し寄せたが、津波が築山を超えることはなかった。築山や周囲の雑木林は植林から30年を経て大きく育ち、大津波の緩衝帯の役目も果たし、津波の前面の車や瓦礫類など防いでくれたという。築山での避難は、翌朝まで続いたが、避難者たちは雑木を燃やして寒さを凌いだともいう。避難を指揮した平山憲司所長は「地震発生直後に東京本社にいる元木生産技術部長(当時)からかかってきた携帯電話をつなぎっ放しにして、当初から避難訓練を提唱した前任者が適確な指示をしてくれたことも助かった」と証言している。約130名の人たちを救った築山と言えば、どんなに巨大な施設かと思いがちだが、実際には、どこにもあるほんの小さな築山である。製造所の敷地は海抜5m、築山の高さが5mだから海抜10mの築山が多くの人達が救ったことになるが、「偉大なるマンネリ訓練」(平山所長談)と雑木林が功を奏したといえよう。港や海岸などに隣接した工場や施設は全国いたるところにあるが、是非、この製造所を参考にして欲しいものである。巨大地震津波に対しては避難に勝る防災はない。
団体概要
- 構成人員
- 日鐵住金建材㈱仙台製造所:86名
構内協力会社/3社(㈱サクラ・㈱三栄商会・㈱ニッケンサービス):25名