1月1日(月)
令和6年(2024年)1月1日の16時10分、巨大な地震、令和6年能登半島地震が発生。
奥能登で最大震度7、能登半島の広範囲で震度6弱以上を記録する等大きなもの。
珠洲や輪島では家屋の倒壊や火災等、大きな被害。津波も発生。
自分の住んでいるところも震度5強程度の立っていられないくらいの大きな揺れ。
これほどの揺れは初めての経験。
その後も余震は続く。
日々明らかになっていく被害状況に、目を覆いたくなる。
僕の生まれは、能登町の宇出津という田舎町。
漁港が近くにあり、イカ漁が盛ん。(よく話題となる大和堆で、北朝鮮や中国等の漁船による乱獲で危険にさらされていることでも知られているはず)
親族は無事だったけど、そんな田舎町でも地震の被害は大きい。
色々とショックなことではあったけど、起きてしまったことはもうどうしようもないので、これから復興に向けて、自分ができることをちびちびと頑張って行きたい。
こういった災害時は、本当に自衛隊の皆さまが頼もしく、誇らしい。
今回能登半島地震の被害に遭ってない地域の方で何かしたいとお考えの方は、いつも通りの生活して、しばらくして落ち着いた時にでもフラッと石川県遊びに来ていただくだけでも良いと思います。
復興には数年、数十年単位の長期になるでしょうから、今すぐではなくても長い目で想い続けていただけたらと。
僕は、普段から非常時に備えて、自分の車にようかんと乾パンの保存期間5年非常食と、飲料水4L程度を入れ替えつつ常備させている。
いつ頃からこんなことやってきたか忘れたけど、前車のスバルXVの頃からずっとやってる。熊本の頃か、北海道の胆振の頃か。
そんな能登半島地震の翌日、1月2日には羽田空港で日本航空の旅客機と海上保安庁の飛行機同士が衝突事故。
日本航空機は全員が脱出済みとの情報が入り、乗員乗客の無事も確認された。機長やCAの方々の普段からの訓練の賜物、本当に素晴らしい。これからも安心して飛行機乗ります。
ただ、これは不幸中の幸いで良かったけど、ぶつかった海上保安庁機の乗員が犠牲に。この海上保安庁機は羽田から石川県へ救援物資を運ぼうとされてた中での事故。本当に悲しい。
1月2日は、本当ならジム始めとコントラバス弾き始めの予定だったけど、とてもじゃないけどそんなことやっている場合ではなかった。
今後は仕事の関係で、能登方面の調査に召集かかるかも。自分の部屋の片づけも全然終わっていないのに。
家中の棚が倒れて、自室でも頑丈なスチールラックの足が曲がってしまった。固すぎて元に戻せない。
自分の身長以上の高さに組んでいた棚が簡単に倒れてしまったけど、下敷きにならずに済んだだけでも良かった。
ここ数年、コロナ禍はもちろんだけど、個人的にはコロナでは無い長期入院&通院、小松市での豪雨災害被災、そして今回の能登半島地震被災と、さすがに重なりすぎてしんどい。
人生ハードモード。
何か良いことないかなあ…
まあ頑張りますか。
SNS上では、共産立憲れいわ社民支持者による災害を利用したパフォーマンスがあちこちで。
何で石川県民が被災した上にバカにされないといけないの?
共産立憲れいわ社民は今まで支持したことなんか無いけど、未来永劫支持することは無い。
テレビなんかも全然観ないけど、災害を利用した党首のパフォーマンスと党員や信者の気持ち悪さに本当にうんざり。
こんなどうでも良いことは本当にどうでもよくて、今回は県外の色んな方から心配の声をいただいて、本当に感謝。
僕は金沢市より南で、まだ片づけ中だけど日常生活取り戻しつつあるので、大丈夫。
最初の地震後、コントラバスの状況を確認したけど無事だった。
そんなコントラバスを購入してお世話になっている兵庫の工房から、丁寧にお電話もいただいた。
尼崎(現在は神戸に移転)のゼーレ弦楽器工房で購入したコントラバス、半永久保証な感じでみていただいている。
先日毛替えしてもらったばかり、また楽器本体もお世話になります。
近所にもこういう信頼できる、自分の楽器を安心してお任せできるようなお店があれば良いけど、残念ながら無いのでこれからも僕は神戸や京都へ行く。
ちょっと落ち着いた頃、金沢市玉鉾町にある自家製麺のぼるで、醤油ラーメンとチャーシュー丼。
かなり久々に来たけど、いつも美味しい。
これが、2024年の初ラーメン。
ちなみにこのお店、納豆(ラーメン)というメニューがあるけど、結構食べに来ているのにまだ未食。
とりあえず色々と、僕ができることを。
この他にJALのふるさと納税もあって手続き完了。
寄付等は信頼できる窓口を。詐欺には注意。
繰返しになるけど、各自できることを無理せずちびちびと…
まとまりのない文章だけど、まあ良いか。