大学の「校名変更」なぜ増えた? ブランド力?経営者の交代…7つの理由 | 朝日新聞Thinkキャンパス

■令和の大学を考える

現在、日本には800校近い大学がありますが、大学の名称が変更になった例が増えてきています。この20年間で、50校以上の大学が名前を変えています。保護者の知っている大学名がなくなっていることにも、改めて気がつくかもしれません。そこにはどんな理由があるのでしょうか。教育ジャーナリストの小林哲夫さんが解説します。(写真=昭和大学医学部、朝日新聞社撮影)

過去20年で、50校以上が校名変更

2025年、昭和大は昭和医科大に校名変更する。大学はその理由についてこう説明する。

「このたび、昭和大学は、医学部、歯学部、薬学部、保健医療学部を擁する医系総合大学であることを校名からも発信し、社会に貢献できる優れた医療人を育成する大学として更なる発展を目指すため、令和7年4月1日に昭和医科大学へ校名を変更することといたしました。(略)日本一の医系総合大学として発展していくため、万全を期して臨んで参りたいと思いますので、皆様のご理解ご協力を何卒お願い申し上げます」(大学ウェブサイト、24年4月15日)

同大学の歴史を振り返ってみよう。

1928(昭和3)年 旧制の昭和医学専門学校として開校
1952(昭和27)年 新制の昭和医科大が発足する
1964(昭和39)年 昭和大に校名を変更
これは同年、薬学部を設置したことによって、「医科」を外したと思われる。

そして、2025年に昭和医科大となる。約60年ぶりに先祖返りしたわけだ。「医科」をつけることによって、医学部がある医系総合大学をアピールしたい、「医科大」というブランド力を活用したい、という思いがうかがえる。

最近20年(0524年)で、50以上の大学が校名を変更している。保護者や高校教員が大学生のころに知っている大学が、現在では違う名称になっていた、というケースは少なくない。

昭和、平成の感覚で大学を見ると、その大学の特徴を見誤ってしまうので気をつけたい。たとえば武蔵工業大は東横学園女子短期大と統合して東京都市大となった。都市生活学部と人間科学部を設置したことで、工業系大学から変革している(09年)。東京都立大首都大学東京になったが、再び東京都立大に戻っている(20年)。
24年10月には、東京医科歯科大東京工業大が統合し、東京科学大が誕生する。

校名変更の主な理由とは

大学の校名変更にはさまざまな背景がある。いくつか解説しよう(カッコ内は校名変更年)。

 

1)経営者の交代

他の学校法人や企業のオーナーが大学を買収するなどして経営者が代わり、新しい大学として再出発するという意味合いがある。

日本橋学館大→開智国際大(15年) 経営者が開智学園グループに代わった。

京都学園大→京都先端科学大(19年) 日本電産会長(当時、現・ニデック代表取締役グローバルグループ代表)の永守重信氏が経営者(理事長)になり、工学部を設置した。

了德寺大→SBC東京医療大(24年) 美容整形の湘南美容クリニックなどを擁するSBCメディカルグループが大学経営に乗り出した。

 

(2)学部の新設

新しい学部の設置で、校名が実態と合わなくなった。

足利工業大→足利大(18年) 14年に看護学部を設置し、卒業生を出した18年に「工業」を外した。

岐阜経済大→岐阜協立大(19年) 看護学部を設置し、「経済」を「協立」に変えた。

東北薬科大→東北医科薬科大(16年) 国内で37年ぶりの医学部設置。

大阪医科大→大阪医科薬科大(21年) 大阪薬科大学と統合して薬学部を設置。

 

(3)学部構成の変更

学部構成が変わり、校名が実態と合わなくなった。

四天王寺国際仏教大→四天王寺大(08年) 名称変更時に教育、経営の2学部を設置し総合大学を目指す。

明治鍼灸大→明治国際医療大(08年) 1983年、鍼灸学部の1学部で開学し、現在は鍼灸、看護、保健医療の3学部。

いわき明星大→医療創生大(19年) 1987年、理工、人文の2学部で開学。変遷を経て心理、看護、国際看護、薬、健康医療科学の5学部となった。

 

(4)グローバル化

「国際」を付すことで留学制度の整備などグローバル化を打ち出す。

聖路加看護大→聖路加国際大(14年) 国際看護学に力を入れ、海外で看護を学ぶ留学プログラムが充実。

日本橋学館大→開智国際大(15年) 17年に国際教養学部を設置。海外で看護に関する研修制度を拡充した。

筑波学院大→日本国際学園大(24年) 留学必須の国際系コースを設置。

 

(5)私立大から公立大へ設置者変更

地方の私立大学が定員割れを起こして、自治体が事実上、救済したところもある。地元に若い人がとどまることや、他地域から若い人が入ってくることで、地域の活性化を期待している。

鳥取環境大→公立鳥取環境大(15年)

山口東京理科大→山陽小野田市立山口東京理科大(16年)

成美大→福知山公立大(16年)

諏訪東京理科大→公立諏訪東京理科大(18年)

千歳科学技術大→公立千歳科学技術大(19年)

徳山大→周南公立大(22年)

旭川大→旭川市立大(23年)

 

(6)女子大の共学化

少子化を見据えて共学化に踏み切ったことで、「女子」が外れた。25年、清泉女学院大清泉大名古屋女子大名古屋葵大園田学園女子大園田学園大神戸松蔭女子学院大神戸松蔭大への変更を予定している。同年、東京家政学院大は共学化を予定しているが、校名は変わらない。それ以前の共学化は以下の通り(04年以降)。

聖カタリナ女子大→聖カタリナ大(04年)

京都橘女子大→京都橘大(05年)

大谷女子大→大阪大谷大(06年)

東海女子大→東海学院大(07年)

中京女子大→至学館大(10年)

高知女子大→高知県立大(11年)

文化女子大→文化学園大(11年)

東京純心女子大→東京純心大(15年)

広島文教女子大→広島文教大(19年)

東北女子大→柴田学園大(21年)

神戸親和女子大→神戸親和大(23年)

 

(7)都市、地域名を追加、変更

大学の所在地やエリアをアピールする。地域に根ざした大学、広いエリアで貢献できる大学を目指す。

那須大→宇宮共和大(06年)

東邦学園大→愛知東邦大(07年)

秋田経済法科大→ノースアジア大(07年)

福岡経済大→日本経済大(10年)

近畿医療福祉大→神戸医療福祉大(13年)

 

19年、東都医療大東都大に校名変更した。これまで「東都大」はドラマ、小説、漫画で架空の大学としてよく登場したが、本当に実在する大学になってしまった。「白い巨塔」「太陽にほえろ!」「JIN-仁-」「特捜最前線」「相棒」などである。漢字の並びや語呂がいいかららしい。「東」京大と京「都」大をつなぎ合わせた、「東」の「都」にある、などの理由もある。なお、「白い巨塔」の舞台となった「浪速大」は、かつて実在していた。大阪公立大の前身、大阪府立大の旧名称で、1949年から55年まで浪速大と名乗っていた。

大学が校名を変えるときは、大学が生まれ変わるシグナルといえよう。少子化にあって大学が勝負に出た、と見ることができる。実際、教職員は新しい教育、研究に挑戦するため意気込んでいる。校名とともに大学の中身がどう変わるか、しっかりチェックしておきたい。

>>【連載】令和の大学を考える

(文=小林哲夫)

プロフィル
小林哲夫(こばやし・てつお)/1960年、神奈川県生まれ。教育ジャーナリスト。大学や教育にまつわる問題を雑誌、ウェブなどに執筆。『大学ランキング』(朝日新聞出版)編集統括。『日本の「学歴」 偏差値では見えない大学の姿』(朝日新聞出版・共著)ほか著書多数。

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