2024年3月に史上最年少で日本サッカー協会の会長に就任した宮本恒靖さんは、大学生活とプロのサッカー選手としての活動を両立してきました。宮本さんといえば、02年の日韓ワールドカップで、直前の練習試合で鼻を骨折し、フェースガードをつけて出場した姿を覚えている方もいることでしょう。勉強とサッカーの両方で高い目標をクリアし、結果を残してきた宮本さんは、どのような学生時代を過ごしたのでしょうか。朝日新聞「Thinkキャンパス」平岡妙子編集長が聞きました。
高校は地元の進学校へ
――パリオリンピックでは、10年以上ぶりでフランスに行ったそうですね。宮本さんご自身も2000年のシドニー五輪に出場した経験がありますが、今回の日本代表の戦いぶりをどう見ていましたか。
若い選手、特にU-23の選手たちがぐっと成長しましたね。彼らが下から突き上げてくれることで、ワールドカップを目指す日本代表の力が底上げされるでしょう。今後が楽しみです。
――宮本さんは小学5年生でサッカーを始め、中学生の時にU-15の日本代表候補に選ばれました。それほどの実力がありながら、高校はサッカーの強豪校ではなく、地元の進学校を選んだのはなぜでしょうか。
我が家は「スポーツをやっていても、勉強はおろそかにするな」というのが教育方針でした。サッカーに本気で取り組むことを親に認めてもらうためには、勉強もしっかりやることが大前提だったのです。
サッカーを始める前は、ソフトボールをしていました。小学2年の時、母に「将来は野球選手になりたい」と言ったところ、「無理だからやめなさい」と即座に反対されました。今にして思えば、母は現実の厳しさを教えてくれたのでしょうが、当時はショックでしたね。中学のころはすでにプロサッカー選手になりたかったので、「今回こそは絶対に両親に認めてもらわなければ」という気持ちがベースにありました。
それに自分としても、できるだけレベルの高い環境でサッカーの技術を上げたかったし、サッカー以外にもいろいろな可能性を広げてみたいとも思っていましたから、その希望をすべて実現するベストな方法として、高校は地元の公立高校へ、サッカーはガンバ大阪のユースへという選択をしました。
テスト前は「各駅停車」に乗る
――クラブチームに所属しながら進学校に通うのは、ハードだったのではないでしょうか。
自宅からガンバ大阪の練習場所までは距離があり、通うのは大変でしたが、それ以外の悩みはあまりなかったですね。もちろん、高校には優秀な同級生がたくさんいましたから、「どうやって勉強すればいい成績が取れるだろう」と考えましたけど、自分には「いい成績を取って親に認めてもらう」ことと、「サッカーの技術を磨く」という2つの明確な目的があったので、それを実現するための努力は、当然すべきです。両方できるようにするには、どうしたらいいのかとしか考えませんでした。
――とはいえ、忙しかったでしょうね。どうやって時間を作ったのですか。
限られた時間をいかに有効活用するか、どの時間を何に使うと効率がいいのかというタイムマネジメントの部分は、高校時代にかなり鍛えられました。定期テスト前はあえて電車の急行ではなく各駅停車に乗り、電車内で座って勉強時間を確保しました。通学時間もずっと勉強しているわけではなくて、例えば20分と時間を決めて、その間だけ集中して勉強したらあとは寝るとか、自分なりの方法を見いだしていきました。
中学時代から、定期試験前には試験までの1日の計画を立て、それに沿って勉強を進めていました。何時から何時はこの教科を勉強して、ここで昼飯を食べて、昼寝をして……とか。もちろん、すべてスケジュールで管理していたわけではありません。ただ、いくら考えても解けない問題に何十分も時間を割くより、決めた時間だけ勉強して、終わったら次の教科に移るほうが効率はいいし、メリハリもつきます。
指定校推薦で大学へ
――プロを目指す場合、大学に進学しないという選択もあったかと思います。当時の宮本さんは、大学進学についてどのように考えていましたか。
プロのサッカー選手になりたいという希望は持っていましたが、プロになっても活躍できる保証はありませんでしたし、いろいろな可能性を自分の中に持つという意味でも、大学には行くべきだろうと考えていました。だからセンター試験(当時)の準備をしたり、予備校の夏期講習に通ったりしていました。ただ、夏期講習の途中で、イギリス遠征のメンバーに選ばれたという連絡が来たので、せっかくのチャンスを逃すわけにはいかないと遠征に参加することを決め、指定校推薦での進学に切り替えました。
――高校の指定校推薦を取れたということは、学校の成績が優秀だったということですね。
高校1年のころから勉強も手を抜かずにコツコツやっていたのが、よかったのかもしれません。性格的にサッカーの練習で疲れたから寝るとかいうのは、嫌なんですね。なかには寝ていた授業もあるかもしれませんが(笑)。
大学では経済学を学ぶ
――その結果、同志社大学に合格して、入学とほぼ同時期にガンバ大阪でプロ選手としての活動も開始しました。経済学部を選んだのは、なぜですか。
経済学は日々の生活や社会活動に身近な学問なので、すごく興味がありました。実際、授業は面白かったです。労働経済学のゼミでは、時間がたっぷりある学生にとっての1時間と、たくさんの仕事を抱えているビジネスパーソンにとっての1時間では価値が違う、なんていうことも勉強しました。
――プロとして活躍する機会が増えると、うれしい半面、「大学を卒業できないんじゃないか」と不安にはなりませんでしたか。
確かに、プロサッカー選手として練習や試合に出る時間は徐々に増えていきましたが、卒業できないんじゃないかとか、卒業できなくてもいいといったことは、一度も考えませんでした。
実は、高校卒業のタイミングで海外遠征に行った時、ある人から「大学に行きながらJリーグでやろうとしているらしいけど、そんなの無理に決まっている」と言われたんです。自分自身は、初めからサッカーも学業も当然両立するつもりでしたが、その言葉がさらなる発奮材料になりました。
――そうして5年半かけて大学を卒業したのですね。
4年生が終わった時点で16単位残っていて、そのうち12単位を5年目で、4単位を6年目で取得しました。最後4単位残したために6年目に突入したのはちょっともったいなかったですけど(笑)。大学生活を通してみれば、経済学という自分が興味を持った分野を学べたことはよかったですし、引退後のFIFAマスター(国際サッカー連盟〈FIFA〉が運営する大学院)への進学にもつながったのかな、というのはありますね。
日本を外から眺めることが大切
――FIFAマスターでは、どのようなことを学びましたか。
約1年間かけて、スポーツの歴史とスポーツの経営学、法学を学びました。歴史はイギリスのレスター、経営学はイタリアのミラノ、法学はスイスのヌーシャテルと、約3カ月ごとに校舎を移動するので、いろいろな国で生活できたのはよかったのですが、毎回、家探しをするのが予想以上に大変でした。
――世界各国から来た人と机を並べて過ごした時間は、密度が濃かったですか。
17年間の現役生活で、サッカー選手としてはいろいろ見てきましたが、その後の人生の長さを考えた時に、もっといろいろなことを学んでおいたほうがいいと思っていたので、そういう意味でも貴重な経験ができました。
そもそも、日本を出て海外に行くこと自体が、すごく意味のあることだと思っています。自分の国を外から眺めると、物事を違った角度からとらえられるようになるし、視野を広げることにもつながります。それに、外国語を使って海外の人たちと仲良くなるのは、サッカーで友達をつくるのと似ているんです。間に入るのが言葉なのかボールなのかという違いはありますが、日本語を介さないコミュニケーションという点では同じ。いろいろな国の人と直接話せたことは、純粋に楽しい経験でしたし、刺激ももらいました。若い人たちには、日本で生きることを当たり前とせず、ぜひ海外に出てみてほしいですね。
>>【後編】日本サッカー協会会長・宮本恒靖 「子どもの選択を奪う権利は、親にもない」
プロフィル
宮本恒靖(みやもと・つねやす)/日本サッカー協会会長。1977年、大阪府生まれ。進学校の大阪府立生野高校を卒業後、同志社大学経済学部に進学するとともに、ガンバ大阪でJリーガーとしてのキャリアをスタート。日本代表選手としてシドニー五輪、AFCアジアカップなどに出場し、2006年開催のFIFAワールドカップドイツ大会では、キャプテンを務めた。11年に現役を引退し、13年、FIFAが主催する大学院、FIFAマスターを修了。18年、ガンバ大阪監督に就任。22年から日本サッカー協会の理事などを務め、24年3月から会長。妻と大学生の息子、高校生の娘の4人家族。
(文=木下昌子、写真=篠塚ようこ)
【写真】日本サッカー協会会長・宮本恒靖 「スポーツと勉強、どうしたら両立できるのか」
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