2022年5月15日、わたしたちは沖縄の日本復帰から50年を迎えました。さまざまな人に聞きました。あなたにとって沖縄とは。沖縄を通じて思い、考える意味とは。
本土とは異なる歴史と風土をもつ沖縄には、本土からさまざまなイメージが投影されてきました。「支え合う地域共同体」「たくましく子育てする女性」――。こうしたイメージは幻想ではないのか。沖縄の少女たちについて調査を続ける上間陽子・琉球大教授に聞きました。
暴走族やヤンキーと呼ばれる若者たちと行動を共にし、体当たりで調査を進める。型破りの調査手法で、沖縄社会の若者たちの現実をあきらかにした社会学者の打越正行さんに話を聞きました。
77年前、沖縄県の石垣島から台湾に疎開する2隻の船が米軍機に銃撃され、80人以上が犠牲になる事件がありました。「尖閣列島戦時遭難事件」といわれます。約100人が魚釣島に漂着したものの餓死した人もおり、生還者は体験をあまり語りたがりませんでした。山根頼子さん(66)のおばも、その1人。山根さんは、おばの手記から島で起きた悲劇を考え、後世に伝えています。
沖縄在住のピアニストで作編曲家の辺土名直子さんは、島の歩んだ道のりを振り返りながら、自分の思う等身大の沖縄を表現してきました。言葉ではなく、音楽や芸術の持つ力が何かを変えるきっかけになるのか。話を聞きました。
1953年公開の映画「ひめゆりの塔」で学徒役を演じ、長年にわたって沖縄戦と向き合い続けてきた俳優の香川京子さん(90)に、元学徒との交流を通じて育んできた平和への思いを聞きました。
沖縄の伝統的な染め物である紅型などを使い、米軍基地をモチーフにした作品などを手がける現代アーティストの照屋勇賢さんは、いまの沖縄が抱える様々な問題を芸術を通じて国内外に発信しています。「分断」を乗り越え、それぞれの文化を認め合う社会をと願う思いを聞きました。
2010年の第92回全国高校野球選手権大会で沖縄勢として初優勝し、史上6校目の春夏連覇を成し遂げた興南高(那覇市)の我喜屋優監督。自身も1968年大会に主将として出場してベスト4に入るなど、沖縄の高校野球とともに歩んできました。沖縄の高校野球の歴史と監督としての原点、人づくり、そして母親から聞いた沖縄戦などについて語ってもらいました。
劇団「青年座」の看板俳優として活躍し、ハリウッドスターの吹き替えでもおなじみの津嘉山正種さん(78)。渋くて優しいイメージがありますが、故郷・沖縄の歴史を伝える朗読劇では姿勢が一変します。話を聞きました。
「さとうきび畑の唄」「白旗の少女」と、沖縄戦を舞台にしたドラマに出演した俳優の黒木瞳さん。出身地の福岡から被爆地の長崎、広島が近いこともあり、戦争について「人ごとではない」と小さい頃から関心を持っていたといいます。沖縄は今年、復帰50年。節目の年に、私たちは沖縄戦を通して命の大切さをあらためて考えていく必要があると語りました。
「沖縄の縮図」とも呼ばれる伊江島。沖縄戦で多くの住民が犠牲になり、戦後は米軍に多くの土地を奪われました。その島がいま、米軍の軍事戦略を支える訓練拠点になっています。村長として訓練受け入れを決めた島袋清徳さん(84)に思いを聞きました。
米軍嘉手納基地を抱える沖縄県沖縄市で暮らす崎山多美さんは、小説家として沖縄に根ざした作品を世に送り出す一方、予備校の国語講師という別の顔があります。30年以上、若者の言葉を聞き続け、感じる「変化」があるといいます。
沖縄には、今も沖縄戦で犠牲になった人たちの遺骨が残されています。激戦があった本島南部の土砂を、辺野古の埋め立て工事に使う政府の計画が浮上しました。40年間、遺骨収集を続けてきた具志堅隆松さんに聞きました。
沖縄に基地があるのではなく、基地の中に沖縄がある。そう表現されたほどの巨大な米軍基地を、復帰までにどう減らすか。沖縄返還交渉の当時、外務省北米一課員としてその任にあたった加藤良三さん(80)に聞きました。
モデルの知花くららさんは昨年、次女を出産し、2児の母親になりました。祖父から沖縄戦の体験を、父からは沖縄の本土復帰の歴史を聴き、自らの今の姿と重ね合わせています。「命はつながっている。遠い話とは思えないんです」と語ります。
ダイキン工業の井上礼之会長は、女子プロゴルフ「ダイキンオーキッドレディス」開催のために訪れた沖縄の光景をよく覚えています。経営が順風満帆でないときに「ゴルフどころではない」との声も届く中、なぜ続けることを選んだのか。35年の歩みを振り返りました。
直木賞受賞作「宝島」は、沖縄が米軍に統治された1952年から72年の日本復帰までを描いた小説です。著者の真藤順丈さんはいま、その続編を書いています。沖縄にルーツのない真藤さんが、なぜ沖縄に向き合い続けるのか。その葛藤と覚悟を聞きました。
朝のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」に出演する仲間由紀恵さんは、自ら演じる役や東京に上京する主人公の姿に、母親としての自分やかつての記憶を重ねます。先人の苦しみや悲しみが少しでも癒やされるように、今の沖縄を良くしていくことこそ大切だと語ります。
沖縄を代表する「オリオンビール」の名前には、南の空に輝くオリオン座の星のように夢や希望を若者に伝えたいという思いが込められています。会長の嘉手刈義男さんに半世紀の歩みを語ってもらいました。
1990年代に活躍したダンスボーカルグループ「SPEED」のメンバーで歌手の島袋寛子さんは、米軍普天間飛行場のそばで育ちました。大人になって沖縄へ頻繁に戻るうち、幼い時とは違う基地の姿が見えるようになります。復帰50年のタイミングに覚悟を決めて、自身の考えを話してくれました。
沖縄で多くのホテルを経営する平良朝敬さんは「観光は平和産業」と持論です。青い海の価値を東京で認識してから半世紀。業界を引っ張り、ライバルでもある外資系ホテルの誘致にも力を注いできた理由を語りました。
ロックバンド「ORANGE RANGE」のベーシストYOHさんは、苦しい時代を生きた人たちに思いをはせ、今の沖縄を内と外から見つめようとしています。最新曲に込めた思いを聞きました。
沖縄テレビのキャスター・平良いずみさんは沖縄で20年以上報道の現場で取材を続け、基地問題を考えるドキュメンタリー映画「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」の監督も務めました。復帰50年を迎えた沖縄から伝えたいことは何か。話を聴きました。
沖縄では2019年2月、辺野古の埋め立てを問う県民投票があり、投票した人の7割超が反対票を投じました。民主主義を研究する宇野重規さんは今も続く埋め立てについて、「日本の民主主義全体の信頼の根底的な低下につながった」と指摘します。
歌手の夏川りみさんは、石垣島で生まれ育ちました。沖縄の自然と音楽が、今も活動の「原点」と言います。新アルバムを発表する今年は、改めて原点を見つめる年になりそうです。
中国の軍備増強やウクライナ有事などで安全保障への不安が高まる中、沖縄への偏在が続く米軍基地をどう考えるか。朝日新聞社と沖縄タイムス、琉球朝日放送合同の世論調査結果を元に、我部政明・琉球大名誉教授が読み解いた。
戦後の那覇市を舞台にした小説で作家デビューしたオーガニックゆうきさん(29)。本土から「ひとごと」と見られがちな沖縄について「文学は他者との架け橋になる」と語ります。
朝日新聞社が沖縄タイムス、琉球朝日放送と合同で行った沖縄県民世論調査で、基地問題よりも経済を重視する回答が目立ちました。何が読み取れ、背景には何があるのか。2021年3月まで沖縄県の副知事を務めた富川盛武・沖縄国際大名誉教授(地域経済論)に聞きました。
沖縄国際大の宮城和宏教授は、那覇市で生まれ、沖縄経済を見つめ続けてきました。米軍が駐留することで生まれる雇用や消費などに頼った「基地経済」の実態とはどうなのか。基地の影響や産業構造の観点から将来像も語ります。
俳優の篠山輝信さんが母で元歌手の南沙織さんの生まれ故郷・沖縄を題材に書いたシナリオ「島」が4月、新人シナリオコンクールで入選しました。沖縄が自分に迫ってくる感覚や葛藤を物語の主人公に込めたといいます。
NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」の主演・黒島結菜さんは、役と同じく自身も沖縄出身です。地元が舞台の今作には格別の思い入れがあるといいます。故郷へのあふれる愛を語ってくれました。
TBSの佐古忠彦さんは、沖縄の番組を作り続けています。5年前には、占領下の那覇市長、瀬長亀次郎のドキュメンタリー番組を映画に作り直しました。沖縄を撮り続けることについて、思いを聞きました。
「DA PUMP」のリーダーISSAさんは、米軍嘉手納基地のそばで生まれ育ちました。ヒット曲「U.S.A.」の歌詞は、米国に憧れを抱く少年時代の自分に重なると言います。印象的なリズムに込められた思いを聞きました。
沖縄が日本に復帰する前、米軍統治下の暮らしとはどのようなものだったのでしょうか。食事や仕事、基地との関係などについて、那覇市の琉球料理研究家、松本嘉代子さん(83)に聞きました。
沖縄県に移住して那覇市のフリースクールに通い、その日々を出身地、石川県の地元紙で連載した坂本菜の花さん。地元に戻り、沖縄で暮らしていた時とのギャップの中で自分に何ができるか、自問を続けます。
スポーツイベントの会場に掲揚された日の丸を引き下ろして火を付ける――。沖縄県読谷村の知花昌一さんはかつて、そんな行為をして「非国民」と非難されました。動機の根底には、何があったのでしょうか。
沖縄を代表する保守政治家で、オスプレイ配備に反対する県民大会共同代表も務めた翁長雄志さん。普天間飛行場の辺野古移設計画をめぐっては、県知事として政府と真っ向から対立しました。那覇市長時代のインタビューです。
凄惨な地上戦を経て、戦後長らく日本から切り離された島で生きてきた人々の生活について、私たちは何を知っているでしょうか。沖縄の生活史調査をしてきた社会学者の岸政彦さんに、沖縄を取材してきた記者が聞きました。
国際政治史が専門の琉球大准教授、山本章子さんは昨年、お子さんを出産されました。上空を飛ぶ米軍機、汚染水の問題。日米関係の専門家として、一人の親として、沖縄の日常についての寄稿です。
復帰直前に起きた米軍関係車両に対する住民による焼き打ち事件「コザ騒動」を描いた舞台に出演した松山ケンイチさん。沖縄について、作品で伝えたかったことについて、聞きました。
本土復帰の年に生まれた世代は、沖縄で「復帰っ子」と呼ばれます。お笑いコンビ「ガレッジセール」の川田広樹さんはその一人。沖縄戦の体験に心動かされ、映画制作に乗り出しています。
対立や混迷といった言葉ばかりで語られるようになってしまった感がある沖縄の米軍基地問題。しかし、沖縄タイムス編集局長の与那嶺一枝さんには違った景色が見えているといいます。
1月の沖縄県名護市長選では、現職が、米軍普天間飛行場の辺野古移設反対を掲げた新顔を破りました。市民は移設を受け入れたのか、辺野古でフィールドワークを続ける熊本博之教授に聞きました。
沖縄が舞台の朝ドラ「ちむどんどん」に出演する上白石萌歌さん。役作りで、沖縄の歌と弦楽器を習い始めたそうです。撮影で訪れた沖縄で目にした青。「歌のとおりの風景があった」と語ります。
沖縄で野球の礎を築いた元福岡ソフトバンクホークス投手の新垣渚さん。足の大けがで野球をあきらめ、ボクシングの道を選びかけたこともありました。そんな時、目の前に現れたのが、恩師で沖縄水産監督の栽弘義さん(故人)でした。
沖縄の地元出版社の編集者・新城和博さんは、「沖縄の日本復帰とは?」という問いについて「問いかける側を映す鏡のようなもの」と語ります。本土と沖縄の溝についても考えます。
本土復帰前から現地取材を続けるジャーナリストの森口豁さんは「復帰後も米軍基地が集中し、いくら沖縄が本土に訴えても変わらない『アリと象』の関係が続いている」と指摘します。
特集「沖縄・本土復帰50年」
連載「沖縄から考える民主主義 復帰50年」
逆さ地図で見る米中最前線の中の沖縄
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