スクロール
30年余にわたる「平成」が終わろうとしています。ベルリンの壁崩壊、米同時多発テロ、東日本大震災……。国内外で起きた重大ニュースの数々を、朝日新聞のコラム「天声人語」100本で振り返ります。当時の紙面や、歴史的瞬間をとらえた写真もご覧いただけます。題して「平成人語」。
新しい元号が明治にきまった、と知るや、こんな落首が現れた。「上からは『明治』だなどといふけれど『治(おさ)まるめい』と下からは読む」。どんな元号もはじめは違和感があるらしい
〈1989.1.9〉
「政治改革元年という決意であたらないと国民に申し訳ない」と竹下首相、年頭の約束。ゆめ忘るまじ
〈1989.1.30〉
東に鄧小平さんの辞任あり、西ではベルリンの壁に風穴が開く。時代が変わり、舞台がまわっているのを見る気がする
〈1989.11.11〉
350両の戦車が、9時間で1つの国を制圧してしまった。あっという間のことだった。世界に伝わる報道からは、クウェート市民がどうしているのか、その悲鳴さえ聞き取れない
〈1990.8.4〉
長崎県雲仙・普賢岳(1,359メートル)の動きが気にかかる。地獄跡火口で刻々大きくなり続けてきた溶岩のかたまり。不気味だ。学者たちは「地下からマグマ(岩漿〈がんしよう〉〉
〈1991.5.24〉
国連平和維持活動(PKO)協力法にもとづく部隊派遣の実施計画が決まった。11日には派遣命令が出される
〈1992.9.9〉
金丸信氏が議員辞職を表明した翌日の『朝日小学生新聞』に小学生の反響が載っていた。全国各地の子供たちだ。第1面を、談話で埋めている。3年生から6年生まで、実名入りで26人
〈1992.10.16〉
長い演説には閉口する。「ほんの一言」などと言って立ち上がり、何十分も話す人がいる。決まり文句の多い演説。中身の空疎な話。「乾杯のあいさつ」すら、長広舌だ。
〈1993.7.15〉
細川内閣の閣僚たちが抱負をのべるのを聞いた。流れるように所信を披瀝(ひれき)する人がいるかと思えば、資料に目をやりながら、考え考え話す人もいる。
〈1993.8.10〉
いやはや、驚くばかりの有為転変の世の中である
といっても、世の無常は昔もいまも変わらない。
〈1994.7.1〉
あまりにも印象の強い「関東大震災」がわざわいしたのか、「阪神大震災」の到来を予期した人は、いたとしても、きわめて少なかった。
〈1995.1.21〉
マインドコントロールということばを最近よく聞く。人に働きかけ、人格を別の人格に置き換えてしまう作業、といえばよいか。
〈1995.5.24〉
だれにも好かれる礼儀正しい青年が一度だけ騒ぎを起こしたことがある。七冠王になった羽生善治さんがまだ四冠王のときだった
〈1996.2.15〉
おとぎ話の続編は、思わぬ結末で終わりを迎えた。英国のダイアナ元皇太子妃が、パリで交通事故に遭い、亡くなった。
〈1997.9.1〉
うそをつく。知っていることを隠す。懲りているはずなのに、日本の企業も役所も、またそれをやった。かくて庶民は混乱し、国際的な信用は落ちる。
〈1997.11.26〉
五輪のラージヒルを白馬まで見に行った。船木和喜(かずよし)と原田雅彦が金と銅。最高の結果だったが、観客席は緩斜面の雪の上で、もちろん何時間か立ちっ放し。
〈1998.2.17〉
一カ月近く前に、和歌山市園部に行った。六十七人が吐き気や腹痛を訴え、うち四人が死亡した夏祭りカレーライス毒物混入事件の現場だ
〈1998.10.5〉
米国のソプラノ歌手バーバラ・ボニーさんの日本公演は、静岡市を皮切りに東京、水戸、大阪で催されるはずだった。
〈1999.10.8〉
女子マラソンのレースの二日前に、日本の三選手が記者会見した。難関コースの中で、どこがポイントになるか? 風への対策は?
〈2000.9.25〉
窓の外に細長い高層ビルが見える。そのビルに向かって旅客機が進んでいく。一瞬、ビルの陰に隠れてすぐに姿を現す。羽田空港に向かう旅客機だ。
〈2001.9.13〉
熱い6月が終わった。このワールドカップの6月は、後にどう回顧されるだろうか。幼い世代にとっては、ひょっとしたら「日の丸」と「君が代」の季節としてではないか。
〈2002.1.9〉
米英軍が戦っている相手は、イラクだけではない。自国の世論、そして世界の世論を相手にもしている。そもそも正当性が疑われる戦争だけに、これ以上反戦感情が増幅するのは避けたい。
〈2003.3.23〉
忘れられた名選手が次々とよみがえっている。マリナーズのイチローがヒットを打ち、最多安打記録に近づくたびに、ほこりをかぶっていた大リーグ史のページが読み返されている
〈2004.9.29〉
72時間。それが、地震で崩れた建物の下敷きになった人を救助できるタイムリミットだという。人が水と食料なしで生き延びられる限界だからで、ここを過ぎると、生存救出率は急激に下がる
〈2004.10.28〉
JRの尼崎駅に降り立つと、雨が本降りになっていた。1日の昼前である。駅前には、この地にゆかりのある近松門左衛門の浄瑠璃の女主人公「梅川」の大きな像が立っている
〈2005.5.3〉
「勝利に向かって常に前進せよ」。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にキューバチームが出発する前、カストロ議長は、盟友だった革命家チェ・ゲバラの言葉を選手
〈2006.1.9〉
古い手紙や写真を整理していて、飲食店のレシートが出てくることがある。変色した日付や店名を頼りに、記念の会食の様子がよみがえる。
〈2007.5.25〉
男が取り押さえられ、横たわる道端の看板に「激安商品大量展示」とあった。近くのビルの劇場では、女性アイドルグループが公演中だった。
〈2008.6.10〉
「驕(おご)れる者は久しからず」は古来不変のことわりだが、豊臣秀吉は「驕らずとても久しからず」と、皮肉めかして世の常を言い表したと伝えられる。
〈2008.9.17〉
短いコラムを書きながら言うのも気が引けるが、ものごとを簡潔に述べるのは、そう簡単ではない。長い文より苦心することも多い。
〈2009.1.20〉
海辺で遊んだ名残の砂が、脱いだ靴からこぼれ出る。さらさらした感触と共に、灼(や)けるビーチでのあれこれがよみがえる。砂はその地に立った証し。
〈2010.6.22〉
テレビ画面を正視することができなかった。がれきと海水の混じり合った津波が、濁流のように家を、畑を、道路を呑(の)みこんでいく。走っている車に波がのしかかる。
〈2011.3.12〉
ダモクレスの剣の故事は、繁栄を脅かす危機のたとえだ。王の椅子に座ったダモクレスの頭上に、天井から髪の毛1本で剣がつるされる。
〈2011.3.16〉
幸田露伴の「五重塔」は、名人気質の頑固な大工が五重塔を独力で建てる物語。心魂を傾けた塔は落成式を前に大暴風雨に見舞われるが、
〈2012.5.23〉
「日本代表」は五輪やW杯だけではない。連休中、テニスの錦織圭選手は母国でツアー2勝目をあげ、パリの凱旋門賞に挑んだオルフェーヴルは首の差に泣いた。
〈2012.10.9〉
輝く峰のすぐ脇に、奈落の谷が口をあけているような、日本銀行の「賭け」である。歴史的やら次元の違う政策やらと言葉が躍る中、去年他界した小沢昭一さんの句が胸をよぎる。
〈2013.4.6〉
突貫工事の時代だった。歴史家の色川大吉さんは『若者が主役だったころ』で、同級生の嘆きを紹介している。「東京中が火事場さわぎだぜ。
〈2013.9.10〉
〈この山は別格である〉。深田久弥(きゅうや)の名著『日本百名山』は木曽の御嶽山(おんたけさん)をそう形容している。
〈2014.9.28〉
侮辱とは、人前で相手を見下して恥をかかせることをいう。よく似た侮蔑という言葉より程度がひどいという。後者は表情や態度に表れる場合が多いが、
〈2015.7.16〉
電気なし、水道なし、ガスなし。食料もすぐには外から来ない。阪神大震災で交通が遮断された1万人余りの人工島に、住民たちが力を合わせて物資を配給する仕組みを作った。
〈2016.4.19〉
英国が欧州連合(EU)離脱を選んで3カ月になる。BREXIT(英離脱)なる新語もものものしく、欧州はただちに大変動期に入るものと思っていたが、離脱交渉は始まってすらいない。
〈2016.9.23〉
日々の勤めを終えて職場を出るとき、思わずホッと安堵(あんど)の息がこぼれる。その瞬間、心のスイッチは「公」から「私」へ切り替わる。
〈2016.8.9〉
19世紀の米大統領アンドリュー・ジャクソンは粗野で短気な荒くれ男だった。10代で独立戦争の前線に立つ。拳銃による決闘もしたが、綿花栽培や投機で財を築いた
〈2017.1.22〉
「ダーティーハンド」(汚れた手)という名の講義を米国の大学で受けたことがある。君たちも社会に出ればきれいごとだけでは済まない、違法すれすれの仕事を命じられたらどうするか。
〈2018.3.13〉
仕事を抱え込みすぎて胃に潰瘍(かいよう)ができたことがある。記者になって10年、オウム真理教の公判を担当したころだ。
〈2018.7.7〉
天声人語を書くようになって3年が過ぎた。題材に困り、進まぬ筆に頭をかかえ、刻限ぎりぎりまで冷や汗を流す。毎日その繰り返しである。