緊急地震速報
兵庫県南部で地震発生。強い揺れに備えて下さい
緊急地震速報
兵庫県南部で地震発生。強い揺れに備えて下さい
1995年1月17日午前5時46分。
あのとき、もし私たちの手元にスマートフォンがあったなら、阪神・淡路大震災はどう伝えられただろう。
地震発生後に起きた事象を時間ごとに、当時の写真や動画で追いながら、あの日を再現する。
※ページ内には当時の被害に関する映像・音声を使用しています。
近畿で強い地震が発生
NTT関西地域ネットワーク運営センター(24時間監視)の警報鳴る
大阪管区気象台地震情報1号
震源地:淡路島
北緯34.6度、東経135.0度
震源の深さ約20キロ
※その後約14キロに修正
マグニチュード:7.2
豊岡・彦根・京都で震度5、大阪・姫路などで震度5
※この時点で神戸、洲本報告なし。神戸は海洋気象台との専用線不通のため、洲本は自動震度計故障のため
伊丹市の松下勉市長がマイカーで登庁。防災計画に基づき災害対策本部設置へ
芦屋市の北村春江市長、大けがした夫を近くの病院へ
宝塚市が災害対策本部を設置
電話が関西に集中。東京のNTTネットワーク管制センターが容量の自動制御開始
東京から神戸の通話は一時通常の約50倍に
地元テレビ・ラジオ局は、建物被害や停電、機材等の損傷などの被害を受け、一時的に放送を中断したものの、すぐに放送を再開した
震災初日の被災地内では停電などによりテレビの視聴はほとんどできず、ラジオが最も有力な情報ソースとなった
自宅が半壊した小久保正雄・北淡町長が町役場へ到着
村山富市首相、テレビで地震の発生を知る
防衛庁の玉沢徳一郎長官、国土庁の小沢潔長官に、それぞれの秘書官から地震発生の連絡
気象庁から国土庁にファクスで地震発生の第一報。最大震度は京都などの「震度5」
国土庁は宿直制をとっておらず、民間警備会社がポケットベルと電話の「一斉呼集装置」で関係職員呼び出しを開始
職員自身の被災、遠方からの通勤不能などにより、発災直後の自治体職員の参集状況は必ずしも良くなかった。市町首長の登庁にも時間を要した
普段から災害対応を業務としている警察、消防職員の参集率は非常に高かった
各地の震度
震度6の阪神間および淡路島北部には、後の現地調査で震度7が適用(気象庁)
生田署に兵庫県警災害警備対策本部設置
気象庁から国土庁へのファクスで、神戸の「震度6」が判明
首相、園田原三秘書官に電話。状況把握を指示
陸上自衛隊中部方面総監部(兵庫県伊丹市)が非常勤務態勢を取る
県、各市の災害対策本部では、電話回線の輻輳(ふくそう)、問い合わせ電話の殺到などにより、 防災関係機関相互の情報連絡に最も重要な電話がほとんど使えなかった
電力施設では、発電所の主要設備には被害はなかったが、送変電設備及び配電設備の被害により約260万軒の停電が発生した。配電柱が多数被災したが、被害の約8割は家屋などの倒壊によるものであった
神戸市の笹山幸俊市長が三宮の市庁舎に到着
大阪ガス、対策本部設置
出火原因は不明が大半であった。原因の判明した火災については、地震直後では電気・ガス関連が多く、地震の数時間後およびその翌日以降では電気関連が多かったとされ、「電気火災」が注目された
被災当日の119番通報は、神戸市消防局6千件超(前年1日平均の10倍超)、尼崎市消防局1995件(通常時の16倍)、西宮市消防局4420件、芦屋市消防本部397件(前年1日平均の約20倍)などだった
数万人もの生き埋め者が発生した。被災の激しかった地域では、電話も利用できず、 消防署や警察署への「駆け込み」による救助の要請が殺到した
震災による死亡者の9割以上は死亡推定時刻が当日6時までとなっており、ほとんどが即死状態だったとされている
大阪管区気象台が災害対策本部を設置
国土庁防災局に首相秘書官から状況を問い合わせる電話。現地・警察・消防から被害状況が入らず。国土庁への登庁職員17人
兵庫県の芦尾長司副知事が車で県庁に到着し、県の災害対策本部を設置
衛星使用の防災無線「兵庫衛星通信ネットワーク」が端末損壊のため使用不能
パソコン通信・インターネットが災害において初めて本格的に利用され、被災地からの情報発信に活用された
パソコン通信ニフティサーブでは「地震情報コーナー」が開設され、ボランティア情報・安否情報・行政情報など各種の情報提供に用いられた
兵庫県警、近畿管区警察局などに応援要請
芦屋市の北村市長が秘書課長の車で市役所に到着
陸自中部方面航空隊(大阪府八尾市)のヘリコプター1機が偵察に発進。神戸市付近で約20カ所から煙が上がっていることや高速道路の倒壊などを確認
ストーブなどの火気を使用していた市民が、震度7の揺れの最中に火気に対応することは難しかった
1980(昭和55)年道路示方書(耐震設計編)以前の基準により建設されたコンクリート橋脚は、水平方向の鉄筋量が少なくじん性に乏しかったことが原因と見られる破壊・崩壊を起こした
第5管区海上保安本部、ヘリコプターで沿岸被害調査。神戸港の港湾設備ほぼ全滅
大阪管区気象台の椎木基観測課長が会見、「活断層がずれたらしいとしかわかりません」
国土庁防災局が「非常災害対策本部」の設置準備を開始
長田署から「付近で大火災、パニックに」
陸自第3飛行隊(大阪府八尾市)のヘリコプター1機が偵察に発進
火気を使用していた人のうち約半数は火の始末をしていなかった。これには、激しい地震の揺れや生き埋めの多発が関係しているとされている
数多くの火災発生に対して、数多くの市民が消火活動を行い、延焼拡大を阻止した
近畿地方に再び強い地震
震源地:淡路島
マグニチュード:4.9
奈良で震度4、大阪3
陸自第36普通科連隊(兵庫県伊丹市)48人が阪急伊丹駅での人命救助に出動。1人救助、警察が1遺体収容
兵庫県職員が自衛隊と電話連絡(正式要請にならず)
海上自衛隊徳島教育航空群(徳島県松茂町)のヘリコプター1機が淡路島の偵察に発進
兵庫県警東灘署から「家屋129軒以上倒壊、322人不明」。淡路島一宮町で10軒以上倒壊、住民下敷きにとの情報
陸自第36普通科連隊206人が西宮市での人命救助に出動。6人救助、29遺体収容
数多くの人が生き埋めになっている状況下では、生存可能性の高い人を優先して救出する必要があった
犠牲者のほとんどは自宅における死亡であり、戦前の木造住宅が比較的多く残存していた地域での死者が多かったとされる
大阪府警のヘリコプターが発進
首相が予定より1時間近く早く公邸から官邸の執務室へ
警察庁が災害警備本部設置
兵庫県の貝原俊民知事、幹部職員の車で県庁に到着
停電した被災地では、緑色の公衆電話はカード、100円玉での利用はできず、10円玉での利用のみだった。硬貨が1000枚ほどたまるといっぱいになって投入不能になり、公衆電話そのものが使えなくなった
北淡町の小久保町長、県民局を通じ自衛隊の出動を要請
神戸市が災害対策本部設置
伊丹市が自衛隊中部方面総監部に救援活動要請
大阪市の西尾正也市長が公用車で出勤
伊丹市では、電話が不通のため職員が自動車で調達を開始、近隣スーパーなどの被災状況を見て市内調達をあきらめ、市外業者からの調達を行った
消防庁が地震対策本部設置
阪神高速道路公団が災害対策本部設置
比較的高層の建物での中間層の崩壊、鋼材の高速荷重下での脆性破壊など、これまで我が国では経験していない被害も発生した
近畿地区全体で約5600台のエレベーターに被害が発生し、閉じ込め件数も156件あった
国土庁防災局が兵庫県総務部に自衛隊派遣を求めるよう要請
官邸内で月例経済報告関係閣僚会議。会議前に五十嵐広三官房長官が小沢国土庁長官に向かって「きょう現地へ行けますか。場合によっては総理も行きますから」
宝塚市の正司泰一郎市長が公用車で市役所に到着
大阪府の中川和雄知事が登庁
建物内部における家具の転倒や天井落下が負傷者を出すとともに避難を困難にした
国土庁が警察庁情報で初めて死者(22人)を確認
海自呉地方隊(広島県呉市)の輸送艦が神戸市に向け出港
行政の庁舎や学校など、公共建物被害の多さも際だち、全半壊した住宅以外の建物の15%が公共施設だった。安全性が確認できないままに避難所として使われているものも見られた
余震459回、うち有感32回。気象庁が「兵庫県南部地震災害対策本部」設置
兵庫県知事が自衛隊の出動を要請
兵庫県警災害警備対策本部を同県警生田庁舎に移す
消防庁が災害ヘリ5機の派遣を決定、他府県にも派遣出動を要請
兵庫県から陸自姫路駐屯地司令に災害派遣要請
徳島県警機動隊員約30人が淡路島被災地に到着
官邸で閣議。小沢国土庁長官を本部長とする「非常災害対策本部」の設置を決定
要請を受け陸自第3特科連隊(兵庫県姫路市)が出動
西宮市の馬場順三市長が迎えにきた市職員の車で、2時間半かけ市役所に到着
兵庫県下で4病院、101診療所が全壊又は焼失するなど、阪神地域では、多くの医療機関が建物被害を受けた
建物被害を免れた医療機関も、ライフラインの寸断や医療機器破損などにより、医療機能は大きく低下した
NHKのFM放送が安否情報(13時から大阪では教育テレビでも)
NHKやラジオ関西などは安否情報の受付・放送を行ったが、大量のためさばききれなかったり、一過性情報のため継続的に放送を視聴しなければならなかったりなどの問題もあった
小沢国土庁長官が記者会見。「被害状況の把握につとめ、応急対策に全力を尽くす」
防衛庁が兵庫県南部地震対策本部設置
神戸市民病院1カ所、急患受け入れ態勢OK
救出現場など病院外でのトリアージ(患者選別)がほとんど行われなかったため、医療機関には死者や軽傷者、重傷者などの患者が選別されずに殺到した
停電により、明かりに不自由しながらの診察・治療が行われ、手動の人工呼吸器を押し続ける姿も見られた
京都府警機動隊員約100人が伊丹市に到着
国土庁内で「非常災害対策本部」の第1回会合
日本赤十字が医師・看護師を現地に派遣
神戸市災害対策本部は食料を市内の小・中学校に搬送へ
近畿管区機動隊など県外の警察官2418人とヘリ7機が出動
救出用資機材は不足し、思い付く資機材全てが利用された。特に、RC(鉄筋コンクリート)建物下の生き埋め者救出には重機が必要とされた
自動車整備工場などの民間の資機材、付近住民から借りた資機材も利用された
政府・与党首脳連絡会議。五十嵐官房長官が「正午現在、死者203人」と報告。首相が「エーッ」と声を上げる
第3特科連隊215人が神戸市に到着
一般市民、消防団による救出活動も大きく貢献し、特に生存率が高かったと報告されている
古い構法で建てられた在来構法の建物に被害が発生しており、蟻害、腐食など老朽による劣化が被害を拡大させた
神戸市、米15トン確保
兵庫県の災害対策本部では、まず被災者17万人を想定して「食料、飲料水、毛布の確保」等を実施することとしたが、当日夕方には被災者数200万人を推定しての物資調達を行うこととした
神戸市では、地域防災計画にのっとって協定を結んでいた食品卸業者等へ連絡したが、いずれも被災しており、市外の業者を探すために周辺自治体へ必死で電話をかけた
大阪市消防局の10隊50人が神戸市長田区に到着。この日の消防部隊、計179隊906人
神戸市消防局から兵庫県知事を通じて出された消防広域応援要請を受けて、全国の消防本部より応援部隊がかけつけた。しかし、交通渋滞等の影響により応援部隊の到着は大幅に遅れ、到着時間の予測も困難で、計画的活動に支障があった
神戸市では、地震後1~2時間で「水位ゼロ」となった配水池が19カ所にのぼるなど、 配水管・給水管被害による大量の水が流失した
兵庫県では、急きょ企業庁が緊急給水の実施、水道復旧工事を担当することとなり、 給水車を手配した。当日は、1リットル/人・日以上確保できるよう各市町の人口をベースに配車計画をたてた
神戸市、毛布2600枚、パン4トン手配
陸自第36普通科連隊の118人が芦屋市に到着
救出現場では、周囲の人の証言や生き埋め者の声が生き埋め箇所特定の頼りだった。静寂確保のために、取材用ヘリコプター等の騒音が問題だったとの指摘もある
遺体を発見した際には警察官の立ち会いが必要だったため、自衛隊の部隊が次の捜索・救出現場へ移動できないという問題もあった
小沢国土庁長官ら政府調査団が出発。上空から被災地を視察
大阪市消防局のヘリが血液製剤を西宮に運ぶ
神戸港を中心に港湾施設の護岸、海岸保全施設などは地震動と液状化により大きな被害を受けた
淀川下流左岸では、基礎部の液状化により堤防が約2キロにわたって崩壊、津波が発生していれば大阪市中心部が浸水する恐れもあった
陸自第7普通科連隊(京都府福知山市)365人が神戸市に向け出動
首相が現地の消防庁長官に電話で「あらゆる手段をとってくれないと……。自衛隊も要請して、連携を取り合って万全の態勢を講じてください」と指示
救出活動の主体となった自衛隊、警察、消防の相互連携が不十分だったため、重複した捜索活動が行われた場合もあった
兵庫県知事が記者会見し、二次災害の防止などで県民に協力を呼びかける
地震による地すべり、土砂崩れの発生、建物倒壊などのおそれから、兵庫県内では1月中に52カ所7万7133名に避難勧告が発令された
避難者の多くは、近隣の小中学校、高校等の学校施設など、公共施設へ避難した
地震発生当日、夕方から夜にかけて避難者数が増加していった
避難所への移動には、徒歩のほか、自動車を用いた避難者も多かった。学校等のグラウンドが自動車で占拠されたが、一方で、教室に入りきれない人が自動車内に寝泊まりした例もあった
学校では、保健室が救護所、特別教室等が遺体安置室、職員室等が本部および職員宿泊室として利用された
兵庫県警対策本部で死者の名簿張り出し
ラジオ・テレビ・新聞等により安否情報、死亡者名簿が提供された。テレビやラジオでは限界があったが、新聞に掲載された死亡者名簿は名簿の網羅性、一覧性、検索性から、多くの人に利用された
首相が地震について記者会見。「政府としては、何よりも人命の救助・救援にあらゆる手段を使って万全を期したい」
震災直後の救出活動は「生存者優先」とせざるを得ない場合も少なくなかった。時間経過につれ、救出時の生存率は低下した
六甲山系の斜面を中心として崩壊が生じ、民家を押しつぶし多くの人命が失われた
神戸市、市内小学校で給水開始。米・ビスケット・缶詰などを配る
兵庫県における避難者数のピークは1月23日の31万6700人、避難所数1152カ所。大阪府においても1月18日のピーク時には約3700人が82カ所の避難所で生活していた
火災接近や建物倒壊危険のために再避難を余儀なくされた避難所などもあり、避難途上で火災に遭遇した例もあった
直接避難所に来るのではなく、自宅近隣の公園や小規模施設など、自然発生的に一次避難所(数時間から数日で解消)とした人々もいた
神戸市立西市民病院5階損壊、閉じ込められた24人(うち看護師3人)を救出
大阪府警から応援の警察官400人が兵庫県へ
滋賀県、ポンプ車・救急車など出動
応援部隊を含む混成部隊のため、利用できる無線回線が限定され、現場指揮・連絡は困難だった。また、資機材の規格が異なっていたために共用できない場合もあった
消火栓用の工具の違い、ホースのさし込み方式の違いや、救急車の心電図送受信装置に互換性がないことなどが問題だとの指摘もあった
東京都、神戸市からの要請で断水対策として給水車などを派遣
地震の数時間後およびその翌日以降に発生した電気火災の多くは、避難中の留守宅などで送電回復に伴う火災が初期消火されずに発生したとされる。避難時の電気ブレーカー遮断の必要性等が指摘された
小沢国土庁長官が兵庫県庁で記者会見
様々な施設が遺体安置所になった。避難者のいる避難所、負傷者の殺到した医療機関も遺体安置所となった
地震直後は、1人あたりのスペースが1畳に満たない場合もあり、当初は横になることもできなかった場合もある
マスコミ報道の多くは被害の激甚な地域、衝撃的映像に集中し、全体状況の把握、応急対応という面から必要な情報が必ずしも十分には流されなかった
避難直後から介護を要する避難者や、高齢者、障害者、乳児等への配慮が必要であったが、実際には生活が困難な状況に置かれていた
各機関による救出・遺体収容数は、自衛隊1403人(うち生存者165人)、神戸市消防局1892人(同733人)。県警による生存者救出数も3495人にのぼった
神戸市立西市民病院で生き埋めになったうち46人を救出。残り1人の救出作業続く(18日の22:25、遺体で発見)
兵庫県災害対策本部、国道2号の渋滞で、ドライバーに迂回(うかい)を呼びかける。
1月17日が終わった……
だが、この時点でも各地で懸命の救出作業が続いている。被害の全容は全く見えないままだった。
死者6434人、負傷者4万3792人、住宅被害63万9686棟――。未曽有の被害をもたらした大地震から約1カ月後の2月14日、政府はその呼び名を「阪神・淡路大震災」に決めた。
このタイムラインに残る写真や映像、音声の数々は、新聞記者や放送局員、そして被災地の職員らが危険を顧みず、現場を駆け回って集めた貴重な記録だ。
近い将来、起こるとされる「首都直下地震」が現実のものになれば、人・モノ・機能が集中する大都市で何が起きるのか。それを記録し、発信するのは、私たちのスマートフォンかもしれない。