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アメリカで聞くナガサキと原爆
日本に原爆が投下されてから80年近くが経った。核兵器が生まれたアメリカで、被爆について市民の考えを聞いた。
米シカゴの街中。記者が取材で声をかけた男性は、こう語った。 核兵器が生まれたこの国で、人々は原爆をどう受け止めているのだろうか。
2023年夏には、原爆開発者を描いた映画「オッペンハイマー」と、同時期に公開された「バービー」を盛り上げようと「Barbenheimer(バーベンハイマー)」との造語がSNS上で拡散。 バービーの髪形にキノコ雲を合成した画像も出回り、アメリカ社会のその「軽さ」に日本で大きな批判が巻き起こった。
ヒロシマは聞いたことがあるけれど、ナガサキは知らないというアメリカ人もいた。 地名は知っていても、大多数の人々は被爆者のことやその後の放射線被害について詳しくない。
街頭で話を聞いた男性。さらにこう続けた。「広島と長崎の恐怖が、アメリカとソ連、また中国との後の核戦争を防いだ。広島や長崎の犠牲は、人類にとって良いことだった」
アメリカではこんな考え方が根強いとされてきた。 「戦争を早く終わらせ、何百万人ものアメリカ人の命を救った」 戦後80年近くが経とうとしている今でも、アメリカは変わっていないのだろうか。
2023年11月、長崎の被爆1~3世が、アメリカの都市を回り、市民に被爆の実相を直接訴えようと約2週間のキャラバンツアーに出た。 求めたのは、アメリカ市民との対話だ。 80代の被爆者のほか、若い被爆2世や3世らが参加。 被爆者はみな高齢化している。「今回で最後かもしれない」という思いが、長旅を支えた。 現地の中学校や高校、大学などを中心に連日の対話集会を開いた。
3歳で被爆した三田村静子さんは被爆体験とともに、放射線による人体への被害や、後世への影響の可能性を伝えた。 被爆した時に一緒にいた姉は後にがんで亡くなった。 娘は30代でがんが見つかり、2010年に死別。 自身も4度のがんを患った。
被爆者の語りに、アメリカの参加者たちは真剣に聴き入った。 講演の後、涙ぐみ、両手でしっかりと被爆者の手を握る人もいた。
初日に訪れた私立学校では、生徒ら約150人が真剣なまなざしで耳を傾けた。 被爆者らはほっと胸をなで下ろした。
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世界の核兵器、これだけある
被爆者が語る核の悲惨さは現在とも地続きだ。世界には、2023年6月時点で約1万2520発の核弾頭が存在する。2017年に採択された核兵器禁止条約は、アメリカそして日本は批准していない。
各地で開いた集会。しかしすべての会場で手応えがあったわけではない。 口からガムを出して伸ばしたり、携帯をいじったり。寝ている人もいた。 質問を募っても、沈黙が続き予定よりも早く切り上げた会場もあった。
ツアーを発案した被爆者で医師の朝長万左男さんは、日本軍の残虐行為や真珠湾攻撃を指摘されることもあるだろうと覚悟していた。 たとえそうなったとしても、本音を語り合い、憎しみを超えて核廃絶をめざしたい。 しかし、聴衆から日本への厳しい意見をぶつけられることはなかった。
メンバーたちは、各地の集会を終えるたびに宿泊先で反省会を開いた。 自分たちはアメリカの市民にとって、初めて出会う「ヒバクシャ」かもしれない。突然講演を始めても、話を聞く心づもりができていないのではないか。市民の声をもっと聞きたい。 引きつけるような前説が必要では? 言葉の問題は? 講演は、旅の中で形を変えていく。
ツアー最終盤、私立大での講演。立ち見が出るほど詰めかけたホールで、朝長さんが語りかけた。そして、学生たちに、あえて投げかけた。
すると、会場から声が上がった。
22歳の大学生からの質問は、アメリカにおける核兵器のイメージを表していた。 核保有を含む強力な軍事力がアメリカをアメリカたらしめてきた。だから、核を手放すことは難しい――。 そう信じてきたという。
アメリカこそが行動しなくてはならない。そう考える学生もいた。
朝長さんの答えに、聴衆は真剣なまなざしで聞き、うなずいていた。
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アメリカで変わりつつある意識
原爆投下直後の1945年8月の世論調査によると、アメリカ人の8割超が「日本への原爆使用を支持する」と答えた。 一方、2015年の世論調査では、「日本への原爆使用は正しい選択だったか」との質問に「正しかった」と回答した人は約半数に減った。特に若い世代では、その割合が低かった。
ツアー中、記者が出会った運転手の男性に逆に質問された。 「被爆者が体験を語るために来ている」と説明すると、「素晴らしいことだ」と肯定してくれた。 「原爆は私たちが作った。私たちが廃絶を始めるべきだ」
今回、長崎の被爆者らが2週間で回ったのは3都市。講演会は約20回を数え、旅を終えた。 その4カ月後、原子爆弾を開発した研究者の功績だけでなく、苦悩にも焦点を当てた映画「オッペンハイマー」がアカデミー賞で7部門を受賞した。 核兵器への意識は変わりつつあるのか。 被爆者たちは今後も新たなキャラバンを計画している。
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心を動かされました。アメリカで育つと、真珠湾攻撃やその対応などについては少し耳にする程度です。『被爆者』という言葉は知らなかった。
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核兵器を二度と使用すべきではないという意見に賛成です。核兵器はとてもたくさんの人の命を奪うものだからです。
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実際の経験を教科書で学ぶよりも深く知ることができました。
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今、普通に生活を送っている普通のアメリカ人として、長崎と広島のことを伝え、核兵器不拡散を推進するために何ができると思いますか。
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一人称の視点で原爆の話を聞き、ただ衝撃を受けました。原爆が彼らや家族にどのような影響を与えたのか、それがどれほど悲惨なものだったのか、そういったことを実際に語ることができる人たちから直接話を聞けたからです。
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核兵器をめぐることば
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1945
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トルーマン米大統領(当時)
この爆弾によって、我々は今、増大する軍事力を補完するため、新しくそして革命的な破壊力を加えた…それが原子爆弾だ。
1945年8月6日、広島への原爆投下から16時間後に発表された声明
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1945
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オッペンハイマー
私たちが作った原子爆弾が非常に恐ろしいものであること、変化を伴うものであること、単なる小手先の(武器の)改良ではないことを認識しなければならない。
1945年12月、ロスアラモス研究所を去る際のスピーチで
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1955
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ラッセル・アインシュタイン宣言
市民はもちろん、権威ある立場にある多くの人たちでさえ、核爆弾を使った戦争で何が起こるのか分かっていない。
1955年、アインシュタインや湯川秀樹ら11人の科学者が科学の平和利用を宣言で訴えた(写真は湯川氏)
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1982
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山口仙二さん
命のある限り私は訴え続けます。
ノーモア ヒロシマ、
ノーモア ナガサキ、
ノーモア ウォー、
ノーモア ヒバクシャ長崎で被爆した平和運動家、1982年の国連での演説
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2016
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オバマ米大統領(当時)
この街の中心に立ち、爆弾が投下された瞬間を想像しようと努める。目にしたものに混乱した子供の恐怖を感じようとし、恐ろしい戦争で殺された罪なき人々を思い出す。
2016年5月の広島初訪問で
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2022
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プーチン・ロシア大統領
ロシアは世界で最強の核保有国の一つであり、我が国への攻撃が侵略者に悲惨な結果をもたらすことは疑いがない。
2022年2月のウクライナ侵攻直後の演説で
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2023
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イスラエルのエリヤフ・エルサレム
問題・遺産相(パレスチナ自治区ガザ地区への核攻撃について)一つの選択肢だ。
2023年11月の発言(写真はフェイスブックから)
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2023
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メリッサ・パークICAN
(核兵器廃絶国際キャンペーン)
事務局長すべての核保有国が核戦力の近代化と拡大を進めている。日本には一刻も早い核兵器禁止条約への署名を期待する。
2023年11月のインタビューで