夕方、羽田空港の駐機場に1機のビジネスジェットが入ってきた。エンジン部分には機体番号「N155AN」が黒い文字で刻まれている。東京地検特捜部の係官らが機内へ入り、一斉にカーテンが下ろされた。まもなく、特捜部は日産自動車会長のカルロス・ゴーンを逮捕した。「ゴーンショック」の幕開けだった。
事件が動き出したのは、その半年以上前のことだった。日産社内で、ゴーンをめぐる不正な資金工作が告発された。以前から、ゴーンによる会社の「私物化」を疑ううわさはあった。そこに、具体性を伴う複数の内部通報がもたらされた。
限られた役員や監査役らによる内偵チームがつくられた。海外の子会社などを使って、不透明な資金の流れがあることがみえてきた。内偵チームは、「ヤメ検」と言われる元検事の有力弁護士に相談することを決断した。
検察に持ち込み、刑事事件にする――。ヤメ検への相談は、前代未聞の手段を意味していた。社内でひそかに調査資料がまとめられ、6月ごろ、具体的な資料が東京地検特捜部に提供された。
折しも、6月は「司法取引」が日本で初めて導入されたタイミングだった。特捜部は色めき立った。
問題は、事件のキーマンを捜査に協力させられるかどうかだった。
その1人が、法務部門を担当していた外国人役員。当初は「絶対に否認する」とかたくなに協力を拒まれた。内偵チームは説得にあたった。「司法取引になれば、あなたは起訴猶予になる。事実はもう調べあげてあるんだ」。数日にわたる攻防の末、役員は捜査に協力することを選んだ。
その後、ゴーンを長く支えてきた秘書室幹部も説得に応じ、司法取引に加わることになった。2人の協力者を得たことで、闇に包まれていた事実が浮かび上がってきた。日産本社21階にあった「秘書室」が、ゴーンをめぐる疑惑解明へのカギとなった。
日産の極秘調査が始まってから半年以上。逮捕への準備は整いつつあった。ゴーンとともに、その右腕として代表取締役を務めるグレッグ・ケリーも逮捕の対象者とされた。
問題は、2人とも海外にいることが多いということ。2人を同時に逮捕しなければ、どちらかに海外に逃げられてしまう。特捜部は日産と協議し、取締役会などの名目で2人を日本へ呼び出した。11月19日、その日がやってきた。
最終的には社長の西川広人にも、事前に捜査が進められていることが伝えられた。19日夕に日本に降り立った2人を逮捕すると、日産はすぐさまプレスリリースを発表。夜には西川が自ら、会見に臨み、言った。「残念という言葉を超えて強い憤りがあり、非常に落胆した」
特捜部が最初の逮捕容疑としたのは、多額の「報酬隠し」の疑いだった。毎年、20億円前後の役員報酬があったのに、それを半分ほどに偽って公表していたとされる疑いだ。
12月10日、特捜部はゴーンを再逮捕した。1度目の逮捕は、2010~14年度の5年分についての「報酬隠し」の疑い。再逮捕は、同様に15~17年度の3年分についての容疑だった。類似の事件についての度重なる逮捕には、批判の声も上がった。
逮捕から1カ月、12月20日のことだった。
それは、特捜部が予期せぬ展開だった。2度目の逮捕後、普通は20日間認められることが多い勾留期間を、10日間で打ち切ると裁判所が決めたのだ。
「明日にも保釈か」。一部のメディアは、ゴーン保釈の可能性を報じた。かねてから海外メディアからは長期勾留についての批判も寄せられていた。クリスマスを前に、事件の風向きが大きく変わろうとしていた。
12月21日、再び驚きが走った。特捜部が3度目の逮捕に踏み切ったのだ。容疑は特別背任。検察は急きょ勝負に打って出た。保釈への道は、閉ざされた。
2月13日。これまでゴーンの弁護人を務めてきた元検事の弁護士が辞任した。代わりに就いた弁護人のひとりが、弁護士の弘中惇一郎。数々の有名事件で無罪判決を獲得し、検察の立証の矛盾を鋭く見抜く手腕は「カミソリ」の異名をとる。ゴーンはこれに合わせて強気の声明を発表した。「無罪の立証だけでなく、不当な拘束をもたらした状況を解明するプロセスの始まりだ」
そして3月5日。事態は急変した。正午過ぎ、東京地裁からゴーンの保釈を認める決定が伝えられた。特捜部の事件で否認を続ける被告としては、異例のタイミングだ。翌日、東京拘置所をあとにするゴーンの姿をとらえようと、無数のカメラが建物を取り囲んだ。
午後4時過ぎ、正面玄関に作業服姿の男が姿を現した。青い帽子にマスク。男が乗り込んだ軽ワゴン車は「スズキ」製。車が静かに動き出すと、後部座席に特徴的な鋭い目が見えた。「えっ、ゴーン被告?」。多くの報道陣が不意を突かれた。ゴーンが暮らす住居が特定されるのを防ぐため、弁護団が考え出した奇策だった。
保釈から約1カ月、テレビなどは家族と一緒に桜を観賞するゴーンの姿を流していたが、ゴーンは沈黙を守っていた。4月3日、沈黙が破られた。ゴーンは突如としてツイッターのアカウントを開設した。「4月11日木曜日に記者会見をします」。特捜部が新たな事件での立件を検討している、と報じられた矢先の予告だった。
だが、会見は実現しなかった。特捜部は翌4日、オマーンにある日産の販売代理店への支出をめぐる特別背任容疑で再逮捕したのだ。ゴーンの身柄は、再び東京拘置所に戻った。
4月8日、日産の臨時株主総会でゴーンを取締役から解任する人事案が承認され、20年にわたったゴーン体制は名実共に終わりを迎えた。翌日、報道陣は東京・千代田区の日本外国特派員協会に集まっていた。ゴーンの弁護団が逮捕前に撮影したゴーンの映像を公開したのだ。
「もしみなさんがこの動画を通じて、私の話をお聞きいただいているとすれば、それは私が4月11日に予定していた記者会見を開くことができなかったということになります」
動画は、このひとことで始まった。
事件は日産幹部による「陰謀」「謀略」だとして無実を訴えるゴーン。20年にわたる「ゴーン体制」と完全に決別した日産、ゴーンをめぐるグローバルな資金の流れを追う特捜部。それぞれの攻防は、なおも間断なく続いている。(敬称略)取材=東京社会部、東京経済部
※ 4月25日、ゴーンは再び保釈された。