1990s - 2024 JAPAN BASKETBALL 日本バスケのパイオニアたち - プレミアムA:朝日新聞デジタル

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当時のバスケットボール日本代表の長谷川誠

30年遅れていた
日本

1997年に撮影された1枚の写真。当時のバスケットボール日本代表の長谷川誠が、NBAの元スター選手、マジック・ジョンソンへ切り込んでいく。引退したNBAプレイヤーらでつくる「マジックジョンソン・オールスターズ」との国際親善試合。トップ選手をそろえた日本代表だったが、結果は6戦全敗だった。「試合中、相手は遊んでいた。それでも大敗した。30年遅れていると肌で実感した」と長谷川は振り返る。1990年代の日本は、空前のバスケブームのまっただ中。しかし、本場アメリカとの実力差は大きかった。ブームは過ぎ、時は流れて2023年、バスケットボールW杯が日本で開催される。低迷から飛躍へ。これは、日本バスケのパイオニアたちが積み上げてきた物語。

マイケル・ジョーダンが活躍した1990年代、日本でもNBA人気に火が付いた=1998年2月、ロイター

1990-1999 BOOM

バスケブームと
折茂武彦が見た現実

1990年代の日本バスケットボール界は、未来への展望を描けていなかった。国内トップリーグで27年間、現役選手としてプレーし続けたBリーグ1部、レバンガ北海道の折茂武彦社長(53)の記憶は鮮明だ。

折茂武彦(左)と佐古賢一(右)は日本屈指の選手として注目を集めた。2022年の折茂の引退試合には、北海道のヘッドコーチだった佐古も出場した

日大時代、全日本学生選手権で活躍した。決勝の会場の代々木第2体育館は人が入れないほど満員だった。「でも、一歩外に出ると、まったくバスケットが知られていない。これだけの人が試合を見に来てくれるのに、外に出たら、もう誰も僕のことは知らない」大学卒業後の1993年、サッカーのJリーグが開幕した。学校体育などで広く親しまれるスポーツとして同じような位置づけだったのに、プロ化によって競技環境や人気、待遇の差はあっという間に開いてしまった。バスケットの競技人口は増え、高校や大学の試合は注目を集めるのに、日本最高峰の舞台であるはずの日本リーグは集客などの興行に本腰を入れなかった。トヨタ自動車でプレーしていた折茂社長は、スカスカの観客の会場で試合しながら、「これが現実か」と打ちのめされたという。「プロ選手」に憧れ、当時の実業団所属の日本選手では珍しい「契約選手」という立場に、自分の道を求めた。異例の挑戦だった。それでも、大きな流れを作ることはできなかった。

2006年に日本で開催された世界選手権=ロイター

日本でも巻き起こったシューズブーム。世界的なブームは今も続く=ロイター

国内リーグがだめなら、日本代表を盛り上げよう。その思いで仲間たちと戦った。1995年ユニバーシアードで準優勝し、98年世界選手権は自力で出場権を獲得。でも、「現実は何も変わらなかった」。オリンピックへの道も険しい。2006年、自国開催の世界選手権(現在のワールドカップ)も1次リーグで敗退。代表の地位は低く、ベストメンバーをそろえることができなかった。

2006年に日本で開催された世界選手権。日本は1勝4敗で1次リーグ敗退だった=ロイター

折茂社長はこう振り返る。「昔の日本代表って、ある程度『指定席』があるような感覚でした。コンディションがいいか悪いかに関係なく招集されたり、国内リーグに照準を定めるために辞退したり。正直、ベストメンバーではない代表活動なんて珍しくありませんでした」Jリーグの立ち上げの中心にいた川淵三郎さんというスポーツ界屈指のリーダーの下、Bリーグが誕生したのは、その10年後だった。いち早くプロ化を掲げていたbjリーグと、日本リーグを前身とするNBLとが統一されたプロリーグの誕生で、選手を取り巻く状況は一変した。もちろん、代表も変わった。「最近の日本代表は全然違います。いろんな選手を集めて競争させて、強化試合で試して。外からの目で見ても『代表の座を確約されている』と思ってプレーしている選手はいません。選手自身が『入りたい』と思える日本代表になっている」長く不遇の時代を過ごしてきたからこそ、レジェンドには今の環境がいかに恵まれているかが分かるのだ。

JAPAN BASKETBALL KEYWORDS

80-90年代ユニフォーム
80年代は、現在と比較するとかなりタイト。パンツもショート丈で、タンクトップもすこし余裕がある程度。その後、パンツは膝上まであるバギーショーツがトレンドに。マイケル・ジョーダンの影響と言われる。
マジック・ジョンソン
NBAの世界的ブームを牽引したスーパースター。1980年代にロサンゼルス・レイカーズで5回の優勝に貢献。ノールックパスを広めた。1992年バルセロナ五輪で金メダルを獲得。アメリカ代表は当時の最高のメンバーが参加し、ドリームチームと言われた。HIV感染により、1991年にNBAを引退。
マイケル・ジョーダン
「史上最高のバスケットボール選手」「バスケットボールの神様」など様々な称号を持つレジェンド。シカゴ・ブルズを2度のスリーピート(NBA三連覇)に導くなど、輝かしい実績がある。ポジションはシューティングガード(SG)だが、ゲームを俯瞰できるオールラウンダーだった。
エア・ジョーダン5
1990年に発売。スラムダンクでは、主人公の桜木花道がライバル視するチームメイトの流川楓がエアジョーダン5を着用していた。ナイキが発売する「エア・ジョーダン」シリーズは、バスケットボールシューズの代名詞として今も高い人気を誇っている。
漫画「スラムダンク」
1990年に週刊少年ジャンプでバスケットボール漫画『スラムダンク』の連載が開始。人気を博し、中高のバスケ部員が急増した。国内の累計発行部数は1億2000万部以上。舞台となった神奈川県鎌倉市には海外からも聖地巡礼客が訪れる。
シカゴ・ブルズ
1984年から1999年までマイケル・ジョーダンが所属していたチーム。90年代、マイケル・ジョーダン在籍時にスリーピート(3連覇)を二度達成する。ただ、1999年のマイケル・ジョーダンや主要選手の退団後は複数年に渡り低迷した。
エアマックス95
90年代後半のスニーカーブームの代名詞。定価をはるかに超えた高額取引、偽物の流通、「エア・マックス狩り」と呼ばれる暴行・強奪事件が発生するほど社会現象になった。
3x3
野外で3対3で対戦するストリートボールがアメリカで流行。ストリートボール出身のNBAプレーヤーも誕生した。2020年の東京オリンピックから3人制バスケットボール「3x3」が正式種目に。かつて様々な呼称が混在していたが、「スリー・エックス・スリー」に統一された。

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