また集まろう、福島・浜通りで キモチ、あつまるプロジェクト〈ツアー編〉
福島県・浜通り。復興のために力を尽くす人たちに出会い、学び、そしてこの地域が大好きになった――。
東日本大震災に伴う原子力災害によって、全町避難を強いられた大熊町、双葉町、浪江町。いまなお傷痕が残りつつも、力強く立ち上がろうとするこの地域を、全国の大学生・大学院生23人が訪れました。
この夏、2年目の開催となったUR都市機構の「キモチ、あつまるプロジェクト」。復興の力となる関係人口は、少しずつ、でも着実に増えています。
原子力災害 緊迫感と苦悩
学生たちは8月28日、スーツケースなど大きな荷物を持って東京駅に集合。みんな、お互いに初対面です。あいさつを交わし、JR常磐線で浜通りに向かいます。
降り立ったのは双葉駅。心配だった天気ですが、見上げると、薄い雲の向こうに青空が見えています。
最初に訪れたのは、東日本大震災・原子力災害伝承館。震災当時の緊迫感や、避難した住民の苦悩、原子力災害の影響などが、映像や資料で伝わってきます。学生たちは、真剣なまなざしで展示を見ています。
曲がった鉄筋 ゆがんだ床
次に、震災遺構浪江町立請戸小学校を見学しました。校舎を見上げると、2階の床上ほどの高さに「津波浸水深」の標示があります。屋内では重い分電盤が倒れ、鉄筋や鉄骨が折れ曲がり、体育館の床は波打つようにゆがんでいます。揺れと津波の恐ろしさが伝わってきます。子どもたちは津波が達する前に高台に逃げて、全員無事でした。
「映画のセットのような非現実的な光景で、信じられません」(石井沙也加さん)
「津波の高さを実感できました。逃げた子どもたちは強い、と思いました」(木村柚月さん)
中間貯蔵施設 線量を測ると
福島県内の除染に伴い発生した除去土壌や廃棄物を保管する中間貯蔵施設も訪れました。東京電力福島第一原子力発電所を囲み、大熊町と双葉町にまたがる広大な施設。バスに乗って見学しても、約1時間半かかりました。
途中、貯蔵が完了した土壌貯蔵施設の上に立ち、放射線の測定体験をしました。学生たちに貸し出された線量計の一つは、毎時0.296マイクロシーベルト(μSv/h)を指しています。健康被害を受けるとされる基準より、ずっと低い数値です。
高台の老人ホーム 原発を一望
施設の敷地内の高台には、かつての特別養護老人ホーム「サンライトおおくま」が、震災当時のまま残されていました。近くの展望台から、東京電力福島第一原子力発電所が一望できます。学生たちは、廃炉作業用の巨大なクレーンや、大量の処理水をためるタンクなどを、言葉少なに眺めています。
花酵母のカクテル 復興支援の一環
ツアーでは、浪江町の宿泊施設「福島いこいの村なみえ」に泊まりました。
初日の夕食時、花酵母のカクテルが振る舞われました。大熊町の南、富岡町に本社があるIchido株式会社が開発した商品です。
花と酒。代表取締役の渡邉優翔さんは、福島県で300年以上続くツツジの観光農園の跡継ぎとして生まれました。被災地の復興を支援する中で、これらを組み合わせてビジネスを始めたといいます。「花を植える、愛でる文化をつくってきたノウハウを生かしながら、この浜通りを再び花であふれる美しい景観にすることを目指して挑戦しているところです」
浪江中心市街地に かつての賑わいを
2日目は、浪江町、大熊町、双葉町のまちづくりの今について学びます。
UR都市機構は、帰還住民の生活再開や地域経済の再建の場となる復興拠点の整備を支援する「復興拠点整備事業支援」、自治体が発注する公益施設の建築工事等を支援する「建築物整備事業支援」、関係人口の拡大や、にぎわいの創出などに向けたソフト的取り組みの支援である「地域再生支援」を行っています。
まず初めに浪江町浪江駅周辺整備事業の現地を視察し、UR都市機構の長谷部由莉さん、田村彩由郁さん、廣瀬悠人さんの案内で、浪江駅から道の駅なみえまで歩きながら事業の説明を受けました。駅前では、商業施設や交流施設の建設が計画されているほか、まちのシンボルとして「なみえルーフ」という大きな屋根でつなぐ計画が予定されています。
交流スペース 地域の人に寄り添う
震災時、浪江町の人口は2万人を超えていましたが、現在の居住人口は10分の1の約2200人。住みやすい町にするには、住宅や公共施設の整備だけではなく、人との人のつながりの創出が欠かせません。
途中で立ち寄ったUR都市機構の情報発信・交流スペース「なみいえ」は、そんな目的でつくられた場所です。廣瀬さんは「地域の人に寄り添った支援を行うことが大切」と語ります。
道の駅 地場産業をつなぎとめる
道の駅なみえでは、一般社団法人「まちづくりなみえ」の佐藤成美さんに話を聞きました。道の駅なみえには、町外の避難先から地元に戻った鈴木酒造店の酒蔵が入るほか、地元の名産品、大堀相馬焼の展示販売コーナーが設けられています。
「復興の指針は『町のこし』。ここ(道の駅なみえ)は、地場産業と町をつなぎとめるような存在です」(佐藤さん)
学生たちは佐藤さんの話に聞き入った後、道の駅の食堂コーナーで名物のなみえ焼そばとしらす丼を食べながら、産業の復興について思いを巡らせました。
学び舎ゆめの森 移住を呼び込む
次に訪ねたのは大熊町。復興拠点として整備された大川原地区に、新しい役場の庁舎が建てられ、住宅や医療・福祉施設も完成しています。認定こども園と小中学校を一体化した町立「学び舎(まなびや)ゆめの森」も開校。子どもたちの自主性を尊重した教育を受けさせたいと、町に引っ越してきた家族もいるといいます。
ワークショップ、マルシェ 町を育てる
UR都市機構の地域活動拠点「KUMA・PRE」も訪れました。「みんなの手で町を育てていくための、人と人とのつながりの場」として、ワークショップやマルシェ(ミニ市場)といったイベントをたびたび開催しているそうです。
「若い世代がまちづくりを支えていく。大熊町の復興はとてもいいと思いました」(齋藤大さん)
「町に動きが多くなればなるほど、より愛着が生まれると思います。でも、それには時間がかかるかもしれません」(大本航さん)
見学ツアー お試し住宅 人の魅力も
大川原地区の交流施設「linkる大熊」で、おおくままちづくり公社(移住定住促進担当)の岩船夏海さんから話を聞きました。
大熊町は震災時、人口約1万1000人でしたが、2024年6月の居住者は約1300人。2027年までに居住人口4000人を目標にしているそうです。
岩船さんは、町を知ってもらう「おおくま町見学ツアー」や、無料で1週間住まいを提供する「お試し住宅」といった取り組みを紹介。町内で起業した人、新たに活動を始めた人、復興支援員の方々など、人の魅力もたくさん語ってくれました。
双葉駅前に町営住宅 暮らし再生
双葉町は、3町の中で人口の回復が最も遅れています。2022年、一部区域で居住できるようになりましたが、町域の約85%は避難指示区域のままになっています。震災後ゼロになった町の居住者は、現在約130人。そのうち約60人が帰還住民だといいます。
双葉駅西側には、新しい町営住宅が並んでいました。太い木の柱や大きなひさしが設けられたタウンハウスと呼ばれる建物などです。今年6月までに86戸が完成しました。町ではさらに居住者を増やす施策が検討されています。
「解体 目を背けたくなることも」
双葉町産業交流センターに移り、一般社団法人ふたばプロジェクトの小泉良空(みく)さんに話を聞きました。小泉さんは中学1年のときに大熊町で被災。県外での避難生活の後、この地域に戻って復興をソフト面で支えています。
「思い出の風景、建物が解体されていく様子に、目を背けたくなることもあります。新しい町ができることを、素直には喜べない自分もいます。ただ、変わらないのは、町の人たちの思いの強さ。ここ(双葉町産業交流センター)は町民の集いの場になって、顔を合わせれば話が始まります」。小泉さんは、前向きに語ります。
ふたば飲み 夜空の下で語り合う
2日目は夕暮れを迎えています。双葉町産業交流センターと伝承館の屋外では「ふたば飲み」×「ふたばの声(おと)」が開かれました。地域の人たち、訪れた人たちが楽しめる場として催されているイベントです。
キッチンカーが並び、ステージでは歌やフラダンスなどが披露されました。芝生の上にレジャーシートを広げて車座になる人たち、飲み物を片手に語り合う人たち……。
学生たちも食べ物や飲み物を買い、シートの上でくつろぎます。夕焼け空は、あっという間に暗くなります。ステージの前では、学生たちが音楽に合わせて体を揺らしています。
「町民の方が気さくに話しかけてくださいました。2日間しかたっていませんが、町の温かさを感じ、関係人口になりたいと思いました」(森夕乃さん)
「小泉さんが話していたように、新しいものができると寂しさを感じるのは事実だと思う。でも(このにぎわいのような)新しいものは大切だと思った」(齋藤大さん)
キウイ再生 大学生が起業
3日目の見学は「産業の復興」がテーマです。大熊町と浪江町は、農業の再生への取り組みを学びました。
まずは大熊町。特産だったキウイを復活させようと起業した、株式会社ReFruitsの代表取締役の原口拓也さんと、取締役の阿部翔太郎さんに話を聞きました。2人は大学生として起業していて、ツアー参加者とは同年代です。
畑は除染によって土がはぎ取られ、山砂が入れられたために地力が失われました。有識者にアドバイスをもらいながら土壌づくりから始めていて、最初の収穫は26年の予定だそうです。
サムライガーリック 馬追の伝統
浪江町では、株式会社ランドビルドファームの吉田さやかさんの自宅を訪ねました。築150年という家屋と土地は、長期間の避難で、獣に荒らされていたそうですが、現在はきれいに整備されています。
吉田さんは未経験からニンニクの栽培を始めています。千年以上の歴史がある祭り「相馬野馬追」のために飼育している馬のふんを、堆肥(たいひ)として活用。ストーリー性を前面に出し、「サムライガーリック」として売り出しています。
「相馬野馬追」の映像を見せてもらうと、学生から「かっこいい!」という歓声が上がりました。展示してある甲冑(かっちゅう)から兜(かぶと)を外し、一人ずつかぶる体験もしました。
おしゃれな工場 雇用創出に一役
農業を学んだ後は、工場の見学です。
伝承館のある中野地区に進出した浅野撚糸(本社・岐阜県)を訪れました。カフェや売店が併設されている、おしゃれな外観です。
社長が福島大学出身であったことなどから、復興の一助となりたいとの思いから進出を決断したそうです。地元の若い世代を積極的に採用して、雇用創出に一役買っています。
工場の説明をしてくれた若い社員3人の中にも、地元の学校の卒業生がいました。
「大変なことも覚悟して、ここに参入しようと思ったことがステキです」(井上七海さん)
「(本社が)地元でなくても、この地域のことを思って行動している姿勢をみて、私も何かできることはないかと思いました」(樋口桃子さん)