GRIM-成田緑夢(ぐりむ)-2018平昌パラリンピック:朝日新聞デジタル

GRIM―グリム―

―グリム―

緑夢 幼少期

平昌パラリンピックで金メダルを期待される選手がいる。スノーボードの成田緑夢(ぐりむ、24)。

2006年トリノ五輪に出場した成田童夢、今井メロきょうだいの弟だ。19歳の時、左ひざから下の感覚を失った。夢は「パラリンピック、オリンピックの両大会出場」。第一歩を平昌で踏み出す。

幼少期の成田三きょうだい。左から長女・今井メロ、次男・緑夢、長男・童夢
(本人提供)

緑夢 VR

2017年9月のW杯ニュージーランド大会後、360度カメラを手にコースを滑ってもらった

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緑夢 腓骨神経麻痺

腓骨神経麻痺
左ひざから下の
感覚がない

緑夢 エピソード

緑夢の身体能力を物語るエピソードがある。

障害を負う前の高校時代のことだ。スノーボードを何年もしていない緑夢が、現役スノーボード選手だった八つ年上の兄、童夢の前でいきなり大技を決めた。

平昌五輪のハーフパイプでも金メダルを獲得したショーン・ホワイト(米)が、10年バンクーバー五輪で見せた「ダブルマックツイスト」だった。

当時熱中していたトランポリンの気分転換でゲレンデを訪れ、「ハーフパイプなんて何年ぶりやろ」と無邪気に滑り、あっけなく成功させたのだ。

「あれを見て僕は引退を決めました。もう彼の時代だなって」と童夢。それほど、衝撃的だった。

今年2月の大会に駆けつけた兄・童夢。緑夢が大けがをしてから初めて一緒に滑った

そのころ緑夢は「夏と冬のオリンピックに出る」という目標を持っていた。中学1年の時に母の勧めで始めたトランポリンは高校の全国大会で優勝し、12年ロンドン五輪代表の最終選考に残った。フリースタイルスキーでもジュニアの世界大会で優勝し、日本代表に入る腕前だった。

(本人提供)

19歳だった2013年。トランポリンで着地に失敗した。「歩けるようになる可能性は20%」と医師に診断された左足は、ひざから下の感覚がない。そんなハンディを抱えながら、時速70キロを超える速度で雪上を滑走できるのはなぜか――。

左ターンが難しい理由
2017年2月、長野県小谷村の白馬乗鞍温泉スキー場

「僕は3倍練習してますよ」

周囲が口をそろえるのは「バランス感覚」と「体の強さ」だ。

緑夢が所属する近畿医療専門学校の小林英健(ひでたけ)理事長(59)は言う。「跳ねた時に体勢が瞬時に分かる感覚が、ずば抜けている」

緑夢が挑むのは、波打った地面やジャンプ台がある斜面を2人で競う「スノーボードクロス」と、1人で滑って旗門を通過する速さで勝敗を決める「バンクドスラローム」。

トレーナーの山岡明広(27)は「筋肉量が多くパワー抜群。股関節が柔軟で、しなやかさもある。動かない左足をどう補うか、追求している」とみる。

障害者スノーボード日本代表の二星(にぼし)謙一ヘッドコーチ(46)は、好奇心と行動力について言及する。「とにかく、発想が豊か。常に問題意識を持って、何でも興味を持つんですよ」

緑夢のここがすごい
コーチ、トレーナー、ライバルが語る

小林理事長も行動力が緑夢の強みだと話す。例えば、住居。「自らの言葉で海外発信するため、英語を学びたい」と思い立ち、外国人が住むシェアハウスで暮らす。

好奇心で終わらせず、進化するために徹底的に実践するのだ。目標を「誓約書」に書き、実行できなければ丸刈りにすると自分と約束する。これまで約200枚書いた。「1カ月後に走り高跳びで170センチを跳ぶ」と具体的に立て、実現させてきた。

記録:2016―2017

  • 2016―2017
  • 北米選手権(米国)
    クロス優勝
  • 障害者スノーボードW杯(米国)
    クロス2戦連続優勝
  • 障害者スノーボードW杯(韓国)
    バンクドスラローム優勝

記録:2017

  • 2017
  • 日本パラ陸上選手権大会
    走り高跳び2位(1m80cm)
    走り幅跳び2位(5m66cm)

記録:2017―2018

  • 2017―2018
  • 障害者スノーボードW杯(フィンランド)
    クロス優勝
  • 障害者スノーボードW杯(カナダ)
    クロス優勝
    バンクドスラローム優勝

カナダからのLINE会見

交通事故で足を失う、生まれつき指がない、知的障害や視覚障害がある――パラアスリートの身体的な特徴はさまざまだ。

「もう一つのオリンピック」といわれるパラリンピック。かつては、スポーツというよりも「リハビリの一環」と捉える認識も強かったが、ここ数年、風向きが変わってきた。

2014年に障害者スポーツの所管が厚生労働省から文部科学省に移り、15年にはスポーツ庁に。強化体制が一本化され、競技レベルは上がっている。

緑夢は1年の多くを国内合宿や海外遠征に費やす。健常者の選手と一緒に練習した時には、それほどスピードの差はなく、「パラアスリートのトップ集団は、結構速いレースをしているんじゃないか」と感じる。

全国障がい者スノーボード選手権大会で3連覇を果たした緑夢。試合後の会見では大勢の報道陣に囲まれた

「パラリンピックとオリンピックの価値は、もともとイーブン。パラの注目選手やメディア露出が増えれば、一般の人の考え方もイーブンになると僕は思う」

パラアスリートとして、緑夢は自分の力でスポンサーを見つけてきた。今年2月にカナダで開かれたW杯では、「メディアがカナダまで来るのは難しい」と、LINEを使ったオンライン記者会見を開いた。

自ら目標を積極的に発信し、共感を生み、自分への支援の輪を広げる。並外れたフィジカル以上に、その人間的な魅力が最大の力かもしれない。

障害を負った後、健常者も出るウェイクボードの大会で優勝した。障害のある人からメッセージが届いた。「けがをしても頑張っている緑夢君に勇気をもらった」

自分がスポーツをすることで誰かを励ませるかもしれない――。「オリンピックとパラリンピックの両方に出ることが夢」。そう公言するようになった。「五輪を目指すことで可能性を証明したい」

平昌パラリンピックのテスト大会だった17年3月のW杯バンクドスラロームで優勝を遂げ、メダル候補に駆け上がった。

サイン:目の前の一歩に全力で! 夢 成田緑夢

「目の前の一歩に全力で」。自身が大切にする言葉を胸に、初めてのパラリンピックの舞台にのぞむ。(敬称略)

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