事実関係に不明なことが多いが、「SNSの効果」「メディア不信」を過大視することには留保があってよい。 憶測の域を出ないが、この記事を読んで考えたことは以下。 1,一般有権者(とくに都市部有権者)にとっての県政の遠さ。国政ならば、政治ニュースに敏感でない層でも、物価高に対する不満などが信任投票として現政権に対する批判票になりやすい(これはアメリカも同様)。しかし、県政の場合はそうなりにくい。 記事中の有権者の発言に、「ネットやニュースで言われていることが本当かは分からない。でも自分として分かるのは、今までの兵庫県で良かったということ」というものがあることから、上記のように考えた。 2,「裏金」や「既得権」には敏感でも、「パワハラ」はそれほどの問題とは考えない。やや保守的な有権者の感覚、とくに中高年男性の感覚というのは、意外とそういうものかもしれない。 「反社会的な行為をしたわけでもないし、悪意を持ってしたことでもない」という記事中の有権者の発言から、以上のように考えた。つまり「パワハラ」は(「裏金」などと違って)「反社会的行為」ではないという認識である。 以上二点、記事を読んで考えた。 今回の選挙結果を受けて、メディアが「見誤った」と考えてよい点があるとすれば、「SNSの影響力」より以上に、「政治ニュースに敏感でない有権者の感覚」かもしれない。
司馬遼太郎氏が亡くなったとき、宮崎駿氏は週刊誌のインタビューに応えて「司馬氏の精神性を悪用する社会」の予見図を描き、それは大体当たっていたのだが、あんのじょう世間はそこだけ完全スルーしたのだ、という議論を先日行ったばかりなので、いろいろと考
昨日の結果も踏まえ、いろいろなことが頭をめぐりますが、濃淡はあれど多くの有権者がもう一度斎藤知事にチャンスを与えようという判断をしたことは重いことであり、民主的な手続きによってもたらされた1つの結論として敬意を払い、しっかりと受け止めたいと
SNSが選挙結果に大きな影響を及ぼしただけに、その裏側を全て取り仕切ったかのような投稿は短時間で大きく拡散した。 尤も、件の投稿を見る限り、この企業が提案していたのは近年のネット選挙で多くの陣営が取り組んでいるような一般的な施策に留まって
このたびの兵庫県知事選は、選挙後も全く落ち着かない異例の展開となっています。異様で荒れた選挙戦であったことを物語っているようです。 再選翌日の記者会見で、斎藤知事は「今回の選挙戦においてはSNSは一つの大きなポイントだった。斎藤県政の政策
この記事そのものも,専門家による「(パワハラ疑惑などに端を発した出直し選で)主な争点は知事の資質や人間性だったが、SNSによって『斎藤氏個人VS県議会』という劇場型の分かりやすい構図が作り出された」というコメントも,そんな簡単に「SNS効果」と結論づけるのはどうかと思います.最近の,石丸現象・国民民主党の躍進,そして斎藤氏の再選,すべてを「SNSの影響力」を強調して整理しても,(この表現は好きではないですが)「解像度が低い」理解にしかならないと考えます. もちろん,最近の選挙では,各陣営・支持者ともSNSを盛んに用いていますし,実際に今回の県知事選でも盛り上がっていたことは間違いないと思います.こうした「経験」として見れば,SNSの影響力があるように感じられるのも不思議ではありません. 他方で,総務省「令和4年度情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書」によれば,「世の中のできごとや動きについて信頼できる情報を得る」際に利用するメディアについて,10代では,TV55.7%-ネット32.1%,20代ではTV43.8%-ネット44.2%であり,それ以上の世代では,「テレビ>ネット」の差がより大きくなっています.さらにいえば,ネット利用者に限定しても,ネット重視31.1%に対してTV重視は52.8%と,2倍近くかつ半数以上の人が(重要な情報に関しては)テレビの情報を信頼しています.こういうデータにもとづけば,そんな簡単に「SNSに踊らされた若者」みたいな言い方には慎重になるべきだし,「偏向報道・マスゴミにネットが勝った」とかという見方の方も偏っている可能性があることがわかっていただけるかと思います. そして,(これは私が勝手に穿った見方をしているだけかもしれませんが)「影響力増すSNS」といった見出しから,そこはかとなく,「客観的な情報を得ることをせず(できず),SNSの偏った情報に騙されて投票した(特に政治的知識が低い傾向にある若年層は)残念な人」というようなニュアンスを感じます. 正直に言えば,私自身もそういう見方をする人の気持ちがわからないではありません.しかし,一般的な思考回路ではよく理解できない投票行動であったとしても,その意思決定の背後には何かしらのメカニズムがあり,彼/彼女らなりの「合理性」があるはずです.だからこそ,(データにもとづいて)その合理性とSNSの効果を慎重かつ丁寧に関連付けて議論すべきであり,それを抜きに「SNS旋風」ばかり叫んでいても,部下の扱いに困っている上司が「最近の若者は何考えてるかわからん!」と居酒屋で管を巻いているのとさほど変わらないものにしかなりません.そして,そういう「厳密な効果の検証」こそが我々研究者が最も得意とするところです. その意味で,メディア側にも,選挙後の一瞬だけ「SNS旋風」と囃し立ててあとは知らん,ではなく,ぜひ「あの時,何があったかがわかった」の方にも目を向けていただきたいなと思います.研究者は「本当にそうか?」に強い執着があるので,誰かしらきっと,論文として出るはずです.もちろん,私も含め,最近は日本のことも英語で論文を書くのが一般的になっていて,しかもpeer-reviewを通過して刊行されるまでに1〜2年はかかる可能性が高いですが,ぜひ「待って」いてほしいなと思います.同様に,「SNS旋風」が本当かどうか気になる読者のみなさんも,最近は,研究者が一般の方に向けた書籍(たとえば,https://amzn.asia/d/f5W5iwu)なども多数刊行されていますので,「〜のように思う」で終わらせるのではなく,それが科学的な知見においても妥当とされているのかまでぜひ考えていただければ,より意味のある理解になると思います.
11月24日(日) 外交は、互いの内政によって制約を受けます。内政事項については、こちらが「あなたの理屈は違っている」と言っても、相手国が納得してくれるとは限りません。特に日本がかつて植民地支配をしていた韓国に関しては、慎重に対応する必
古代中国には、文書・記録の任にあたった史官という官職がありました。船橋洋一氏(国際文化会館グローバル・カウンシル チェアマン、元朝日新聞社主筆)は、民間人ですが、日本政府の史官の機能を果たしています。 船橋氏は本書の性格についてこう記
立花氏が今回の選挙に与えた影響の大きさについては、ネットコミュニケーション研究所のレポートが非常に参考になる。 https://netcommu.jp/Report/hyogochijisen2024 このレポートによると、立花氏が今回の選挙に関連して投稿した動画の再生回数は、「立花孝志」チャンネルで合計約1500万回もある。 その上、立花氏公認の切り抜きチャンネルの合計再生回数が約1300万回。 2つ合わせると約2800万回。 他方、「斎藤元彦」チャンネルの再生回数は約120万回。 つまり、切り抜きチャンネルも合わせた立花氏動画は、「斎藤元彦」チャンネルの23倍以上も再生されたのである。候補者本人よりも遥かに大きな影響力が発揮されたと言える。 立花氏の応援が無ければ、斎藤氏の当選は無かったであろう。 立花氏がどういう人物なのかについてはウィキペディアにかなり細かくまとめられている。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%AD%9D%E5%BF%97 立花氏の来歴を知っていれば、果たして多くの人が動画を信用しただろうか。 なお、記事中でも指摘のある公選法違反疑惑については、小西参議院議員がツイッターで詳しく指摘している。 https://x.com/konishihiroyuki/status/1858828254322606190 これは極めて大きな問題であるから、徹底的に追及されるべきである。 制度の穴をつく行為が放置されれば、民意が歪められる。それは民主主義の危機である。
検事といういわゆる「エリート」が、被告や人々全般をどう見ているかが、特に次の発言には表れている。 「憲法とか法律の専門家は私も含めてメジャーリーガーだとして、一般の人は幼稚園児くらい。木村さんはあれだけ勉強して、小学校低学年ぐらいの知識は持たれているなと思う」 「さほど勉強とかも得意じゃなかったと思うけど、法律をかじって、自分がわかったつもりになってるのはすごくかわいいなって思う」 このような尊大かつ横柄に相手を見下す発言について、「自分が偉いつもりになっているのはすごく醜く愚かだなって思う」と言わざるをえない。 検察が下した判断結果自体にも疑問を抱くことが多いが、そこにはこうした傲岸不遜で権威主義的な姿勢が通底しているのではないか。 検察官の養成や試験、研修、組織体質を見直すことが不可欠と考える。 あるいは検察だけではない。いわゆる「エリート」の社会認識を明るみに出し正す作業が必要だ。たとえば竹中佳彦他『現代日本のエリートの平等観』(明石書店)は、そうした重要な研究の一つである。「エリート」と「マス」との間の乖離は歪な社会を生み出し、「マス」の不満に悪質なポピュリズムや「政治ゴロ」がつけこんで選挙結果を誘導する。すでにこの社会は危険水域に達しているように思う。