「忍者」100人、東京に現る!地下鉄でビル街で存在をアピール
東京のビル群をゆく「忍者」集団に、街ゆく人々が「何事か」と驚き、カメラを向けた。都内で23日、忍者衣装をまとった一般応募者ら約100人が、伊賀・甲賀忍者ゆかりの地を電車や徒歩で巡るとともに、忍者の存在をPRした。
三重県伊賀市や滋賀県甲賀市、両市の観光協会などでつくる「忍びの里伊賀甲賀忍者協議会」が、「忍者百人衆 江戸で伊賀/甲賀の気配を探れ」と銘打って開いた8回目の催し。北は栃木、南は兵庫や徳島から集まり、借りた衣装や「マイ衣装」に着替えた。自分で考案した忍者マスコットの着ぐるみ姿で歩く東京の参加者も。
午前9時半すぎ、上野恩賜(おんし)公園(台東区)を伊賀上野観光協会の宮嵜慶一会長の「いざ、出陣」の合図で出発。40分ほど歩いて、御茶ノ水にほど近い千代田区神田駿河台へ。毎年同行する忍者忍術学の第一人者、三重大教授で同大国際忍者研究センター副センター長の山田雄司さんが「かつて甲賀者が多く住んでいたとされ、甲賀坂も残る」と解説した。
地下鉄を乗り継ぎ、築地場外市場付近を通って勝鬨橋へ。御三家の紀伊家の屋敷跡に幕府の講武所ができ、古地図に「伊賀者給地」とある。「講武所関係者に伊賀者がいたのかも」と山田さん。続いて街の人たちの注目を浴びたり、幾度も警察官に呼び止められたりしながら、銀座や皇居沿い、国会議事堂、官庁街を歩いて港区赤坂へ。かつて「一ツ木町飛地(とびち)伊賀者給地」があり、いまも鈴振稲荷神社が残る。「本能寺の変」で徳川家康が領国の三河(愛知県)に逃れた「神君(しんくん)伊賀越え」に関わりがあり、伊賀の山中で鈴の音に導かれ出会った人物が道案内と警護をしてくれたという言われに基づく。
4回目の参加という馬場俊光さん(45)は街ゆく人に手を振ったりハイタッチをしたり。地元徳島で水道工事業を営みながら、イベントなどで忍者の活動に取り組む。「今日はワクワクどきどき。ちやほやされてうれしい」。伊賀市出身の千葉市の大学教授、倉阪秀史さん(60)は「じろじろ見られる非日常を楽しんでます」。
その後、境内の末社の甲賀稲荷社が甲賀百人組が信仰した鳩森(はとのもり)八幡神社(渋谷区)▽幕府の焰硝蔵(えんしょうぐら)(火薬庫)が付近にあり、伊賀者や甲賀者もその火薬を使った国立競技場(新宿区)▽甲賀者があたりに住んでいた明治神宮野球場(同)へ。ゴールの上野恩賜公園までの移動距離は約14キロ。千葉県の小学2年、スバシ・デニズ誠也さん(8)は「忍者が大好き。楽しかった」、石井橙弥(とうや)さん(8)は「伊賀に行きたくなった」と話した。
同公園では、手裏剣打ちなどの忍者体験や、伊賀流忍者博物館で忍者ショーを披露している伊賀忍者特殊軍団「阿修羅」のステージもあった。(小西孝司)